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逃げではなく適材適所

今の仕事をやってて、尊敬できる人、この人素敵だなって人はいる。けど、この組織の中では私が尊敬する人は評価されにくい。どちらかというとスピーディに判断する力、ときには必要なものだけを残して後はバッサリ切り捨てる考え方、要領よくやってみんなの意見にその時々で合わせることのできる力(悪口や愚痴をそこまで嫌いでもない人に対して集中攻撃する)、上手におしゃべりして関係を構築する力が重視されているように思える。思いやり、優しさ、慈しみの心、そういうものを持って、数十年間同じ組織の中で、染まらず自分を持ってやってきている先輩方に本当に尊敬する。ただ残念すぎる、この組織だけではなく社会全般においてそうかもしれないけど、そういう人の温かさや一緒にいて心地いいと感じられるような、そういうものが評価されないなんて、つらい。確かにこの組織ではそういう優しい気持ちだけではやっていけない厳しい世界である。私には合わなかった、これからも耐えられる気がしない。私は、心が弱くて、この組織の中では自分の芯を持ち続けていくことも難しいし、きっと周りに染まって生きていくしかできなくて、周りと同じように職場の誰か一人を一点集中でいじめたり、陰で悪口を言ったりしていく人間になっていくし、もうなりつつあった。さらにそういう風に嫌いな行為をする人間になっていくと思うと辛い。なりたいビジョンが見えないし、先輩は素敵だけど、その素敵さを生かせず働いていくのは私は嫌だ。自分が尊敬できる人と、その良さが評価される場所で働きたい。合わないところで無理に合わせてやっていくことはできなくはないだろうけど、どんどん心は荒んで、壊れていく。体調もやっと戻ってきたのに、また悪くなるかもしれない、そうしたらもう働けなくなるかもしれない。
昔からずっと自分の近くにあったこの環境、実際に自分がなるなんて深く考えていなかった。けど馴染んでいて、この環境でやっていくことの辛さも楽しさも全てわかっているし、主に働く人もわかっている。無理に合わせて働くよりも、自分が働きやすい環境を選択した方がいいのではないか。周りはこれをみてもしかしたら今の仕事がうまくいかなかったから逃げたんだ、そんな気持ちじゃ続かないよ。と思う人もいるかもしれない。でも、いま私が働いている組織の人がこの今移ろうとしている環境に来た場合、多分、合わない人が多いであろう。人を切り捨てる厳しさよりも優しさが優先される環境であるから。私もやってみないとわからないけど、安定するまでは頑張るしかない。合わないって感じる瞬間も、やっぱりあっちにしておけば、、と後悔する瞬間が出てくるかもしれないし、いや実際に出てくると思う。ああすればよかった、こうすればよかったと考えるのは簡単だし、楽である。過去の自分のせいにしてしまえば責任転嫁できるから。選択するというのは、今悪いと思ってたことが後で良くなるかもしれないし、その逆もあり得る。人の気持ちは移り変わるから今は嫌でも良くなったりする。一概にどっちを選んだから幸せになるとか不幸になるとかどういう結果になるとかはわからない。今自分にできることを実直にやって、選択の時がきたらどちらかを選択するだけである。今自分にできることをやるしかないのである。過去とか未来とか、それは今ではない、今に集中するしかない。過去は終わったことだし、どういう生き方をしても必ず経験に生きてくるものはある。未来は、今やるべきことをやった分だけの結果がついてくる、それだけのことである。まあ、私にとっては病んで死なずに生きていることが目標で親よりも長生きする、これが最低限の目標なのでそれが達成できればそれでいいなぁ。
自分がもがいて悩んできたことは絶対に生きてくる、このあとの人生にとって自分自身の強い力になる、そんな気がする。
細かいことを考え出すといくらでも考えられるし、止まらなくなるけど、それでもいい。そういう自分として生まれてきたことが何かの使命を背負っていると思う。結果それで何かを変えられたり、誰かを救うことができるのならいいよね。

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