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うつの経過②〜うつ急性期の感情と思考〜

 こんにちは。ちのです。今日は3週間に一回の診察です。うつのこと振り返るのは結構エネルギーがいるみたいです。


うつ症状と診断されて

 結局、うつと診断されてから朝起きられなくなり、仕事が怖くてどうしても行けなかっため、また同じ週に受診し、診断書が出て3週間休むこになった。わかりやすい症状が出て友達に話したのは2020/7/14だったと記憶している。それまでの2ヶ月、手書きの日記で思考を整理したり、好きなものに触れて紛らそうと過ごしてみたけど仕事が怖い、看護することが怖いという気持ちは軽減しなかった。

 2020/7/20に女性内科を受診し、抗うつ薬(ジェイゾロフト5mg夕1錠分1)、抗不安薬(リーゼ10mg朝夕2錠分2)で飲み始め、7/21から3週間の病気休暇となった。抗うつ薬は飲み始めて2週間程経ってから効果が出始めるそうで。血中濃度の加減かな。今まで仕事を休んだことって、ほとんど無かったからめちゃめちゃ罪悪感に襲われた。

 7月に入ってからはほとんど実家にいた。母に頼りきりだった。両親は特にその頃何も言わないでいてくれた。しんどかったら帰ってきなさいぐらい。それがむしろありがたかったな。心配されすぎると、今までの自分の対処はあかんかったのかなってなるから。


休み始めてから

 休んでからの一週間はまじで何もしたいことがない。眠れない食べたいものもない。一人でいることが怖い。ニュースや些細な物音から連想して、災害が起きたら、誰か侵入してきたら、とか普段なら考えない不安が浮かぶ。24時間仕事のことを考える。夢の中でも起きててもナースコールやアラーム音、救急車のサイレンの音が聞こえる。あのとき私がした看護は、処置は、記録は、患者さんは大丈夫かな。って勝手に不安が浮かんでぐるぐるしてこめかみと眉間が重い。眠れない。SNS(インスタとTwitter)見たら、同級生の結婚、出産ラッシュで落ち込むから見たくないけど見ちゃう。とりあえずSNSを遮断した。しんどくなりだした5月から色筆ペンやスケッチブックを買って昔好きだった絵を書こうと思ったけど書きたいものもなくて、何もしたいことかなかった。

 一週間ひたすら実家で毎日家事もせず友達とも会わず過ごしていた。友達とごはんに行く体力も無かった。それでも支えになったのは親友がくれる、最近どう?調子はどうや?っていうあったかくて押し付けがましくない連絡だった。ラインを見てもすぐに返信できないから気が重くなるけど、気心知れた仲の友達は既読して時間が経って返信しても何も言わずに世間話をしてくれる。病気のこととか聞かないで何も言わずに側にいてくれる。私が話し出したらうんうん、そうやったんか〜って否定も励ましもしないで気持ちを受け止めてくれる。そういうさりげない思いやりに救われた。私もそういう関わりができるようになりたいと思った。


外出できるようになってから

 少しずつ家にいることが退屈になってきた。何より社会から完全に隔離されているような気がして寂しかった。会いたい人に声をかけてみた。学生時代の恩師や、職場を辞めた先輩に連絡すると、すぐに会おうと言ってくださった。ありがたかったのは、当日の気持ちや体調次第で予定をキャンセルしてしまうかもしれないこと、遠出ができないこと、怖くて車に乗れないことを伝えると快くちのさんの一番楽な形で会おうと言ってくださったことだ。

 その頃の私は、うつ状態である自分をいまいちわかっていなかった。教科書やネットの知識としては知っているけど、一週間近くで動けるようになったし、仕事は怖いけど長く休むなんてできないし、復帰することが当たり前だと思っていた。何よりコロナで世界中の医療従事者が大変な思いをしている。所属している病院も対応に追われて無理な人事異動や勤務形態をしている。このままでは近いうちに医療崩壊が起こる。私のように倒れる人がたくさん出てくる。そうなる前になんとかしたいという思いがあった。


うつのときの感情

 なんとかしたいけど何をしたらいいかわからない。当時の私は、医療従事者が体と心張って患者さんの命を守っているのに政府や病院の経営が一向に現場の状況を把握していないように見えていた。挙句の果てにコロナに罹っているんじゃないかと、医療従事者の子どもが辛い言葉を言われることもあったと聞いた。言葉では言い表せないほど悲しくて怒っていたのだと思う。

 もともと学生の頃から医療従事者の働き方に疑問を持っていた。実習で朝から夕方まで指導してくれていた看護師さんが、次の日の朝来たら、夜中働いていたんだよと言う。なんで専門的で知識も技術も体力も精神力も必要な仕事なのに、人間らしくない働き方をしているんだ?本当におかしいと思っていた。実際に自分自身もその働き方をしてからも、おかしいとは思いながらもどうしたらいいかわからなくて遊んで紛らわしていた。そんな自分の中の疑問が、コロナ禍で世間の中でも顕在化して、休んでやっぱり過酷だったんだと気づいた。気づいてからは、働いているときも休んでいるときも毎日ずっと怒っていた。その感情を、思考を人に話しても解決はしなかった。でもきっと話すことで整理はされていたのだと思う。解決しないことを考えても仕方ないとは思えなかった。私の友人には医療従事者がたくさんいて、みんなしんどいながらも明るく頑張っていたことを知っていたから、本当になんとかしたかった。だから考えることをやめられなかった。でも今思えば、私は私を、助けたい人の中に入れられていなかった。自分も頑張っていたのに。休むことになったから、私はみんなより頑張ってないから、早く復帰して、元気に働いて、いっぱい考えてみんなが働きやすい環境にしないといけないと思っていた。自分のことを認められない、見つめられない程に無理をしていたんだ。遅かれ早かれコロナ禍があろうとなかろうときっと私はうつになっていた。自分のことを見ていない自分に気づかないま3週間の病気休暇を終え復帰することになった。

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