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海外で育つ子どもが日本の学校を体験したら⑦注意が必要だと感じたこと

海外で育つ子どもが日本の学校を経験したらシリーズ、まとめ編です。一つ前の記事では、日本の学校に通ってみて良かったことをまとめました。

この記事では、逆に注意が必要だと感じたことについて書いてみます。我が家では、小2で四ヶ月、小3で1ヶ月の日本滞在と日本の小学校への体験入学をしていますが、ここで注意が必要だと感じたのは主に四ヶ月(もしくはそれ以上)の滞在で感じたことになります。ただ内容によっては、短期であってもある程度当てはまるものもあります。


① 離れて暮らす家族との距離感

我が家の場合は私と子ども二人で日本の実家にお世話になり、パパは仕事のため韓国に残りました。日本に滞在する間、離れて暮らすパパとは毎日動画通話をするようにしていましたが…。

「今日は学校どうだった?」
「うん、普通」
「…。友達できた?」
「うん」

簡単な会話で終わる父と息子。その内、その会話中も心ここにあらずな様子の息子を見て、パパはため息をつくように。娘は1才だったため、パパの顔を忘れるんじゃないかと気が気でない様子。4ヶ月の内、途中で一回、韓国への帰国時にもう一回日本にやってきたパパでしたが、それでも息子の誕生日を一緒にお祝いできないことなど寂しさが募っていたようでした。

一方で息子は、離れている分パパを恋しがるかというとそうでもなく、現地での生活が楽しくなるにつれ、パパとの通話もさせられている感が強くなっていき…。

我が家のパパは日本語もずっと初級、日本で生活した経験もないので、日本文化で肌で感じるものを共有するのは難しく、息子が日本での生活に馴染むほど、パパとの距離はすこーしずつ離れていくような感じがありました。

日本での滞在を終えて韓国に戻り再び顔を合わせて生活するようになり、日本滞在中の父子のぎこちなさは自然になくなっていきました。でも、もしあのまま日本での生活期間が長くなっていったら、パパとの距離も自然に離れていってしまったかもしれないなと感じる一場面でした。

余談ですが、1才だった娘の方は、離れていてもパパの顔を忘れることなく、帰ってからも立派なパパっ子に成長。その後の日本滞在では、ビデオ通話でパパの顔を見ると「なんでパパは来ないの?パパに会いたい」と泣くように。今後の長めの滞在では、娘のパパと離れて寂しい気持ちのケアをどうするかが一つの焦点になりそうです。

② 親の思い入れが強すぎないか…?

日本での体験入学は、海外で子育てをしている私(母親)にとって、子どもの日本語教育の大きな中間目標の一つでした。

孤独とも言える海外での子どもの日本語教育。親の強い思いがあってこそ成り立つものではあるのですが、時にその思いが強すぎないか、自己点検が必要ではないかと思う出来事がいくつかありました。

「お子さんにとってのメインはどちらですか?」
これは、4ヶ月の体験入学が終わる頃、校長先生とのお話の中で聞かれたことです。「失礼ですが」と前置きがあっての質問でした。快く受け入れてくださった上での質問だったので、ハッとしました。親の気持ちと現実の乖離…ではないけれど、客観的な立場だからこその質問だったと感じます。

「お母さんの気持を汲み取って、そう言ったのかなとも思える…」
こちらは、これまでのバイリンガル育児の経験をある研究会でシェアした際、7才だった息子が日本の学校に行きたがったというエピソードに対して、移動する子どもたちの教育を専門とする先生からのフィードバックでした。
「そんなことはないですよ」と言い切れる根拠はないので、「そうなのだろうか…」と余白が残るコメントでした。

「ぼく、この冬は日本の学校には行かないことにする」
2年生の夏から秋、3年生の夏、と体験入学を経験して、3年生の冬休みはどうするか、話した時の息子のセリフです。それを聞いた時、なんとも言えない寂しさを感じ、そんな自分に焦りました。

息子がそう言ったのは、韓国の小学校の2学期が長すぎた(9月から1月初旬までが2学期で、その後3月まで冬休み)のに、すぐまた学校に行きたいと思えないこと、友達とスキーに行きたいことなどの彼なりの理由がありました。何も悲しくなる理由はないのに、なんだか胸にぽっかりと穴が空いたような…。子どもが日本語を身につけて話してくれること、日本の文化を吸収してくれることは、海外で暮らす自分にとって、一つの支えでもあり、子どもとの絆のように感じられていたのだと気づきました。

日本の学校を体験してほしいというのは親の期待の問題で、実際にそうするかどうかは子どもに決定権を渡そう、本当の意味で自由に決められるように、親の感情を出しすぎないようにしなくてはいけないと肝に命じた出来事でした。

③ 学習項目に穴が空くこと

例えば2年生の算数なら、かけ算が日本でも韓国でも重要な項目です。2年生で習うということは共通していますが、1年の中で重点的にかけ算を習う時期が違っていました。このため、息子の場合は韓国でも日本でも、学校でかけ算を習っていません。かけ算であれば家庭でもフォローできるので特に大きな問題はありませんでしたが、学年が上がるにつれて、こういったフォローが大変になっていくことは想像に難くありません。

10月に日本にいれば運動会を体験できるかな、という期待もありましたが、あいにく運動会は5月に開催する学校でそれは叶わず。遠足も、韓国では10月、日本では12月だったので、10月は日本、12月は韓国にいた2年生の時はどちらも参加できませんでした。

