僕が ボク であるために。
いつぞやラランドのニシダは言った。
「即効性の無い努力は嫌い」と。
クソで甘ちゃんだと思う気持ちがある反面、それ分かる〜〜〜って共感する気持ちが心のどっかにあってニシダの人間性に共感した。そして自己嫌悪した。
「努力」と言われるものに即効性なんてものはないんんだろうし、仮に即効性があるとすればそれは「努力」とは言わないような気がする。
でもやっぱり分かってしまうんだよね。
だって、自分が”したい”と思うことじゃない事なくて、”しなくちゃならない”ことへなんて身が入るわけがない。ましてやそれが「仕事」って言う枠組みであれば尚更。一人で何をしょっててるほどに枠組み以上の何かを求められるんだとは思う。
何かを「したい」と思う自分と、
何かを「しなければならない」と思う自分と、
二つの気持ちが対立した時、僕はどちらも選択することが出来ない。
選ばないからどっちもしない。
でも人生において「しなければならない」ことなんてあるのだろうか?
仕事も。
後輩の育成も。
職位を上げることも。
貯金も
納税も。
恋愛も。
結婚も。
出産も。
子育ても。
恩返しも。
親孝行も。
努力も。
勉強も。
何もかも「しなければならない」ことなのだろうか?
関係性も、
社会性も、
協調性も、
正当性も、
責任感も、
使命感も、
全て余計な「柵」でしかないとさえ思うことがある。
なんてね。
あー。
がんばろ。
ニシダの言葉でふと考えたことでした。
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