思考力トレーニング:ポートフォリオ思考
まえがき
思考力トレーニングシリーズ。頭の悪い人が陥りがちな短絡的誤認をワンランク上の思考に昇華するフレームワーク。
要旨
ポートフォリオ思考とは
NG思考「Aしても無駄。それよりBしたほうがいい」
思考ステップ1:AとBは本当にトレードオフの関係なのか
思考ステップ2:Aを完全放棄することのリスクはないか
思考ステップ3:マクロ思考とミクロ思考の切り分け
思考ステップ4:必要とされる資本の整理
思考ステップ5:A, B以外に同じ資本を要する必要事項の洗い出し
思考ステップ6:必要なコストと期待効果の見積もり
思考ステップ7:期待効果を得られない時のリスクと対応策の洗い出し
思考ステップ8:資本の配分を考える
まとめ
ポートフォリオ思考とは
配分思考とも呼ぶべきか。本来は取捨選択する必要のないもの同士にバランスを取る考え方。投資のポートフォリオをイメージすると分かりやすい。
昨今、そもそも2択でないものを2択と誤認させたり、両立可能なものをさもトレードオフであるかのように言う輩が増えた。しかもそれらに騙される阿呆が多い。
「英語を勉強するくらいなら国語を勉強したほうがいい。」
→いや、どっちもでしょ。てか他の科目も手抜きせず勉強しろよ。
「家と車、どっちにお金をかけるべきかなぁ」
→とりあえず両方とも安いものからスタートして、不満が大きいものからグレードアップしたら?車を取ったら野宿すんの?しないでしょ?
NG思考「Aしても無駄。それよりBしたほうがいい」
この言い回しには本当に気をつけたほうがいい。
この論法が成り立つのはあくまで「AとBが両立不可能かつ両立不要で、なおかつAに投じる資本をBに充てることが可能で、そのほうがより良い成果が見込まれる」時に限る。
例えば勉強と運動。甲子園出場と東大合格の両立はかなり限られた人にしかできないが、高校生が週30時間の勉強と週に1回、3km程度の散歩なら両立可能だ。勉強を完全放棄してしまうとスポーツで行き詰まった時に路頭に迷う。運動を完全放棄すると体を壊す。つまり、勉強と運動は両立可能かつ両立することが望ましい事柄なので、「勉強と運動はどちらが大切か」のような議論を昨今流行りのディベートっぽくすると、どちらかを過剰に否定する話の流れになる。
政策議論でも注意が必要。「コレに税金をかけるよりアレが優先」論法だが、それが成り立つのは同一の行政機関(省庁、自治体)の予算範囲でコレとアレが両立不可能で、現実的にコレの浮いた予算をアレに配分することが可能な場合のみである。
例えば文部科学省管轄の予算を厚生労働省管轄の予算に振り替えるのは、庶民が想像するよりハードルが高いのではないか。また、コレの予算を全カットしたらそれはそれで不都合が生じるのではないか。といった目線が必要である。
思考ステップ1:AとBは本当にトレードオフの関係なのか
まずはここから疑う目を持って欲しい。本当に両立不可能なのか?片方を捨てても本当に支障はないのか?片方を捨てれば本当にもう片方に浮いた資本を投入できるのか?
