これからの社会で生きる力を育てる教育の在り方

要旨

  • 社会は変容しているが、危惧されるような形やスピードではない

  • 結局、社会が求めているのは普通の優等生

  • 普通の子には普通の教育が王道

  • 非認知能力を育てることの半分は親の仕事

  • 結局、昭和の家庭像に寄せることが最適解

  • これから大人になる若者の生存戦略


社会は変容している

 AIの進歩で仕事がなくなるからプログラミングを勉強してエンジニアになろう、と志している若人諸君。理系はそれでよい。文系でも机に向かって泥臭い勉強ができるタイプはそれでよい。ただしプライドは捨てなさい。
 AIの進歩で仕事がなくなることが未来の出来事だと思っている諸兄には気の毒だが、大企業では既にAIによる自動化で数十%単位の業務削減に成功する事例が次々と報道されている。昨今話題となる生成系AIは私たちの生活に浸透してきている。記事やコメント欄の要約などはAIが行っているし、企業への問い合わせ対応窓口をAIチャットボットが担う事例は増えている。一方、そのような中でもコールセンターの求人倍率はむしろ上がっている。生成系AIの最先端では殆どありとあらゆるデジタル制作物をAIで作ることができる世の中に既になっている。2024年には更に部分部分ではなく包括的な成果物をAIが作る、より汎用性の高いAIが世に出るようだ。
 それだけ世の中は既に変わっている。AIで仕事がなくなるなら、既に無くなっている。そうなっていないのは、世に出る多くの未来予想と1点だけ異なるのが「仕事が無くなる」ということだからである。

社会の変容は危惧されるような形やスピードではない

 意識の高いビジネスメディアを愛読している優秀な紳士淑女の皆々様におかれましては、来る近未来のある時点で気付いたら世の中の仕事のほとんどが自動化され、一握りの複雑怪奇で超高度な仕事とロボットより人の方が安い肉体労働くらいしか求人がなくなっているような社会が、今ではないが20xx年あたりには来るかも、といった懸念を抱いておいでかもしれない。もしかしたらそうなる時代も来るかもしれないが、いきなりではない。そのプロセスを考えてみよう。思考実験である。
 まず、現在起きていることとして大企業を中心にAIを活用して業務削減、自動化されてきている。いずれ近い未来に大企業が内製しているツールと同等の機能を持ち汎用性のある業務自動化ツールをプロダクトとする企業が出てくるはずだ。既存企業かもしれないし、大企業から独立したベンチャー企業かもしれない。これはクラウドサービスが中小企業にも利用できる形になったのと同じプロセスである。
 次に、現在は難易度が高く属人的にしか提供できないサービスをAIによって薄利多売できる企業が生まれる。予想しにくいのは、それを大企業が率先してやるか、ベンチャーがやるかだ。
 プラットフォームサービスにはエンドユーザーにサービスを無償提供し、収集したデータを元にBtoBコンサルティングを行うというビジネスモデルがある。ここはAIでより安価に同等のサービスを提供する事業者が出てくるかもしれない。
 士業はAIで自動化しやすいと指摘されているが、例えばAIを使って弁護士資格を持たない人物が法律相談サービスを行って対価を得た場合は非弁行為にあたる。同様に、原理的に自動化が可能であっても岩盤規制により日本国内で自動化されない仕事は少なくないだろう。そこはおそらく海外が圧倒的に先行する。Uberが良い例である。これが変わるとしたら、規制緩和で準弁護士や準医師のようなAIを活用して有資格者の監督下もしくは制限された領域内の業務を代行できるようになる可能性はある。自動化ではないが、薬局の登録販売者がこれに近い。Uberの登場が2010年。海外でコンサルティング、医療、教育が自動化されるのがいつになるかは分からないが、短く見積もってそこから10年以上は日本はのらりくらいと旧態依然のままであろう。
 このような流れの中で起きるのは雇用の消失ではなく移動である。大企業では業務の自動化によって一部の部署での人員整理や配置転換が起きる可能性がある。中小企業はそれほど複雑怪奇な組織図になっていないため、再配置も整理も起きにくい。
 結果的にAIで仕事がなくなることを最も恐れたほうがよいのは、35年ローンで持ち家を買ってローン返済中の大手勤務40代、50代である。20代、30代はまだ転職できる。家と少しの損失は諦めよう。ただし、向こう10年20年で想定しうる雇用情勢の変化は、良くも悪くもその程度である。いきなり仕事が無くなったり、ベーシックインカムで働かなくても食べていける世の中になるのは、もう少し先の未来だろう。AIとロボットが生み出す資本収益の15%程度が日本の国家予算を上回る社会を待とうじゃないか。
 ちなみに直近の雇用情勢で求人が伸びている業種を列挙しよう。ホームヘルパー、介護職員、自動車組み立て作業員、宗教家、保育士、栄養士、薬剤師、倉庫作業員、デザイナー、清掃員等である。