滞在期間が長くなるにつれて、学校行事への参加の偏りや学習項目の穴が出てきてしまうことは避けられないので、家庭でどこまで補えるかが肝になってきます。滞在期間が長い場合、帰国後の勉強についていけなくなり、その後の勉強につまづくきっかけになってしまったという話も耳にしますので、注意が必要です。

④ 移動による感覚のブレへのケア

韓国への帰国直前、韓国の親友ジュン君が日本に遊びに来てくれました。ところがユウは日本語にどっぷり浸かって生活していたので、とっさに韓国語が出てこず、日本語の分からない友達に日本語で話しかけ続けてしまうということがありました。韓国語は、パパとの通話の他オンライン授業や問題集などもやっていましたが、やはり絶対量は少なかったので、しばらくは切り替えがうまくいかなかったようです。

また久しぶりに韓国の学校に行った日の夜、「ねえ、ママも自分のことバカなのかなって思ったことある?」と聞かれて、それだけ久しぶりの韓国の学校での諸々についていけなかったのかなと心配になりました。

しばらく経つとそういうことは言わなくなり、今は普通に学校に通っていますが、2つの言語と文化の間を行ったり来たりすることは、吸収することが多い反面、子どもに負荷がかかるのも確かです。大人でも国と国の間の移動でボーッとしてしまうことがあるので、子どもなら尚更でしょう。そういった状態への理解と配慮をどうしていったらいいか、考えておく必要があるでしょう。

⑤ 住んでいるだけでは伸びない書く力

日本に住んでいれば、日本の学校に通えば、日本語は自然に伸びるはず…というのは、日常会話については当てはまりますが、読み書きに関しては必ずしもそうではありません。特に漢字は、ただ住んでいるだけでは書く力は全く伸びず、普段からの地道な努力の積み重ねによってのみ、身につくのだなとしみじみ感じました。

体験入学をすると、時期によっては学期の漢字のまとめテストを受ける機会などもありますが、突然のまとめテストでそれなりの点数を取るのも至難の業。時には惨憺たる結果になることも。街の中でも「この漢字なんて読むの?」と何気なく聞いた漢字が日本で育った子にはとても簡単に感じるものであったり、「漢字ができない」と感じる機会がたくさんあります。

もちろん日常に接することや、授業での板書などでもたくさん書く機会があるので、海外にいるよりは吸収が早いと思いますが、過度な期待は禁物でしょう。そして子ども自身は、自分の日本語のバランスが日本で生まれ育った子ども達とは異なっていることに気づく機会にもなるので、それが苦労にもなり、成長の糧にもなり…というところです。「自分は日本語ができない」と卑屈になったり日本語嫌いにならないよう注意すべきポイントでもあります。

複数の言語を使っていることや、普段日本語を使わない環境にいるのにある程度の日本語を身につけていることを誇らしく思えるよう、サポートしてあげたいものです。

まとめ

ここまで、海外で育つ子どもが日本の学校に体験入学をした際に感じた注意点について書いてきました。

離れて暮らす家族との距離感は、複数の言語と文化を持つ家族の間での関係性に関することです。単純に離れて暮らすことが心の距離が離れることにつながりかねないということ以外に、離れている家族が親しんでいる言語と文化と、子どもが新たに身につけていく言語と文化が違う場合にできてくる共有できない部分の存在について、感じる機会でもありました。我が家の場合は韓国への帰国を前提としていたので、結果的にそれほど大きな問題にはなりませんでした。でも、もしも何らかの事情で滞在期間を延長していき、数年間、もしくは中等教育は日本で…と離れて暮らす期間が長期化する場合には、後々大きくなってくる部分かもしれません。

親の思い入れが強すぎないか…?という疑問は、親の期待と子どもの自己決定権について感じたことでした。私自身が子どもの日本語教育への思い入れが強いという自覚があるので(だからこそ海外での子どもへの日本語教育を頑張れたという一面はありつつも)環境を準備して提案はしても、選択は子どもに委ねるというスタンスを意識的に維持していきたいと思います。

学習項目に穴が空くことと、住んでいるだけでは伸びない書く力は、科目学習、日本語学習に関することです。科目学習では両言語で満遍なく学ぶことは率直にとても難しいということ、そしてただ住んでいるだけでは日本語の読み書きは伸びないということ…。体験入学、そして家庭での日本語学習を一体いつまで続けるのか、中等教育ではどの言語で学ぶのかということも含めバイリンガル育児の大きな課題です。

移動による感覚のブレへのケアは、文化間の移動によって子どもにかかる負荷についての視点です。2つの言語を話し、2つの文化の学校生活を体験するー。一見とても意義がある素晴らしいことに見えますが(そしてそのメリットはとても大きいのですが)、子どもには結構なストレスがかかることも保護者が理解しておくべきでしょう。

もちろん個人差もあるでしょうし、苦労なくスッと入り込んで、またストレスなく元の文化に戻れる子もいるかもしれません。でも、もしも子どもが困っていたら、それに気づける保護者でありたいし、疲れてやめたいならばそう言える空気にしておきたい、と思いました。上で書いた親の期待と子どもの自己決定権にも関わる部分ですが、文化間の移動で感じるストレスについて、親子でフランクに話せる雰囲気作りができていたらいいなと思います。

さて、長い間書いてきた海外で育つ子どもが日本の小学校を体験したらシリーズ、ここまでお読みくださり本当にありがとうございました。

次の記事からは、韓国で小学生を育てるママとして、韓国の小学校事情や、似た環境にいる人が知っていたら良いだろうなと思ったことをまとめていきたいと思います。どうぞお楽しみに^^

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