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自分の経験バイアス

人間は自分が経験したことしか分からない。

僕は「なんでできないの?」と言われることが多かった。
自分としては必死にやっているのだが、努力不足や甘えだと思われた。
しかし周りは《頑張ってもできない》ことに直面したことが無い(少なくとも僕が躓いている分野では)ので、僕の苦痛を理解できない。

幽霊を見たことがない人は、幽霊を信じないことが多いだろう。
霊感が無い人とある人では、一生感覚の共有はできない。平行線。

僕はいるかどうか半信半疑だが、ひとつ言えることは、人によって意見が食い違うこと。
「体験したからいる」
「体験したことないからいない」
経験しないと分からない。
僕も体験談を聞くことは多いが、それは疑っている。
自分が経験していないから「白い顔が自分の部屋から覗いていた」
「樹海で女の人を見て、学校でも見かけた。私についてきたんだよ」
…そんな話ある?


それは心霊体験関係なくそう。
虐待体験をしたことが無い人は、親なら子を愛して当たり前だと思うだろう。
でも子供を愛さない親は現実にいるようで、最悪死なせてしまう事件も度々起こっている。
そういう体験がない人は、その事実が頭にない。
タコピーみたいな感じ。
不幸な体験をしたことがないと、不幸を信じられないどころか想像すらできない。

自己責任論との関係

貧困や病気に苦しんでいるのは、本人に原因があるとする思想。

こういう思想になる人は、挫折経験が乏しいんだと思う。自分は挫折したことがないなら、挫折した想像ができない。
想像ができないから、その人の主観では存在しないことになる。
真っ当に生きていれば、そんな理不尽には見舞われないと思っている。

現実には自分の行い関係なく、不幸な目に遭うことがあるのに。

聞いても噓や大袈裟な話だと思ってしまい、現実の話として認知できない。それこそ心霊体験の類と同じ受け取り方をしてしまうだろう。

逆の話 

とてつもない成功体験も僕は経験したことがないので疑ってしまう。
AAAの西島隆弘は学生時代モテすぎて、台車に乗せるくらいのチョコをバレンタインで貰ったらしい。卒業式ではボタンを欲した女子たちから、身ぐるみを剥がれたらしい。
役者の山本裕典はバレー部の大会で、他校の女子たちが列をなして応援していたらしい。

これらのエピソードを聞いて、僕は心霊話より信じられないと思った。
体験したことないし、周りでそういう人を見たこともない。
身を持って体験したり、間近でそういう人を見ていたら信じるだろうが。
いや、いたのかな。見てなかっただけで。
虐待も同じ。されていたクラスメイトはいたのかもしれないけど、見ていないからやっぱり現実の話として処理できない。

YouTubeに動画を投稿していた人間は知っているので、地元から有名YouTuberになった例があってもリアルとして受け入れられるだろうが、YouTubeに投稿していた人間を知らなかったら信じていないだろう。

自分の身内から有名人は出たことが無いので、芸能人もどこかフィクションの存在だと感じてしまう。

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