結局、社会が求めているのは普通の優等生

 今の大学入試の選抜方法で有利になるのは、得意が光る子ではなく苦手の無い子である。熟慮して批判的に考える子ではなく、大量の情報を与えられた答え方に従い高速正確に処理できる子だ。高学歴な方が就職活動が有利であるならば、企業もまたそのような子達を求めているということに他ならない。

普通の子には普通の教育が王道

 筆者は昨今の尖った才能で成功する少数事例を、あたかも同じ環境に入れば誰でも同じように輝けるかのような期待をさせる論調に懐疑的である。どんな場所にも、いつの時代にも天才はいる。しかし、多くの場合そのような天才児の家は広く綺麗で片付いていることに気付かれたい。学生起業して成功する子は、親も経営者や大手企業出身者だったりする。尖った才能で成功する少数の中でも、明らかに成功の血統は見られる。
 良くも悪くも、トンビの子はトンビ、カエルの子はカエルである可能性が高い。父方と母方両方の祖父母まで遡って似ている人物がいれば、それと似た育ち方をするだろうと思ってあまり違和感はないはずだ。我が子を特殊な環境に入れてあげれば大きく飛躍するかもしれない、と期待するなら、まずは家系にそのような活躍をした人物がいるかを考えることをおすすめする。次に、本人が持続的に興味を持っているかどうかである。どちらも無いことは、まず向いていない。
 いわゆる王道ルート、すなわち全日制の小中学校から自分の学力に合った全日制高校へ進学し、普通科で勉強して自分の学力に見合った大学へ進学することには一定の合理性がある。別記事で指摘した通り、今の教育課程は内容が多い。今の小学校4年生~高校3年生は、勉強が大変だと感じるのが正常である。事実、忙しいのだから。子供が勉強を投げ出したくなった時の初期対応は受験以外の道を探すことではない。勉強を手伝ったり、休養を与えたりすることである。王道以外のルートを考えるのは、家系の大多数が進学しておらず、勉強以外で身を立てていて、なおかつ本人も勉強を望んでいない場合だ。
 後述するが、学力階層、資産階層、収入階層は完全には一致しない。更に、それは幸福度の階層ではない。統計を取ればそれに近い相関は観測できるだろうが、学力と収入に比べたら今の日本では資産と幸福度は他者との比較をしなければ十分な水準を得やすい状況である。もちろん極端な孤立無援の窮状を例に挙げれば全員を救えるわけではないが、典型的な令和の落とし穴にはまる可能性を少し下げることはできるはずだ。

非認知能力を育てることの半分は親の仕事

 まず、非認知能力というのは未来的な人間力ではなく、何の飾り気もない昭和の躾けだと認識してもらったほうがいい。躾に必要なのは、「外に出れば言われて当たり前のことは、指摘する」ということで社会性をつけさせ、その過程でのストレスで子供が落ち込んだ時に避難場所としての受容環境の両面を提供することである。つまり、昭和的な父親と昭和的な母親が実は非認知能力を育てやすい構成なのである。甘えさせてあげるのは、場合によってはおばあちゃんかもしれない。
 怠惰な子供に怠けるなという指摘をしないで育てると、当たり前だが何もできないまま年齢を重ねることになる。落ち込んだ時に甘える相手のいない子は、折れやすい。
 親がどんなに子育てを頑張っても、外の世界での巡り合わせが悪ければ転んでしまうことはある。なので親が全てではないのではあるが、平成~令和の傾向として核家族共働きが増加していることは女性の就業率の向上から見て取れる。共働きでないと生活できない層は仕方ないが、どうも都会に「パワーカップル」なるものが存在する。経済的に余裕のある核家族共働きだ。両親が忙しいと、親は子供の話に付き合ってあげられない。子供の希望に許可と却下でしか答えず、妥協、折衷、置き換えで落としどころを探すコミュニケーションが少なくなる。まして子供も夜中まで塾通いでは、親子の対話の時間がない。
 人生観、人付き合い、哲学などは受験では出題されない。今の世でも、これらを教えるのは親の仕事のままなのである。「そうは言っても~」という阿鼻叫喚が聞こえてくるようだ。どうすればいいかは、後述する。

