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4年前の春とこれからの春


 4年前の春から自分の人生が変わり始めたと思う。


 2020年の年明けからコロナが流行りだして春には緊急事態宣言が出て。その頃から心が毎日ざわざわするようになった。


 そのころの私はこれからも毎日同じところで働き続けるということに違和感があって。何者かになりたくていろんな道を探していた。転職する勇気は無くて。とりあえず一旦病院以外の視点を持ちたかった。大学院に行って看護師の専門的な資格を取ろうか…とか、看護の根本的な部分について研究しようか…とか。はたまた海外に行ってみたい気持ちもあるしワーキングホリデーを考えてみるか…。とか。でもまだまだ経験も少ないしもう少し働いてみるか…。とか。

 そんな矢先にコロナが来た。大流行してこれから2.3年は今までと違う生活になるんだろうなと思ったし、医療職として働いている限りめちゃめちゃ苦しいんだろうなと思っていた。

 思った通り3月ぐらいからすごく忙しくなって、人と自由に会えなくなって。心のなかが空っぽになった。何もしたくないし何にも関わりたくなかった。でも誰かに会わないと壊れてしまいそうだったから友達と電話をしたり、町中を散歩したり。職場で人と会って話せることだけが唯一の癒やしだった。


 しかし職場の状況は深刻だった。毎日めちゃめちゃ重症な患者さんは来るし、隔離が必要なときは部屋の中で1人で対応して。スタッフも家族さんもピリピリしていて。心にくる言葉を言われることもたくさんあった。自分も常にいらいらしていた。物も人も時間も心も足りないのに精密な管理が必要な患者さんがたくさん来はって。毎日何時間も残業して。ご飯食べてお風呂入って眠れないけど床に入ってすぐ仕事に行って。好きな漫画もアニメもゲームもやりたくてもやろうと思えなかった。毎日仕事に行くことが怖かった。自分が関わったことで何か良くないことになっていないだろうか、誰かが苦しみ悲しんでいないだろうかと。いろんな人が泣いていたような気がする。毎日溢れる不安を、渦巻く思考を抱えながら自分を奮い立たせて仕事に行った。


 嵐のように日々をやり過ごしていたら7月になって急に忙しさが落ち着いた。ある朝突然身体中が震えて。寒くて。何も食べる気にもなれなくて。めちゃめちゃ怖かった。とりあえずこの精神状態は良くないので上司に伝えよう、それで仕事をしようと思った。職場に行って朝一で上司に消えそうな声で
「体調が少し悪いのですが、仕事はできると思います。」と言ったら、「休みなさい」と言われた。 
「いやでも休んだらみんなに迷惑が」と言ったら「大丈夫やから。すごい顔してるで。病院行ってこよう。行けそう?予約しようか?」と。

 上司の言葉で涙が溢れた。緊張の糸が切れたように。めちゃめちゃ泣いた。言葉が出なかった。声も出なかった。震えが止まらなくなり、前を向いて歩けなかった。人目を避けるようにして家に帰って。父に迎えに来てもらった気がする。そこからはあんまり覚えてないけど、その週のうちに上司に言われたように身体的な異常が無いか検査して見てもらって。女性内科で中等度のうつだと診断された。とりあえず3週間休むことになり、そのあいだ家族旅行に行った。いつのまにかめちゃめちゃ痩せていたみたいでその当時着たいと思って買った服は、後にすぐに着られなくなった。毎日無感動な感じで。あんまり何も覚えてない。

 医師も主治医ももうちょい休んだほうが良いと言ったけど無理を言って仕事に行った。少しだけ仕事を考慮してもらい夜勤を減らした。難しい仕事も減らしてもらった。それでも仕事をすることが本当に怖くて。手先が震える。夜勤が怖すぎる。一人で患者さんと関わることが怖すぎる。それでもやらなければと思って夜勤も新人指導も3週間頑張った。


