無趣味だった私が見つけた趣味は、30年欠けていたものを取り戻してくれた
写真が楽しい。
30数年生きてきて、趣味と言える趣味がなかった。
これが好き!と言えるものがあまりなくて、
「趣味はなんですか?」という質問が人生で一番苦手なんじゃないか?
というくらい、趣味と言えるものはなかった。
旅行・・・・まあそれなりに行くけど、大好きで海外旅行年何回も行っちゃいます!というわけでもない。国内旅行に至ってはここ数年ほぼ行ってない。疲れるし。
読書・・・・月に2−3冊くらいは読むけど、大好きでたくさん読んでます!というほどでもない。
20代の頃は、超激務の会社で9割仕事の生活をしてたから、仕事以外の時間はほぼ飲み会か人とご飯食べに行っていた。けど、恵比寿や銀座のおしゃれなお店をたくさん知ってるわけでもないし、お酒に詳しいわけでもない。ただその場の雰囲気と、お酒飲んでフワフワする感覚が好きなだけで、人に語れるほどのものでもない。(そしてその過ごし方を後悔もしている)
子どもの頃も特に好きだったこと・・というのも出てこない。
裕福ではない家に育ったこともあって、「あれが欲しい」と思う欲求を押し殺し続けていたら、「あれが欲しい」と強く思わなくなった。どうせ手に入らないから。学校も厳しいし、「これやりたい!」なんて自分の意思を出そうものなら殴られる時代。高校は中途半端な進学校に入ってしまい勉強に厳しかったから、「やりたいことなんて大学に行ってからやれ!テレビなんて見る時間、部活をやる時間なんてにお前らにはない!」なんて言われた。(その先生が嫌いすぎて、理系が得意だったのに文系を選んだくらい。けど今思うとその選択は良かったから、ある意味先生に感謝)「あれやりたい」「これが好き!」みたいな感情が薄かった。地元が好きじゃなくて、そこから抜け出す切符は「勉強」だったから、必死に勉強をしていた。塾・予備校には行けなかったから(地理的な問題と金銭的な問題)、独学でやるしかかくて、そうなると非効率だけど時間を投資するしかなかった。
そんな環境で育ったこともあってか、
「好き」「やりたい」という感情が私には欠けていたんだろう。
そんなこんなで過去振り返っても、なんだか「趣味」と言えるものがなんだかなくて、そんな自分がつまらないなあ、薄い人間だなって思っていた。
「趣味は●●です!こんなことが好きで〜・・・」と言える人がすっごく羨ましかった。
最近の私の生活を考えても、仕事・育児でほぼ100%埋まる。
でも、複数の収入の柱を得たい!そういった気持ちからいろんな活動を始めて、仕事以外にもVoicyやったり、本書いてみたり(これらの活動をなんと名付けよう・・・複業・・とはちょっと違うんだよな・・)、いろんな人と出会ったり、幸福学を学んだり。ワクワク楽しい毎日に変わって、ここ数年は本当に充実している。とっても幸せだと感じることが莫大に増えた。
けど、「もっと効率的にやらなきゃ!」「もっと動かなきゃ!!」
こういった気持ちがずーーっとどこかにあって、動けていない時は凹む。だからずーーーっとなにかに追われている感覚がある。でもそれは今に始まったことではなく、昔から。高校生くらいから、「もっと動かないと」と思っていたように思う。
私のような平均以下の人間は、動き続けないと人並みになれない。
この気持ちが私の根底にある。今もずっと。
話は変わって、私は写真にあまり興味がなかった。センスがないから映え写真も撮れないし(笑)、インスタもあんまり活用していない。美味しいご飯の写真や、その時会った人との写真も自分から撮ろうとは言わない。撮ろう!と言われると全然嫌じゃないし、むしろ私からは言わないから、写真として残せてとってもありがたい。
「SNSに上げられると思って写真嫌だと思う人もいるよな〜」「写真撮られるの嫌だと思う人もいるよな〜」なんかそんなことを考えてしまい、自分から写真を撮ろうとか、スマホを手にとって写真を撮ることをしなかった。(撮ってくれる人に対しては不快感は全く覚えない。私は取られるの嫌じゃない。けどたまに断りもなくSNSあげる人とかがいるからそういうのは困るけど)
スマホにはたくさん写真は残っているけど、あんまり見返すこともない。
写真ってその時の状況を鮮明に思い出す。写真に写っていないその時の感情、置かれている状況。その写真をフックに、その時の状況が脳の中にフラッシュバックされる。写真では笑っていても、心では泣いている時、そんなことも思い出してしまう。だから私は子どもが赤ちゃんの時の写真をあんまり見れない。その当時の子どもの笑顔の写真を撮っていた私は、真っ暗な世界にいて、光が見えなくて辛かったから。あ、泣きそう。(パソコンがぼやけてきたよ・・・)
