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離島で過ごした3カ月で感じた転換期


この3ヶ月、離島でのお試し移住プログラムに参加して。そして、また都会に帰ってきて。
思ったことを綴っていきます。

離島から京都へ。文化に触れる喜びを実感。

改めて、京都はたくさんの文化に触れられる素敵な街だと感激している。
個人書店や雑貨屋、カフェ。
お店でも人の顔が見える海士町で暮らしてから、
人の個性やストーリーを感じられる手作り感があるお店を見つけられるようになった。
無機質に見えていた街が彩りを持って見えるようになっている。

取捨選択。自分にとって大切なものって何?

「ないものはない」のキャッチコピーを掲げた町から出てきて、京都に戻ったとき、まず最初に何を思うんだろう?

最初こそ、都会の喧騒や人の多さにクラクラしたけれど。
自分のアンテナがぴんと立っていて、自分のための選択をしよう、という意識が胸に落ちていることに気付いた。
その種火のような小さな感覚を絶やさないように、この1週間、自分の気持ちに正直にいることを心がけて。

娯楽やモノが少ない海士町で、必要以上に何かを求めることをしなかったし、そもそも手が届かなかった
これが自分にとって良い経験だったように思う。
広告もほぼなく、テレビも見なかったからCMに触れることもなかった。
この大量消費社会で、自分の内底から求めるものを感じ取れる。
例えば、○○の展示をしている美術館行きたいな、図書館で借りたこの本手元に置いておきたいな、こんな髪形にしたいな、、、戻ったらこんな料理作りたいなetc…
田舎での生活に満足しつつも、都会に戻ったら、やりたいことがたくさん出てくる。
いろんな広告や情報の影響を受けず、自分の中でやりたい優先度の高いものがみつかる感覚をずっと保っていたいと感じた。


ここに来る前は自分の糧になりそうなことは食わず嫌いせずに飛び込んできた。
機会も地元よりずっとたくさんある。それをとにかく無駄にしたくなかった。
それで得た自分の得手不得手。好きなもの嫌いなもの。
自分がどんな人なのか、徐々にわかってくると、疑問が出てきていた。
「このままなんでもやってていいのか?自分には一貫性がないのではないか?」
「世間の言う良いルートは私にとって、プレッシャーになるのではないか?」
自分に自我を持てるようになって、ようやく自分対世間でものを見れるし、好き嫌いがはっきりしてくる。
その気持ちを確固たるものにしたかった。

「自分は○○がしたいです!」といえるようになりたい。
「自分がこうありたい」を言葉にしたい。
情報や広告に飲まれて、自分の理想を見失う。
現状と真逆の理想像を目指す前に、自分の良さを見つけて暖めていきたい。
それが、いろんな経験をさせてもらってその次のフェーズなんだと思っている。
無駄な経験はない、というけれど。
そろそろ経験を自分の足でカスタマイズしていけるくらいに自分の人生に主体性を持っていきたい。





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