結局、昭和の家庭像に寄せるのが最適解

 小見出しのままである。読者のため息を無視して具体的に列挙しよう。

  • 夫婦のどちらかはフルタイム雇用を避ける

  • 夫婦両方が同時に疲れている時間を最小化する

  • 主婦、主夫側の実家の近くに住む

  • 実家がなければ親戚の近くに住む

  • 子育ての相談相手を持つ

  • 自分が動ける時は相手を休ませ、自分が疲れた時は相手を頼る

 つまり、所謂都会のパワーカップルを避けよということである。加えて、夫婦の片方にパワーバランスが偏って家庭が閉鎖された小王国になるのも良くない。義理の親は頼りにくいので、家事育児の主担当側の実家を日常的に頼れる環境が望ましい。共働きじゃないと生活費が賄えない、という家庭はまさか都内駅近マンションに住んで車を保有してはいないだろうか?貯蓄型の保険に加入していないだろうか?そこはFPにでも相談したまえ。固定費を絞れば片方が非正規雇用でも生活は成り立つはず。
 その上で子供にどう接するべきかは『子育てハッピーアドバイス』という名著シリーズがあるのでそちらを参照されたい。

これから大人になる若者の生存戦略

 さて、目立った才能もない平均的な中高生はどのように生きれば幸福になれるのかを考えてみよう。

  • 正社員になる

  • 就活対策の実績づくりに1年、応募活動に6か月はかける

  • 困っている友達を助ける

  • 対面で人と関わる趣味を持つ

  • 家族、親戚と仲良くする

  • 家賃は手取り収入の30%未満

  • 30歳前後までに結婚する

 まず、AIで仕事が無いと思う方は求人情報誌を開いていただきたい。仕事は、ある。高学歴でない人がワーキングプアになるのは就職活動を怠り非正規雇用になるからだ。高卒でも正規採用は十分にある。まして大卒で非正規なるのは準備不足である。有効求人倍率が1.0を切る世代が今後出てきたら、その世代はある程度仕方がない。が、目指すべきことは変わらない。ブラック企業に当たるのは応募活動期間が短いからだ。
 今後、どんなにデジタルコミュニケーションが発展しAIが疑似人格化したとしても、対面での人との繋がりを持つ努力はしておいたほうがよい。友達を助けるのは、恩の先売りだ。家族、親戚も同様で、なるべく気軽に頼りたい。お金が出ていくのは多くの場合、家賃が高い。生活費は世帯人員数の平方根倍になると言われている。稀に独身貴族もいるが、統計的には単身世帯の保有資産は相対的に少ない。
 生活に十分な収入を得られるのは、プライム上場企業だけではない。業界最大手が中小企業という業界もある。大企業かどうかというのは、従業員数や資本金で便宜的に定義しているに過ぎない、個人にとってあまり意味のない指標である。
 節約して長期積立投資をすれば収入が少なくても資産形成は十分に可能である。港区タワマンには住めないが、港区タワマンでなければ不幸ということもあるまい。
 些細な学歴に拘って健康を崩したり就職が遅れたり、トレンドに乗って高齢になってもおひとりさまというのは今後も個人の幸福とは逆行するだろう。社会人デビューするまでに対人関係のない環境にいればいるほど、対人関係に潔癖になりがちなことには注意したい。孤軍奮闘してステレオタイプ的なエリートになることを目指して息切れするのではなく、困ったときに頼れる相手や充実した時間を共有できる生身の相手を持つ努力をすることが、大枠として幸福への王道ルートである。


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