そして、過去を振り返る時間、思い出に浸る時間が無駄だと思っていた。子どものために、選択肢をたくさん作ってあげたい。そのためには今ある時間を効率的に、無駄なものを排除していくしかない。
私にとって、写真を眺めて過去を思い出す時間=無駄な時間 だった。今とにかく動いて、未来を作る。過去なんて振り返る余裕も時間もない。
でも、最近、幸福学を学んだおかげで、「幸せ(ウェルビーイング)」について考えるようになった。私の幸せってなんだろう。どんな時に幸せと感じるんだろう。昔から「どうやったら幸せになれるんだろう」と誰よりも考えていた。けど、自分の幸せは何なのか?そんなことを幸福学に出会ってからは、ずーーーっと考え続けていた。
「心穏やかで余裕のあるしなやかな人になりたい」そんな理想が見えてきた。もちろんやるときはやる、ダラダラするというわけではない。けどどこか心に余裕があって、しなやかな人。
私には「しなやかさ」はないように思う。いつもがむしゃらで、全力疾走している感じ。でもがむしゃらに走らないといけないんだ。走らなかったら平均以下なんだ私は。でも、本当は、しなやかな人になりたい。しっかりとした足取りで、自分のペースで、長距離のマラソンが走れる人。そんな人に憧れるようになった。子どもが少し大きくなって、一人の時間を取れるようになって、収入も上がって、やっていることの成果も少しづつ出てきて、心に余裕が出るようになったからかもしれない。私がよく行くカフェの店長さんが「あの子、昔はガツガツした感じの雰囲気だったけど、最近感じが変わったよね」と言ってたよと常連さんから教えてもらった。
またまた話が変わって。私は桜が好き。寒い冬が終わって、白に薄いピンクがかかった儚い美しい色に、日本全体が囲まれて、人の心を暖かくしてくれる。桜を見るときって、上を見上げる。落ち込んでるときって下を向きがちだけど、桜があると自然と上を見る。この時期はみんな上を見上げている。それだけで人の心って明るくなる。ふと、桜の写真、綺麗に撮りたいな〜。と思った。
ちょうど息子がスポーツの習い事をしていることもあって、この瞬間を綺麗に収めてあげたいなと思っていた。
綺麗な写真って、見るとワクワク幸せになる。自分の写真も写りが良かったときって、すっごく嬉しい。30代半ばの自分って今しかない。自分もふくめ、そんな「今」を残しておきたいな。そう思うようになった。
それなりに高価な買い物なので、買うことを迷ったけど、結局買ったのが、オリンパスのミラーレスカメラ。OM-D E-M10 Mark IV。このカメラを買う経緯も色々面白かったけど、長くなるので割愛。
そして買って数週間。めちゃくちゃ楽しい。本当に楽しい。素人の私でも綺麗に撮れる。仕事で行く街の桜を撮って、子どもの姿を撮って、街の風景を撮って。つい見返してほっこりしてしまう。仕事してても、早く写真撮りに行きたいなーって思ってしまう。
何より嬉しいのは、人の写真を撮って、あげると喜んでもらえること。
「こんな素敵に撮ってくれてありがとう」
習い事のママさんや、友達に言ってもらえて、すっごく嬉しい。景色の写真もいいけど、私は人の写真が好き。人の素敵な表情とか、その時の雰囲気を残せて、誰かの幸せを生めるから。
「写真が楽しい」
これは私にとって、自分が変わったという大きな変化。過去なんて見ない。未来を作ることだけに必死だった私が、今を大切に残したい。そう思えるようになった。お金を生むわけじゃないけど、ただただ楽しい、幸せ。そんな過去の私にとって「無駄」と思えることが、幸せ、楽しいと思えるようになった自分の変化が、すっごく嬉しい。
それは今とても幸せだから。愛してくれる息子、周りにいてくれる人、そんな人たちのおかげで、私は変われたんだ。この環境に心から感謝したい。大好きな人たちの素敵な写真をたくさん撮りたいな。喜んでもらいたいな。ちょっとでも幸せを生みたいな。大好きな友達の優しい笑顔とか、愛する息子の真剣な眼差しとか。たくさんの「今」を残したい。
一瞬で飽きるかもしれないけど(笑)、人生で初めて趣味と言えるものを見つけた記念年の2022年3月。オリンパスくんを持って、いろんなところに行って、素敵な「今」を積み重ねたい。その今が未来につながるし、私を作ってくれる過去になるから。
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