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肩書きや職業名に捉われない、自分の示し方

(あ、誤字…! 掘り込し→掘り起こし)

仕事を退職して、次の道を考えているとき、ライターである自分についても考えていた。

2019年に所属するコミュニティでの本づくりに参加したのをきかっけに、書く人であることを考えるようになった。

書くことを生業にする職業といえば「ライター」だ。

2019年以降、「ライター」としてのお仕事に声をかけてもらえることがあった。

私が「ライター」の仕事に興味があると、発信していたからだ。

記事を書かせていただけるのは、嬉しかった。気持ちのいい表現が出てこなかったり、美しくまとまらないことが悔しいくらいには向き合っていた。

向いているよ、と言ってもらえることも嬉しかった。

でも、どうしてか「ライター」と名乗ることに違和感があった。

何を書きたいかが明確でないから(何かしらの専門分野がないから)だろうか、とも考えていたけど、自分の違和感にしっくりくる理由がみつからなかった。

それを言い訳にしているつもりはなかったが、「ライター」としての仕事があれば、声をかけてほしいと発することをためらっていた。


「ライター」とは、取材を依頼され、文章を書いて、納品するというイメージだった。ライターへの憧れも、たしかにあった。

しかし、私がなりたいのは、「ライター」なのかと考え始めてもいた。


そんな中、とあるミーティングで、「ライターも、依頼された記事を書くだけでなく、自分で仕事を広げなきゃ」という話があった。

依頼される記事を書くだけだなくて、「〇〇の取材もしてみては?」とか、「こんなページを増やしましょう!」とか。

記事の依頼元の会社全体を見ていたら、もっと提案できることもあるし、依頼元から相談される関係を作れるんじゃないの? というもの。


え? ライターがそれをやるの?
と、一瞬固まってしまう。

たしかに、持ち込み企画をするライター兼編集の人もいる…! でもそれは、編集とか企画とかビジネスをちゃんとわかってる人がやってるんじゃ……。 え?

イメージするのは、WORDSの竹村さんだろうか。

インタビューする意味は? 言葉のプロとしてできること。

ライター云々に迷っている私にとっては、「ただ書くだけではない価値」が示されているように感じた。


自分が「ライター」という肩書きに縛られることが怖かった。それ以外のことができなくなるような気がしていた。
それは、これまでの仕事で「事務職」「営業職」「正社員」「派遣社員」というそれぞれの立場で、それぞれの領域の仕事しかしてこなかったからだと思った。

事務職が出来るのは、ここまで。派遣社員ならこれくらい。
見えない境界線を、ずっと持ちながら働いていた。窮屈だった。でも、楽だった。


「ライター」と名乗れば、わかりやすい。自分の出来る領域を、他者に理解してもらえる。

それも一つの私のあり方だとして、そこにとどまらないあり方を、自分の中で作っていくこともできるだろう。

自分の中の境界線を広げるのか、取り払うのか。いずれにしても、畳の上でじっとしていても、それはわからにだろう。

それをどう表現していくかを、今から心配しなくてもいいのかもしれない。

ライターとしての自分を育てながら。
その領域を広げてみたいと思う気持ちを、カタチにするためにできることは思っているよりたくさんありそうだ。


ありがとうございます。ロックンロールと生クリームとマンガと物語に使いながら、自分の中のことばを探っていきまます。