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「書くこと」に憧れていた。 「書く人」1年目の記録。

書くことに憧れていた。

「書く仕事」をしている人に、「書いている自分になること」に憧れていた。

ただ、静かに、憧れていた。

小説家を書きたいとか、エッセイを書きたいとか、具体的に「書きたいこと」は決まっていなかったけれど、私は「書いている人」になりたかった。

2021年、私はライターという「書く人」になった。

2018年から所属しているオンラインコミュニティ「コルクラボ」には、書いている人がいた。

書く人を近くで見ていると、だんだん、書きたいのに書いていない自分でいるのが嫌になった。
少しずつ「書く人」を始めた。

コルクラボの中では、経験がなくても書ける機会があった。それがとてもありがたかった。
「書く経験」を積むことが、私にはとても重要だった。

最初は無償で。
少しずつ、有償で書く機会が増えていった。

仕事として書くことの責任は重い。
その重さの半分も、まだ分かりきっていないと思うけれど、今も重さを感じながら書いている。

文章は、書いても書いても「これで完璧」という正解がない。
「出来た!」と思った次の日に、気になる一文を見つけたりもする。
書き出しが上手く決まらなくて、何度も何度もdeleteを押す。
集中力も消えていく……。締切は迫る。

締切は守った。
それは、信頼だと教えてもらったから。
2年目も守ろう。

書く人になる前に読んでいた、書くことについて書かれた本の内容が少しわかった。
読んだだけでは、書けないということも分かった。

「書く力」は、「書くこと」でしか鍛えられないのだ。

編集者の存在は、とてもありがたいものだとわかった。
自分のクセや、あいまいな表現に入る修正が、成長を促してくれる。
未熟さばかりを感じてしまうが、私はもう書く人なのだから、未熟だからなんて言っていられない。ただの言い訳だ。

しかし、多くの「書く人」の文章に触れながら、自分の未熟さは感じられるけれど、書き手としての「成長」は、いつ、どのように感じられるのだろう。

書き出しに迷わななくなったときだろうか。
常套句に頼らなくなったときだろうか。
依頼が増えたときだろうか。

書き手として、すくすく育っていけたらいいな。
書いて、読んで、書いて。
それを繰り返していった先にいる自分は、どんな書き手になれているのだろうか。
まだちょっと、想像できないな。


私は、「書きたくてたまらない」というタイプの書き手ではなかった。
1年目は、書ける範囲でしか書けなかった。
2年目は、書ける範囲を広げて、書きたいことを増やしてみたい。書けることも、届く範囲も広げていきたい。


この1年で気づいたことは、「言葉と向き合うことが好き」ということ。

心地良く言葉が並んで、話し手がふわっと浮かび上がってくるような。
そんな文章が好きだ。
独特な言い回しや表現は出来ないけれど、わかりやすくて気持ちがいいリズムで書ける人でありたい。


書くことが好きだから、書く人になったと思っていたけれど、
私は、書く人に「憧れていた」から、書く人になっていた。

自分がなぜ書きたいと思っていたのか。
なぜ「書く人」に憧れたのか。
はっきりと思い出せないけれど、憧れってそういうものなのかな。


憧れていたものになれた、1年目。

2年目は、憧れから現実へ。
楽しみがまさる2年目にしていきたい。

書くことを始めた2021年は、書くことの縁をたくさんいただけました。
とても嬉しく、ありがたい一年でした。
ありがとうございました!
2022年もどうぞよろしくお願いいたします!

ありがとうございます。ロックンロールと生クリームとマンガと物語に使いながら、自分の中のことばを探っていきまます。