見出し画像

私と世界の境界

 どうもちのみすです。この写真は賤ヶ岳から見た琵琶湖です。私は写真撮るの苦手なんでほんまはもっと綺麗です。リフトで上まで登れるのでおすすめ。


 さて今日は、うつになった後の自分と、うつになる前の自分とで認識の仕方が変わったことについて話をします。
 
 うつ前の私は、自分と、自分以外の存在に起こる出来事の境界が曖昧でした。一番わかりやすい例を挙げますと。コロナ禍で病棟や病院全体がめちゃめちゃ忙しかったとき、自分の頭の中では勤務日、休日に関わらず24時間ナースコールとアラーム音、スタッフの話し声、しんどい、このままじゃ誰かが壊れる、大変なことが起こるという思考が鳴り止まないでいました。そして病院全体、日本、全世界の全ての看護師はぎりぎりなんじゃないかと毎日悲しくなりどうにかしたいけどどうしようもなくて泣きたくなっていました。今から考えれば、これだけ多くの人間がいれば、一人ひとり違う考え方や感じ方がある。適材適所という言葉がある。だから社会は回っている。私と全く同じ人はいない。そして私がしんどいことと、社会が大変なことは関係はあるけど全く別問題である。

 そう思えるようになったんだなあとふと今わかりました。それは親に私の進路について話していてわかりました。私の夢について話すと、母は何か思うことがあるようで私が就職を考えている職場のパンフレットを読んで切なそうにしていました。以前の私なら親が悲しむならやめといたほうがいいかな、とか応援してもらえないのかな悲しいなと悲観していたかもしれません。(きっと応援はしてくれてるんですよ笑) でも母の思いは母にはなくさずに持っておいてほしいし、私は私のやりたいことをするでいいんだと思えました。

 そのとき私と母は性格は似ていたとしても、全く別の人間である。その人の人生はその人にしか生きられない。私にとって大事な他者が私に対して思うことがあっても、私にしか歩めない人生だ。だから私は私の信念に従い生きる。自分と、自分以外の世界しかないという事実があるのみ。それ以上もそれ以下もない。自分の中で起きていることと、自分の外で起きていることを同一化しないということが、人と関わる中で心を疲弊させない、自分を大事にするための大切な視点だとわかりました。他者に共感?しやすい私は病棟で働いている頃から自分と他人は別だということを意識することが課題だねと言われていましたが、ぴんと来ていませんでした。それが2年近くかけてやっとわかりました。共感性の高さという私の長所も上手く自分と世界の境界を掴むことで活かせるんじゃないかなあと。
 
 最近の世の中は、SNSや情報の発達で自分以外の世界を容易に知ることができる。でもそれって本当に自分が感じている世界なのだろうか。もしかしたら自分自身の妄想や想像が事実を知るための障壁になっているかもしれないなと。SNSや情報の使い方次第で世界は広がるし境界は曖昧になる。実際に会って話してみたり体験することで感じる世界ってこんなにおもしろいのかっていうことを最近気づきました。多様化する世界だからこそ、世界について自分の肌で感じで、自分の輪郭、境界を明確に意識することができたらいいなと思うこの頃です。

 まあ要するに心置きなく旅行や遊びが楽しめる日が来ることが楽しみですってことですね!今も可能な範囲でいっぱい肌で感じて楽しみまーーーす。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?