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〈セカイ〉の終わりとハートビート・ファンタージエン-「不可解参(想)」と餞のことば-

2023年3月4日、バーチャルに構築された「概念武道館」及び「超構造体COCOON」上にてバーチャルシンガー花譜ちゃんの「不可解参(想)」が上演されました。

はじめに

1st「不可解」ではバーチャルアーティストのライブシーンに大きな衝撃をもたらし、その後突然の流行病が世界を覆うなかで、逆境を跳ね除け、「弐」でバーチャル空間上ならでのライブの新しい形を提示し、弐REBUILDINGでは再び有観客ライブを取り戻し、参(狂)では前人未到の武道館ライブを成功させてきた「不可解」シリーズが、いよいよ大団円を迎えました。

2019年に恵比寿LIQUIDROOMからスタートしたライブシリーズ「不可解」が、ついに本日完結です。いったいどんな終わりを迎えて次に向かうのか、ぜひ最後まで見届けて下さい!

花譜MC

概念武道館

魔女」、「畢生よ」、「夜が降り止む前に」、と2022年8月の武道館ライブ「不可解参(狂)」をなぞり、リフレインするようなセットリスト、そして「武道館」という舞台をバーチャルに再構築した今回のライブ「(想)」は、まさに「(狂)」とふたつでひとつのライブと位置づけられていることが分かります。リアルとバーチャル、メディウムの異なるふたつの「武道館」ライブで、どのような違いを見せてくれるのか、とてもワクワクしました。

リフトのようにせり上がる床に乗り二階へと移動すると、歌われたのは「不可解」。「概念」の名に違わず、(狂)ではできなかったような物理的な制約を取り払ったダイナミックな演出やカメラワークをバーチャル空間上でこれでもかと見せつけられます。

ニヒル」、「アンサー」と歌い継ぐと、空中に架けられた通路を渡る花譜ちゃん。武道館という現実から拡張され、空に架け渡された、まさに「架空」の舞台の幕が、武道館中央に咲き誇る桜のステージ、「概念武道館 大樹」で歌われた「裏表ガール」から開きます。しっとりとささやくような優しい歌い方がとっても素敵でした。

歌い終わると、花譜ちゃんの足元の床は浮き上がり、そのまま武道館の屋根を超えて、上空にそびえる現実の物理法則を無視したような巨大構造物、「超構造体COCOON」へと上昇していきます。そして画面に大きく表示される「不可解」のタイトルロゴ。何と、ここまでがアバンタイトル、本編への導入に過ぎなかったのですから驚きです。

不可解
数年前に始まった、不思議な現象
不可解を形作るものは一体何だ
音楽、アート、アンチテーゼ、構築、想像力、可能性の拡張、ただの女の子、誰かを好きになること
不可解はそびえ立つ
巨大な繭となって、私を包んでいる
今宵、世界は繋がる

これは、別れと出発の物語。

超構造体COCOON

「記憶の器」と呼ばれる地点からエレベータに乗り込むと、
”ぼくらのParty”、「K.A.F Discotheque」が始まりました。トウキョウ・シャンディ・ランデヴなど花譜ちゃんゆかりのダンスチューンの流れる中、腕を振り回したりジャンプしたりと、爆上がりな曲に合わせて10分超、踊りまくる花譜ちゃん。なにこれ可愛い。何らかの方法で永久保存されるべき。無形文化遺産に登録されて。

「観測所」と呼ばれる、計器類やパラボラアンテナが並ぶいかにもSFな舞台では、花譜のはじまりの歌「」、そしてCIELちゃんと「私論理」、さらにはAlbemuthのふたりと「戸惑いテレパシー」を披露。コメント欄で「ボスラッシュ」とか言われてましたね。そう言われると超構造体もワイリー城に見えてくる。

アルバムジャケットにもなっていた新たな姿、第四形態「雉」の衣装のお披露目では、「お花とかここ(ポケット)に入れたらめっちゃかわいい」と謎の発想。Twitterでそれを基にしたファンアートが結構描かれてて可愛いです。どんどん描かれてほしい。

そして神椿の新たなプロジェクト、「prompt αU」のテーマソング「あるふぁYOU」を謎の球体状EMAさんとデュエット。概念EMAさん。圧倒的な歌唱力の前には姿かたちなんて関係ないのですね。

続けて崩壊した壁の外から乱入してきたのはVALISのメンバー。遥か上空にそびえ立つこの場所まで、果たして彼女たちはどうやって来たのでしょうか?壁をよじ登るフィジカルモンスターキャッツ。
神聖革命バーチャルリアリティ」、中央に陣取って指揮する花譜ちゃんとその周囲を縦横無尽に動き回るVALISの対比がいいですよね。

「軍鶏(想)」へと姿を変え、舞台はバーチャルなスクランブル交差点へ。姿を現したドラム、ベース、ピアノ、シンセサイザー、ギター、ターンテーブル、バイオリン×2、ビオラ、チェロの11人構成の贅沢なイツメンのバンドメンバーたち。

過去を喰らう」、「海に化ける」、「人を気取る」の三部作が歌われる中、崩壊する世界と上昇する足元。上空の反転した都市はグリッドマンの「コンピューターワールド」を彷彿とさせますね。電子の肉体と現実の意識の融合した存在である花譜ちゃんもあるいは電光超人なのかもしれない。

