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日本一になったあの時から、今まで。

初めまして。幸せの馬といいます。今回書く記事を通して、努力とはなにか、才能とはなにかを話していきます。早速ですが、タイトルにある日本一って、なんの日本一?日本一ってやべえな。記事を見てくれている方々からすると、そんな気持ちだと思います。私は、陸上競技をやっていて、住んでいる都道府県の選抜で、国民体育大会で優勝した経験から、現在に至るまでの話の、序章を今回話そうと思います。次の話も読んでくれる方は、フォローお願いいたします。全国一になったのは、高校1年生の秋に差しかかる頃でした。都道府県の選抜の4人に高校1年生の私は選ばれ、第1走を走り、日本一に輝きました。個人の100mのタイムも、10,80と、誰もがわかりやすい10秒台という称号も持っていました。そして驚くべきことは、私は中学3年生から10,99というタイムを持っていて、全国屈指の短距離選手だったのです。日本人の方のほとんどが知っている、9.98をたたき出した桐生祥秀選手のような選手になることを見込まれた選手でもありました。実際に私も、そうなる自信がありました。ここで皆様に1つご質問です。あなたが、なにかのスポーツでトントン拍子で日本一になったとしたら、その後どんな気持ちでそのスポーツと向き合うでしょうか。答えの予想としては、次は個人で日本一になる努力をする、はたまたもう一度国民体育大会に出れるようにもっと練習する。このようなさらなる高みを目指すのがスポーツマンシップであり、部活動のあるべき姿でしょう。私ももちろんそう思います。ですが皆様の中にもしかしたら、僕、私は日本一になったら浮かれちゃって、チヤホヤされて気持ちよくなっちゃうな〜なんて考えた人はいないでしょうか?私は激しくそうでした(笑)。それもこれも無理はありません。中一から始めた陸上競技で、大した苦しい練習もしてこなかった自分自身が、10秒で走ったり、日本一になってしまったのですから、鼻は伸びに伸びきって、ふんぞり返って天狗どころではなくなってしまいました。それくらい私は自信がありました。なぜかとは言うまでもありません。努力なんてこれっぽっちもせず、才能だけで気づいたら日本一になっていたからです。そこからは最悪です。高校1年生の冬季練習というとても辛い練習が始まる中、積み上げてきたトレーニングが周りと比べ少なかった私は、すぐに腰を怪我しました。そして、毎日練習は芝生の上で軽いジョギングや、補強でした。それも半ばこなすだけで、時間が過ぎるのをただしのいでいただけにすぎなかったのです。その結果、高校2年生の1年間、中学生で出していた10秒台を、1度も出せず、その1年間は11,00という記録で幕を閉じました。関東新人という大会に出場したのがこの1年の最高実績でした。ここで皆様は、ばかだ、もったいないと思ったかもしれません。ですが当時の私には気づくことは出来なかったのです。なぜかというと、練習してない結果どんどん足が早くなっていたのに、なんで今まで通りしてたのに足が遅くなったんだ。そんな感覚が多少あったからです。序章はここまでになります。ここまでで何を言いたいかと言うと、努力と才能というのは、必ずどこかで逆転するということです。どういうことかというと、才能で勝てるレベルには限界があるということです。これはスポーツに限らず、なんでもそうだと思います。歳を重ねればかさねるほど、人は努力を覚え、努力のやり方を覚えます。この話をしていく上で常に訴えたいのは1つです。「努力も習い事」だということです。ここまでで序章を終わります。歯切れが悪くなってしまいましたが次回のnoteもお楽しみに。幸せの馬でした!

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