飽きっぽいことは悪いことなのか

僕は飽きっぽい。
熱しづらく冷めやすい性格だ。
粘り強さや継続が美徳になっている日本において長続きしないことは怠惰とされる。
しかし、飽きっぽさというのは悪いことばかりでもないと思う。


損切り

これはギャンブルでも同じ。
ちょっと回して調子が悪ければ止める。
これで継続美徳思想を持っている人が挑むと大損害になる。
ジリ貧の場面での粘り強さは悪い結果にしかならない。
コンコルド計画が証明している。

ギャンブルや負け戦に関しては、飽きっぽさが損切りに繋がる最善の行動になる。
パチンコなんて最終的には店が得するようにしかできていないのだから。

考えの転換

飽きっぽいからこそ改革が生まれる。
もしも全く飽きずに、1つの娯楽だけで満足できている人間ばかりの世の中であれば、技術の発展はなかった。
あったとしても需要がない。
洗濯機もそっちのけで洗濯板を使い、車もそっちのけで自転車を使う。
ジャニーズや推しの子もそっちのけで、令和になっても西城秀樹と水戸黄門のみに夢中。
飽きっぽさがあるからこそ、人間はここまで進化してきた。

まとめ

飽きっぽさは悪いことではない。ことギャンブルにおいてはそう。
僕は思うのだが、人生もギャンブルだと思う。何が起こるか分からない運。だからこそ、なかなか上手くいかないことは労力やかけた時間も度外視して止めるべき。
僕もそうなのだが、飽きっぽさのいいところは、かけた労力も別に気にならないところだ。今飽きてるんだから、過去の労力なんて関係ないと思えるので、過去の栄光にもしがみつかない。

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