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同和問題に熱心な学校で私をいじめていたのは被差別部落出身の子ども達でした〜A小(部落出身者)生徒の振る舞い〜

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を見ていただけますと幸いです。
私がこの記事を書く理由などを細かく記してあります。

※部落差別問題を軽視または差別の助長を促す意図はありません※
ただし文中の中で「差別的」だと感じる表現が出てくるかもしれませんので閲覧は自己責任でお願い致します。

中学校内はA小出身者(部落出身者)のパラダイスだった

言い方はものすごく不適切かもしれません。
しかし私はそう感じました。
好き勝手に振る舞うA小出身者(部落出身者)の姿を毎日目の当たりにしてきたからこそ、です。
「同和教育ってなんだろう?」
「同和教育推進校が存在する意味ってなんだろう?」
自問自答の日々でした。

A小出身者(部落出身者)の決め台詞

「私(俺)ら、部落やぞ」
私が在学中何度も聞いた台詞です。

例えばいじめが判明した時「徹底的に話し合おう」というのが学校の決まりでした。
「人は話せば分かり合える」と。
しかしそんなものは幻想だと気付くまでにそう時間はかかりません。
こちらが酷いいじめに遭い、先生に報告します。
生徒指導室にいじめの首謀者といじめられた人間が呼び出されます。
向かい合わせに座り、いざ話し合いが始まるとA小出身者は必ず

「先生、いいの?私(俺)部落だけど」

と言いました。
最初は意味が分かりませんでした。
でもその一言で先生の顔色が変わります。
部落出身者が多いその地域には昔から部落解放運動などに関わっていたお偉いさんが住んでいて、その方の一声でA小出身の生徒の悪行は「ないもの」になるんです。
つまり「ないもの」に対して生徒を呼び出した先生、「ないもの」を訴えていったB小出身者が「元A小の子ども達に対して部落出身というだけで不当な扱いをした」ということに事実がすり替えられてしまうのです。
ものすごく恐ろしいことじゃないですか?

そもそもA小出身者は多大なる恩恵も受けていた世代

だからと言ってA小出身者をはじめ部落出身・居住者への差別が許されるとは思っていません。
部落の方々への酷い差別はずっと語り継がなくてはならないものだとも感じています。
それはもちろん「間違った歴史を二度と繰り返さないために」です。
でもどうでしょう。
私の目の前にいた部落出身・居住の子ども達は
「自分が部落出身(居住者)である」ということを武器にしました。

私が特に不思議だなと受け取ったものを幾つか挙げておきます。

「部落出身だからランドセルはタダ!」
子どもの言っていたことなのでどこまでが本当だったのかは分かりません。
でも小学校入学祝いに地域から買ってもらえるのだと話していました。
ランドセルが一番高額だったので記憶に強烈に残りましたが、ノートや筆記用具も対象だったとの噂もありました。

A小出身者だけ対象に学校の先生直々に家庭教師をする
理由はA小B小の学力差を埋めるため。
確かに入学当初は相当な差があったのも事実です。
ある日「放課後、地域の部落解放会館という場所で勉強会を開きます」というチラシが配られました。
まだまだ塾へ行くのは裕福な家庭の子という時代だったので申込者は殺到。
しかし蓋を開けてみれば参加資格があったのは「部落出身、または居住者のみ」でした。
そこでは19時頃まで現役教師が勉強を教え、お礼に?地域の方々が先生方に夕飯を振る舞っていました。
さすがに今の時代、こんななぁなぁなことは許されないかもしれませんが当時は本当にあった出来事です。
ただこの勉強会については他言してはならず、表向きにはA小B小問わず参加できるというものでした。
部落出身や居住者が様々な方法で学習の機会を奪われた可能性はあります。
ですがA小出身者は無料で塾のようなところへ行く権利があり、B小出身者は自腹で塾へ行くのが当たり前でした。
A小出身者(部落出身・居住者)は不当な差別により貧しい生活を強いられた側で、B小出身者やその周りはそういう扱いを受けていないから裕福だろうという思い込みがこの勉強会への矛盾点を指摘する機会を奪っていました。
しかもA小の子達は「お前らは金ばっかり出ていってかわいそうに」「俺(私)らの特権」と自慢してきました。
B小に通っていた人の中にも貧困家庭はあったはずです。
A小出身だけど部落ではない・居住地域は違うという人も。
部落出身・居住者への長年の信じがたい差別があったのは事実です。
だから自分達の権利を勝ち取った方々がそれを正しく使うことに何も文句はないのです。
ただ自分達と同じじゃない・対象者ではない人に向かってわざわざ煽るような言動をする必要は一切なかったのではないかと私は考えています。

