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こどもの頃。

自己肯定感が低いわたし。
(それなのに、話しかけにくい。怖そう。興味なさそうと言われることが多いのは何故)
小さい頃からそうだったのかと言うと、多分そうではなく。

小学生の頃は、先頭を切って休み時間男子とサッカーをしたりする子で、
低学年の頃、クラスの一番喧嘩の強い男の子と何故か争いになり、
「本気で戦えば、勝てるんじゃないか」って蹴り合い殴り合いの喧嘩。髪の毛を掴まれごっそり抜けて、周りにいた女の子が先生に言いつけに行って勝負がつかないまま終わったことがある。
※わたしは負けてないと今でも思ってる。

歌のテストでみんなの前で歌うことも、恥ずかしいどころかワクワクしてたし、小3の三学期というなんとも中途半端な時期に転校したのだけれど(この転校にも深い意味があったことを当時は知らず)転校初日とか覚えてないぐらい、不安なんて全くなかった。

転校してよくあるイジメも経験。
席替えで、わたしの席がいじめっ子が好きだった子の隣になったことが気に食わず、漢字を書き終わった人から帰って良いと言われた放課後、鉛筆、筆箱全部取られて邪魔された。それでもわたしは全く悲しくなかったし他の子に鉛筆借りて淡々と終わりにしてたようなそんな子だった。
ちなみに母親はしばらく続いたイジワルを担任に話をしたみたいだけど。何もしてくれなかったけどね。


身体が大きかったから走るのも速くて、マラソン大会では一位、クラス対抗リレーは毎年出場。転校した先で足が速いと有名な子に負けて悔しくて翌年からは一位を譲らず、
水泳が速くてTVにも出たりしたので、目立っていたのかもしれないけど自覚はなかったけど、
いま思えば、遊ぶときの主導権は握っていた気がするし、実は言うことを聞かせていたんじゃないかと思う、無意識というか当たり前のように。

近所に住む双子のおかっぱが好きじゃなくて冷たくしてたら、その子たちのお母さんがうちに殴り込みにきたり。(だって嫌いだったし)
クラスで嫌われそうな雰囲気の男子と、気にせず普通に話すから好きになられたり。
拾った子犬をみんなでこっそり飼ってたらすぐバレてペットショップに連れて行かれたのちに、正直に言えば飼ってあげたのにと言われ、こどもながらにズルイ!って思ってたこととか。

まぁ水泳以外は特に変わったこともなく、小学生にしては大人びてた女の子。


だけど、我が家はとにかく父親が厳しくて、洋服もちょっと派手なのは買ってもらえず、
帰宅時間もうるさく言われ、
バレンタインでチョコをスイミングのおにーさんたちにばらまきたくても許されず、隠して買ったときも全部返品させられた。
色付きリップを内緒で買ってつけたら、ものすごい怒られた。
亭主関白な父が我が家では絶対だったので、母は父の手下のようにわたしを監視してるようだった。

それでもわたしは父のことが大好きで、どちらかと言えば成長するにつれ母親ととにかく仲が悪かったと思う。母との件は、まー本当に色々とあるので別でまとめよう。
一番わたしを形成してるルーツだと思っているし、一番向き合いたくないところだけど。


こうして振り返ってみると、小学生までのわたしって無敵で、自信とわくわくに溢れててたなー。
わたしに逆らえない子とかいそうだし、それにさえ気付いてない勢いで先頭を切ってた気がする。
今もだけど、空気を読んだり気遣いが出来ないから、扱いにくい子だったこと間違いない。
でも、このままの勢いで成長できたら、わたしもっと違うところに行けていたのでは?
もちろん気付いて良かった部分もたくさんあるけれど、いつの間にいろんなものを失っていくんだろう。

自分の子どもたちを見ても、同じような気持ちになるときがある。そのままでいいのに、あーだこーだ口出して押さえつけて、日本特有というか。

子どもたちのありのままを受け入れたいから、まずはありのままの自分を受け入れて好きにならないとね。

少しずつ、ベクトルを自分に。


ここまでの振り返りは、とても平凡で懐かしい。ここから先、わたしの思春期が一気にスタートし、自己肯定感の低さを積み上げていくことになるのでした。

つづく。






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