 とうとう今までやっていた外来出張も夜勤も無理だと思って休むことにした。心の専門家に見てもらったほうが良いと思って紹介状を持って心療内科に行った。そこでもうつ状態と診断された。よく眠れるように不安が和らぐようにお薬を追加してもらった。しばらく休むことになった。飲み始めて2週間で昼寝ができるようになった。人に会おうと思えるようになった。絵を描いたり日記を描いたり散歩したりするようになった。休んでるだけでは良くならないと思っていろんな人と会ったりやりたかったピアノやヨガをやったり。思いの外すぐに楽しくなった。半年ぐらい好きなことをやったりどこかに行ったり友達に会ったりして。4月からリハビリ出勤をしていいことになった。


 職場に行くのはめちゃめちゃ怖かった。震えた。怖かったことを思い出すし同僚にどう思われているかも気になり。初めは看護助手さんと同じような仕事や、患者さんに関わらない仕事をした。少しずつ先輩とペアなら患者さんのところに行けるようになり7月から復帰した。それでも毎日怖いので業務を調整してもらった。たまに休むこともあったけど2月までなんとか行っていた。またコロナがめちゃめちゃ流行って友達に会えなくなった。辛かった。

 悪夢を見るようになりご飯を食べる量が減り、震えるようになり3月からまた休んだ。半年間休んだ。また働けそうだという気持ちになったとき異動を薦められたが、フルタイムで働いている姿が想像できなかったので、退職してパートとして転職することにした。

 2年前の9月に初めて転職したけど全然続かなかった。やっぱり怖い。他人が自分が信じられない。派遣に登録して行きたいときだけ働いて、興味のある団体とか企業を見に行くことにした。そんな中で大学の先輩の紹介でお寺に行くことになった。


 そこで不思議なお坊さんとお話させていただくことになった。初めてお出会いして初めてお話して。人生の疑問や、人の苦しみや幸せに関する疑問が全然止まらなくてずっとお話してくださった。めちゃめちゃ泣いた。


 私が人を助けたいな、力になりたいなと思うことはとても自然なこと、人間らしいことなのだと、それが慈悲なのだと教えてもらってすごく楽になった。自分は偽善や義務感でそう思っているだけなのだと思っていたから。


 それからお寺で気が向いたときに勉強させてもらったりお手伝いさせてもらっているうちに、自分が気になっていた企業に修業に行かせてもらう機会をいただいた。自分のありたい姿が明確になった。自分が心地良いと思う空間や関係性が明らかになった。


 それからやっぱり看護面白かったよなあと思って、もとの病院に戻って働いてみた。いろいろ思うことがあってこないだから休んでいる。自分が戻ってきたのは自分の過去に執着していたからなんだと思った。看護師として中途半端になってしまった、自分は医療に向いてない、そういう思い込みを客観視することができた。


 もう自分は何もできないとか、何もかも怖いとかそういうことは思わなくなった。どこでも自分なりにできることをやれると思う。次の世界に行こうと思う。自分の過去を見つめて身体で感じて正しく自分を理解しはじめた。


 今は新しいところに行く準備をしている。自分は何かを成し遂げないと、役に立たないと、と思っていた。いろいろな人と会って話して学んで。成し遂げないといけないことなどないし、狙ってできるものでもない。自然に過ごしていて、振り返ったら道ができていた。そういうものなのかなと。道ができていなくてもいいなと。何もできなくてもいい。自分が自分の幸せを知っていればいいかなと。


 学生時代からコメダ珈琲が好きで、何度もリピートしてるたっぷり卵トースト。今日久々に食べてめちゃめちゃめちゃめちゃ美味しかった。美味しく作ってくださったのもあるだろうし、美味しく感じられる自分になったというのもあるだろう。一人で食べてたけどめちゃめちゃ笑顔になった。思わず声が出た。お会計のときにめっちゃ美味しかったですって伝えた。


 4年前から始まった自分のあり方の模索はそろそろ行動として表現できる気がする。それが大層なものでなくて、安定性もなく突拍子もないことでも、自分の中でなんとかなるだろうという気軽さがある。なんとかならなくたって自分は終わらないし世界も終わらない。もしかしたら突然終わることもある。それでもまあ楽しんでみるからまあ見ててって感じ。自分で自分に。


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