A小出身者の悪行は全て不問
私達の学年は同和教育に取り組み始めたところだったからか、特に不思議現象が多かった気がします。
私が居た学年は
「学校始まって以来、3本の指に入る最悪の世代」
と言われ続けており、校内でも多種多様な問題が発生しました。

・特別教室放火
・部費、給食費などが頻繁になくなる
・いじめと言う名の窃盗、恐喝、性的暴行
・家庭科室の料理酒が飲み尽くされる

などなど毎日のようになにかしら起きました。
その度に「話し合い」の時間が取られ、授業時間が大幅に削られました。
先生はその度に
「犯人探しは意味がないんだ。深く追求はしないように」
と繰り返しました。

特別教室裏は喫煙をする生徒達の溜まり場でした。
部費や給食費の封筒を高く掲げて「カラオケ行く人〜」と募っているのを見ました。
教室内で「今日◯時までに金持ってこい」「◯◯の家は親がいないから狙い目」などの会話を聞きました。
ベロベロになった生徒が家庭科担当の初老の先生を囲んで「先生、さっき酒こぼしてたって〜」「ボケてるから忘れたんじゃない?」とからかい→その先生は心を病んで早期退職をされたのち、大病を患い亡くなりました。

私達は見ていました。知っていました。
だから報告に行きました。
でも「A小orB小どちらの生徒がやったのか」が一番重視されました。
加害者がA小だった場合、先生達は何もしません。というよりできません。
形だけの学年集会を開き「犯人は分からないけどこういう出来事がありました。もうしないように」で終わり。
そんな生ぬるい注意の仕方で改善が見込めるはずもなく、当然のように繰り返されました。

同和教育推進校で勤め上げるとその先生には出世コースが用意されているなどという話もありました。
それが真実ならばまさに大人の事情で多くの子ども達は守ってはもらえなかったのです。
B小生徒の悪ふざけなどが判明した場合は教壇前に立たされ、何度も謝罪させられていたのに。
犯人探しや追及はしないはずなのに。

こんな理不尽が数十年前に実際ありました。
知らない人の方が多いと思います。
私が住んでいた地域も「同和教育推進校のモデルケース」として、大きな成果をあげたことになっていました。
私のように執念深い人間でもない限り今更声を上げる人間も少ないでしょう。
でも私は目の前で、リアルタイムで、何度も何度も自分の力ではどうにもならない理不尽を体験した者として発信し続けます。
私達が奪われたのは学習の機会だけではありません。
当たり前に過ごせたはずの普通の学校生活そのものです。
人生の中の大切な時間です。
正直に言えば、返してほしい。
でも二度と返っては来ません。
それもよく分かっているのでこの場所を作りました。

同和教育が開始される時
「部落の人たちは部落出身・居住というだけで理不尽な目に遭った」
と繰り返し繰り返し習いました。
そういう経験をした人(実際に部落解放運動などで闘ったのは同級生の曾祖母・曾祖父に当たるような方々でした。就職結婚など私生活での差別はまだ色濃く残っていましたが正確には「同級生の何代も前も世代の方々の実体験です)が自分達と出身が違う・居住地が異なるというだけで線引きをしたのです。
されて嫌なことが身に染みて分かっているはずの人達が同じことを主導してやりました。

誰が何と言おうが、思おうが、これは私が知る事実です。




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