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僕らはインプットが好きだ。

あなたはインプットがお好き?
僕はインプットが好きです。
というのは、インプットしていると達成感もあるし、なんだかかっこいい。
誰かに批判されるわけでもないし、本とかを読んでいると勉強が好きなんだなとか思われたり、賢い人だと思ってもらえたりもするようだ。だとしてら、本を読んだり何かを見たりしてインプットすることは悪いことではないだろう。
ただ、インプットをしていることで気がついたのは、インプットだけで自分の人生は変わらないということだ。
本を読んでいるだけでは変わらないというのは本当のことだろう。
本を読んでいくらいい知識やこうすると良いというノウハウを学んだとしてもそれを自分の中に取り入れて自分が根本的に変化しなければ全く変わらない。知識として頭の中に入るかもしれないが、自分としてはそんなに変わってない。そういうことが起きる。そこで必要なこととしてはアウトプットすることなのだ。
けれど、僕もそうだし、多くの人にとってはインプットが当たり前のことになり過ぎていて話したり、書いたり、表現したりするアウトプットは意外とできていないのではないだろうか。
本をたくさん読む人が成功する確率が高いという仮説があったとして、実際にはそうかもしれないがただ読んでいるだけではないだろう。例えば、有名になった学者や研究者は多くの論文を読んでいる。そして、まだ研究されていない領域を見つけ、誰もやったことや考えたことのないことをやっているからこそそこに新規性が生まれている。仮にここで論文だけひたすら読んでます。新しい研究や分野は何もしていません。てへ。という感じだとそれは社会に対して何の問題意識も発見できていないことになるので、価値を生み出していないことになる。つまり、インプットが100でアウトプットが0のケースだ。

インプット8とアウトプット2

インプットすることには価値はあると思う。
実際、受験勉強を例にとってみると知識がないとそもそも用意されている正解に辿り着くことができない。だから参考書に載っている知識を理解し、覚え、使いこなせるようになるくらいまで高めることが必要となる。
しかし、参考書をひたすら読んでばかりいても、問題は解けるようにならない。もちろん、参考書を読むというプロセスの中で脳内でアウトプットをしている状態ならアウトプットもできているので解けるようになるかもしれない、けれど、多くの人は問題集をやったり、過去問を繰り返しする中で身についていくのではないだろうか。
その割合としてはアウトプットの方が多い方が良いとされている。
完全に知識を理解してから使いこなそうとするよりも、足りていないところを明確にするためにまずはアウトプットから始めるということもうなづける。
僕自身、何かを覚えるときは、覚えたい情報を紙とかにまとめてそれを何回も繰り返し音読して、何も見ずにいえるのかどうかをテストするということをしている。これは、まずは、インプットした後に、アウトプットというテストを通して、自分に足りていない知識が何かを確認するということをしている。それにより、自分に足りてない部分がわかるからこそその部分を重点的に覚えるように時間を使う。その繰り返しでわからないことをなくしていく。すると、だんだんとわかることが増えてそれを最後までやれば全ての問題が完全になるということだ。
つまり、①インプット→ ②ミニテスト(アウトプット)③必要な部分をインプットという感じだ。

ではなぜインプットばかりしてしまうのか。
これはやはり不安なのだと思う。
言おうとしていることが正しいのかそうでないのかが不明だからいうことを戸惑ってしまう。これが正解のある問題とかなら合ってるか間違っているかだけなので別に躊躇する必要はないのだけど、正解のない問題は世の中には存在する。
何気ない時の雑談で何を話したらいいのだろうか。どんな仕事をして、どんな分野で働けばいいのだろうか。誰と友達になり、何をして遊べばいいのか。誰と付き合い、結婚はした方がいいのか。するならいつがいいのか。貯金はどれくらいすればいいのだろうか。
などこれらの問いは答えがないことが多い。こうした方がいいようなケースはあるが、答えがないからこそ、大体は2つか3つくらいの選択肢がある中で答えを選んでいく必要がある。いずれにしても選択が迫られる。
時間は有限なので、目の前に選択が訪れた時、人間は必ず選択をする。
例えば、友人から旅行に軽井沢へ行こうぜと言われた時、答えを求められる。まずはいくのか行かないのか。いくとしても本当に軽井沢でいいのか。何日間いくのか。途中で帰るという選択を選ぶかもしれない。行かなかったとしたら、その期間何をするのかを選択するということがある。家でダラダラするのか、外で運動でもするのか。
何かしらの選択の連続があなたを待ち構えている。そのような中で選択をし続けないといけないのだとすると、なかなか大変だろう。書いていて普通にそう思った。笑
人って1日に思った以上に多くの決断をしているのかもしれない。
無意識的なものや既に習慣になっているものは自然とできていることが多いと思うが、小さなことでの選択は沢山しているだろう。

ここで、いえることは問題としては、①テストなどのように正解のある問題と、②正解が決まっているわけではない正解のない問題(正解といえるものはありそうなものもある)がある。②の問題の時に僕らは迷う。そして、迷った先についアウトプットではなく、インプットばかりしてしまうのだ。
例えば、お金持ちになりたいと思ったとして、お金持ちになった人の本とかを読んだりする。それで満足になって、本に書いてあることを実践することが続かなかったりする。他にも、人間関係を良くしたいと思い本を読んだものの、読んだことに満足し、実践できずに満足感だけに浸るという残念な結果になるということもある。そもそも本の内容を忘れていて、何を実践すればいいんだっけ?ということがよくある。
ここからわかることは、本気じゃないとそもそも続けないということもそうだが、根本的にはアウトプットしていない、すなわち行動に起こしていないからではないだろうか。例えば、本に書いてある内容を実践した経験があるなら何かしら過去の経験を思い出すことはできるのではないだろうか。人間関係を良くしたいと思って、失敗談を面白く話せという教えがあったとしてそれを実践したならその経験がアウトプットの経験として残り、一歩前に進んだ状態になっているのではないだろうか。

このことから、インプットだけと、アウトプットしていることとは結構差が開いているように感じる。自分も何かアウトプットできることはないかと思い、このNOTEを始めるようになった。2024年の1月から始めるようになったが、意外と続いている。そして、記事を見返してみると自分が書いていることが大体本のレビューとか、ドラマの紹介とか、ガジェットやミニマリスト系、カフェの話などという好きなことが少しわかるようになった。
文字に残してアウトプットしてみるというのは自分としては結構好きで、人に読んでもらえることも結構嬉しい。
けれど、少し日が経つとアウトプットなんてめんどくさいことは忘れてインプットに邁進している自分がいる。笑
これは治したいが簡単には治らない。笑
だけれども、このNOTEのおかげで少しはアウトプットするような気も生まれ、気分が乗った時に書くようにしている。たまにしか書いてない気まぐれなNOTEを読んでくれてありがとうございます。今後はもう少しアウトプットを増やしていきたいと思っているので、一緒にアウトプットしていきましょう。


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