部活を辞めても勉強には専念できないし、増税したって福祉は充実しないこともある。片方を切ってももう片方にうまく資本が配分されなかったり、配分しても成果に繋がらないことがある。
思考ステップ2:Aを完全放棄することのリスクはないか
人間どうせいつかは死ぬわけだし、墓場に金は持ち込めないのだから、貯金は無駄。それより今を楽しんだり稼ぐ力を高めるためにお金はガンガン使うべき。老後2000万円問題は子供が無事に自立して夫婦健在で年金収入があり、持ち家のローンを完済した上で2000万円必要という計算。庶民には不可能だし、貧困老人はみんな生活保護だから、中途半端に貯めるほうが人生は損。
読者にはこのくらいの詭弁は綺麗に論破できるようになってほしい。本当にそれを完全放棄しても何の支障もないのか?ということは、まず立ち止まって考える癖をつけよう。小見出しに従うなら、この詭弁の通り宵越しの銭は持たないpaycheck to paycheckな生活をしていると何が起きるか。
一般的に、投資を始めようとすると1年の年収分くらいは投資無しで貯金することから始まる。生活防衛資金である。人生、いきなり恋をしたり病気をしたりすれば、その都度100万円程度は消費するものである。言うまでもないが、貯金ゼロということは結婚も入院もできないということだ。
名著『7つの習慣』にP/PCバランスという言葉がある。自己資本を今の仕事での成果の最大化と自己メンテナンスの両方にバランスよく配分せよということだ。
世の中、「下手でも無駄に見えてもいいから、少しだけでもやっておく」ほうがいいことは案外沢山ある。
思考ステップ3:マクロ思考とミクロ思考の切り分け
政策の話と個人の話はしっかり切り分けて、話の途中で混ざらないようにしよう。ということだ。言い換えれば、物事を考える時は主語を限定しようということである。
政策議論は多くの場合、本来なら予算配分が結論になるのが正しい。A or Bの二者択一となる論題は殆ど存在しない。
個人の話の場合、特定個人の話ならば前提となる状況を詳しく丁寧に見て検討すべきである。話を広げるにしても、「男は〜」とか、「日本人は〜」とか、広すぎる主語には無数の例外が生まれるので結論が出ない。
思考ステップ4:必要とされる資本の整理
何をするにしても、コストというのはお金だけではない。モノ、時間、体力(脳の稼働時間にも限度はある)等である。
例えば勉強しようと決心し、ある資格を取ることを目標に設定した。ならばまずはその資格を取るために何が必要なのかを漏れなく洗い出そう。
何も考えないと、安易にお金だけ、時間だけ考えてしまいがちである。
思考ステップ5:A, B以外に同じ資本を要する必要事項の洗い出し
例えば「家族と仕事はどちらが大事か」という議論。これは時間配分の問題だが、この2つで自分の持ち時間を全て埋めると、いつかは倒れる。セルフケアの時間がないからだ。
このように、限られた時間やお金を配分しなければならない対象は本当にその場で話題となっている2つだけなのか、は常に疑う癖をつけたい。世の中、二者択一にできるほどシンプルなことはあまりない。
思考ステップ6:必要なコストと期待効果の見積もり
自分の時間の使い方を例にしよう。家族、仕事、趣味、勉強、通院、休養、など時間を配分すべき事柄を網羅する。
そしてそのそれぞれに使う時間をゼロ、少、中、多にわけて、その結果を想像してみよう。予想される結果に、それぞれ良い点と悪い点を書き出してみる。すると気付くことがあるはずだ。
勉強はかけた時間にある程度比例して成果が得られるので、他に支障がなければ時間配分は多いほど良い。一方趣味や休養はどうだろう。ゼロにすると疲労やストレスが溜まってしまうが、むやみに長時間趣味や休養だけにすごしても、それに比例するほどの充実は得られないではないだろうか。家族サービスの時間はその他の時間を圧迫するが、ゼロにしたら長期的に家族の良好な関係に悪影響があるのではないか。
それらの全体感を掴んでから、自分の持ち時間を10として各項目に配分してみよう。
仕事 5
家族 2
休養 0.5
通院 0.5
趣味 1
勉強 1
こうした配分イメージを持ってから「家族と仕事どちらが大事」と聞かれても「そのどちらかを二者択一で捨てる気はありません」とキッパリ断れるはずだ。
「二者択一で選ばざるを得ない時は?」
「個別の事案はその時の状況に応じて個々に判断するので、そこに普遍性や一貫性はありません。例えばある場面で家族より仕事を優先したとしても、それをもって私が仕事を家族より大切だと考えてるということまでは意味しません。」だ。
まとめ
二者択一を迫られた時は、まず最初に配分の問題でないかを確認しよう。それがポートフォリオ思考なのである。
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