夢〜自己中心的な生き方〜

夢とは理想だ。
夢、理想とは自己中心的なものだな、と他の人の記事を見て思った。
「野球選手で1番になりたい」という夢があったとして、その想いと行動が強いほど、反動で他の「野球選手で1番になりたい」という夢を抱いている人を押し退けることになる。
夢や理想を抱くということは、自己中心的になることであり、視野を狭めることだ。
他の人の事情ことを考えていない思考、という見方ができる。

全体のことを俯瞰を俯瞰している人は夢を見ない。
自分の欲求より、空気や風潮から与えられる役割を演じる。
身のほどをわきまえているからだ。
空気や全体の流れを読んで、脇役やモブ、噛ませ犬に徹する。

だからある種、夢を見る人というのは馬鹿なのかもしれない。
しかし人類がみな全体を俯瞰して、達観している状態もロボットのようで気持ち悪いが。


コンビニの主役

僕は今まで理想に生きていた人間だった。

芸能人のような主人公になりたかった。
自分は主役でそれ以外はモブ。素でローランドだった。

歳をとると視野が広がって、そうも思っていられなくなる。
井の中の蛙大海を知るとはまさにこの事。

芸能人は目立っているので、重要なポジションだと思われがちだが、目立っているものだけが重要だとは限らない

コンビニの主役って誰だか考えたことはあるだろうか。
一見店員さんだと思える。
正面レジにどっしり構えているから。
店長さんだとも思える。肩書きがカッコイイから。
だからその人たちが主役で、商品を運ぶトラック運転手は脇役、そして客はモブに見える。

だけどそれは目立っているかどうかであって、重要かどうかはまた別だ。
店員さんがいないと商品は買えないのはもちろんだが、お客さんがいなくても店は成り立たない。つまりコンビニに中心はないし、みんなが中心とも言える。

これは規模を大きくしてもそう。世界に中心はない
資本主義社会においてイーロン・マスクはトップだ。しかしイーロン・マスクを中心に政治は動かない。
イーロン・マスクがいる場所が万人の聖地にはならないし、イーロン・マスクが死んでも世の中は何ひとつ変わらず回る。なぜなら世界に中心はないから。

中心があると思い込むと、考えは歪む。SNSにはよくいる。自分らの考え方だけが正しく、中心であり、理想だと。
意見の内容は分からないが、姿勢としては子供のように未熟であり、視野としては望遠鏡並に狭い。そしてなにより他者を不快にさせている。

よく言えば夢で、悪く言えば自己中なのだ。

分かりやすい意見や派手なもの、賞賛されているものは、一見世界の中心っぽいが、見えにくいところも同じくらい大事だ。世の中は相互影響で成り立っているのだから。

夢を持つなとは思わない。しかし夢への想いが強すぎると、視野狭窄になる。

夢や理想、持つのもほどほどに。

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