続けて「未観測地点」にて歌われた「未観測」。さらには「臨界点」へ到達し、セカイ系アニメの精神世界のようなイマジナリー空間で歌われたのは「狂感覚」。サイバー空間、魔法陣、三原色の花といったイメージの背景が印象的でした。

「テクノロジー」と「魔法」、そして「祈り」といった重層的なテーマが混ざり合ってひとつの音楽性に内包される「花譜」という存在の精神性を表象するかのような圧倒的な空間表現でした。

あの夏に私たちが見た景色をバーチャルに再構成した概念武道館からはじまった舞台は、上昇するに合わせてずいぶんと現実を離れ、より内的な精神世界へとフォーカスしていきます。

ラストステージ、「出発の祭壇」では、(狂)で披露の洋服姿で、「影」のような黒い姿のカンザキイオリさんとの「過去を喰らう」「命に嫌われている」のセッションが行われますが、そこでは思いもよらない告知が私たちを驚かせました。

https://note.com/kamitsubaki/n/n0830f51d7182

安全な場所から安全に石を投げている感覚が拭えませんでした」といった、彼の語る言葉のひとつひとつに、「カンザキイオリ」という在り方を貫くクリエイターとしての矜持が感じられます。かつて彼が楽曲を提供した「映画大好きポンポさん」のキャラクター、ポンポさんの「幸福は創造の敵」というストイックさを象徴するセリフと重なる部分があるな、なんて感想を抱きました。

〈セカイ〉の終わり

「花譜」というアーティストはこれまで、その実態として「カンザキイオリ」という存在を前提にその音楽性が成り立っていたのは皆さんもご承知の通りです。

彼が提供する詩と音楽が、ひとりの少女の姿と歌声を媒介して私たちに届けられる事で、「花譜」というひとつの世界がかたどられていたのです

メルロ=ポンティという哲学者の語った芸術論に、「画家は世界に身体を貸すことによって、世界を絵に変える」というものがありますが、まさにカンザキイオリと花譜ちゃんというふたりでひとつの「身体」を媒体として、世界が「花譜」という形の芸術に変換されてきたと言えるのでしょう。

“今日から明日の世界を変えるよ”

不可解ライブ前の定番フレーズ

https://twitter.com/PALOW_/status/1632023242780348416

PALOW.さんの言う通り、「花譜」という存在の、そのはじまりから、私たちの目に映る「ひとりの少女」のその「」には常に彼が寄り添っていました。

MCで花譜ちゃんが語ったように、「花譜」の歌としてカンザキさんの作り出す音楽は、カンザキさん自身の思いはもちろん、花譜ちゃんにとっての「暗い部分」や「嫌な所」を引き受ける余白を持っていて、花譜ちゃんが感情を素直に歌にぶつけることが出来るようになっていたのだと思います。

そんな「花譜」の半身とも言える彼の卒業は、「花譜」というアーティストの音楽性に否応なく変化をもたらすでしょうが、個人的にはあまり不安はありません。

“大丈夫って笑って言えるよ”

「リメンバー」

前回の(狂)で披露された「マイディア」や、今回のラストソング「リメンバー」で示された通り、シンガーソングライターとしての一歩を踏み出し、自身の気持ちを詩や音楽に出来るようになった彼女の「内面」の成長を通して、また「組曲」などの幅広い「外的な」交流の経験を通して、いまや「花譜」の音楽性はずいぶんと拡張されたように感じます。

“世界はどうやら、ふたりだけじゃないみたい”

「出発の祭壇」にて

高く飛べるようになった彼女と彼の、ふたりでひとりの〈セカイ〉はここに終わりを迎え、それぞれの道へと歩みを分かたれますが、いつかまた、再び出逢う日を楽しみにしています。

むすびに

カンザキイオリさん、ご卒業おめでとうございます。これまでずっと花譜ちゃんの傍らに寄り添って頂きありがとうございました。
花譜ちゃん、これから歩んでいくあなた自身の物語、そして作り出していく音楽の世界を期待しています。
春を発つ2人の新たな門出を心からお祝いして、この文章の結びとします。

追伸
今回、花譜ちゃんの「不可解」が「SINKA LIVE」という新たな上部構造に入れ子にされた事についての評価は、今後の展開を見守りたいと思います。これから展開されるであろう神椿市の多次元宇宙が新たな時代のファンタージエンとなれるのか、期待しています。

“云はなかったが、
おれは四月はもう学校に居ないのだ
恐らく暗くけはしいみちをあるくだらう
そのあとでおまへのいまのちからがにぶり
きれいな音の正しい調子とその明るさを失って
ふたたび回復できないならば
おれはおまへをもう見ない
なぜならおれは
すこしぐらゐの仕事ができて
そいつに腰をかけてるやうな
そんな多数をいちばんいやにおもふのだ”
(中略)
みんなが町で暮らしたり
一日あそんでゐるときに
おまへはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまへは音をつくるのだ
多くの侮辱や窮乏の
それらを噛んで歌ふのだ
もしも楽器がなかったら
いゝかおまへはおれの弟子なのだ
ちからのかぎり
そらいっぱいの
光でできたパイプオルガンを弾くがいゝ”

宮沢賢治「告別」より抜粋

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