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あかんたれにいちゃん3

窮地に陥ったにいちゃん

兄がなぜ、お金に苦労するようになったのか。それは離婚がきっかけだったようだ。この離婚もかなりごたごたしたことを覚えている。
兄は、今で言う授かり婚だった。忙しいと言いながらもいつの間にか彼女を作り、子供まで作っていた。家族にとっては驚きだった。
兄は人間関係をうまく保つことが苦手なので、友人はわずかだった。結婚式に挨拶してくれる人がいなかったのだろう。親父の親友が兄の子どもの頃のエピソードを話してしていたのが不思議な光景だった。
兄にはいろいろと迷惑をかけられていたが、そんな兄を私はどこかでかわいそうだと思っていたような気がする。

兄の奥さんは、とてもヒステリックな人だった。奥さんのお父さんは自宅で商売をやっていたため、子どものお風呂は毎日のお父さんの日課だったようだ。それを兄にも要求していたようで、いろいろと価値観の違いに苦労したようだ。
その頃、兄はIT会社に勤めていたが、奥さんの要求に応えることが難しく、IT会社を退職して奥さんの親戚の元で修行をして、非破壊検査会社を立ち上げ独立した。

しかし、そう簡単にお客様が見つかるわけもなく、苦労していたのを私がみかねて、知り合いの都市開発会社を兄に紹介した。これが間違いだったと私は悔いている。双方にとってメリットがあったようで兄は都市開発会社から仕事を請け負うようになった。しかし、どん底までの苦労をしなかったため、独立するということがどれほど大変なことかを学ぶ機会を逸してしまった。

仕事を請け負うことになったのが金銭的にはそれほど楽ではなかったことは容易に想像がついた。そのため、私の子供と兄の子供が入園する時、お祝いのやりとりをする場面があったが、私は、お祝いのやりとりはなしにしようと兄に提案したのだ。(今から考えると、結局プラマイゼロなのでなぜそんな提案をしたのかとも思うが)兄もそれに同意してご祝儀袋を持ち帰った。ところが、それを自分の車のドアのサイドのポケットに置きっぱなしにしていたようだ。
それを見つけた奥さんが、兄に事情を問いただした時、兄は、私が受け取らなかったと説明したため、奥さんは私に怒りを感じたのだった。その数カ月後、おふくろの誕生日祝いで実家に兄弟家族が集った。その時、兄が私に「奥さんに謝ってくれ。どうにもおさまらないんで」と言った。私は「えっ?双方で話したよな。自分でちゃんと奥さんに説明しろよ!」と言うと、納得してもらえないから謝ってくれという。

その日はおふくろの誕生日祝いということもあり、不穏な雰囲気を解消せざるを得ず、私は兄の奥さんに謝った。すると、奥さんは、私が非常識な人間だと罵り、攻撃し続けた。腸が煮えくり返る思いだったが、母のために必死に堪えた。
奥さんの攻撃が収まった後、兄からは「すまなかった」「ありがとう」の一言もなかった。何事もなかったように笑いながら飲み食いしている兄夫婦を見て、私には何の感情も沸き起こってこなかった・・・。

それから1年ぐらいして、兄は奥さんと別れるために離婚届を渡したと言っていた。価値観の違いもありやむを得ないと両親も思っていたようだ。私も、あのヒステリックでは一緒にいるのは大変で、いずれそうなると予測はしていた。しかし、その後どうなったかは耳に入ってこなかった。それから1年後ぐらいに、兄のところに次男が誕生した。
両親も私も弟もびっくりした。離婚するんじゃなかったのか?話し合ってやり直したのか?。次男の誕生は喜ばしいことではあったが・・・。

悪夢のはじまり

子はかすがいという言葉もあるが、結局この数年後、奥さんのヒステリックが爆発し、兄は離婚することになった。兄が帰宅した時、兄の服がハサミで全て切り裂かれており、身の危険を感じて兄は家出をしたようだ。兄の女性問題もあったとかないとか・・・詳しいことは知らないが、もともとヒステリックだった奥さんが兄の無神経さでモンスター化してしまったようだ。家出をした兄を不憫に思い、両親が実家に兄を住まわしたのだが、これが悪夢のきっかけになってしまった。

兄が離婚する際、奥さんが事業を始めた時に出した資金の数百万円を即回収したことにより、兄の事業の資金繰りが一気に悪化した。実家に住んでいる兄は、母に顔を合わせる度に、お金を貸してくれというようになった。父は、脳梗塞の後遺症で脳に障害が残り、込み入ったことを理解することはできないため、兄が母に泣きつく毎日がはじまってしまった。そのマイナスの雰囲気に飲み込まれ、母は少しずつ兄にお金を貸すようになってしまった。私や弟に内緒で・・・。
                                 つづく


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