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あかんたれにいちゃん8

この小説を書いている今感じていること

まだまだ先は長いのだが、この小説を書き始めて感じることがある。
何年間も蓋をしていて一生開けないつもりだったパンドラの箱を開けてみたら
どうなるのだろうと思っていた。あの時の感情は忘れていることを少し期待していたが、そうはいかなかったが、負の感情が薄れていることを感じた。時間が解決してくれるという話があるが、それだろうか?これまでも、兄に対する怒りは時々自分の中でぶり返してくることが何度もあった。その度に怒りや憎しみの感情の渦に引き込まれそうになったが、断ち切る勇気を奮って、渦に落ちないように必死にしがみついていた。

過去は変えられない。でも未来は変えられるという言葉がある。
頭ではわかっているのに、どうして人は過去に囚われてしまうのか。過去の経験を頭の中で繰り返し、何度も同じ気持ちを味わってしまうのか。
過去を悔いても何もいいことはないことぐらいわかっているのに・・・。
そんなことをあらためて考えるいい機会になっているように思える。
自分はそこからどのように脱することができたのか。客観的に振り返ることはななかったが、過去を紐解きながらその答えを見つけることができたら、きっと他の人の役に立つかもしれない。そんなことを考えながら、この小説の続きを書いてみたいと思う。

建築事務所倒産

どんな案件だったかよく覚えていないが役所関係の仕事だったと思う。
長野の建築事務所から兄のところに支払いを1ヶ月遅らせてほしいとの連絡があった。12月のことだった。その入金が私への返済になるはずだったため、兄が私に相談してきたのだ。私は嫌な予感がした。理由も曖昧な感じで、譲歩はしないことを先方に伝えるように兄に伝えた。

しかし、譲歩をせずに支払いを強行することによって、悪い噂が立ち、業界での自分の立場が危うくなり、今後の仕事に支障が出る可能性があるため、譲歩してほしいと兄が私に頼んできた。兄はその事務所に足を運んだが、疑念を抱くようなことはない立派な事務所だと主張した。

私はどうも胸騒ぎがしたため、役所経由の支払い分の半額を役所と交渉して、直接、兄に支払うことでで譲歩することを認めたのだが、胸騒ぎのとおり、その事務所は年明けに倒産した。役所経由の分は、その事務所の税金滞納分として税務署に差し押さえられてしまった。そのため、結局1/4しか回収できなかったのだ。

私は兄の甘さに腹がたった。全部譲歩していれば一銭も回収できなかったことになる。結局、その1/4の回収分も運転資金となり私の手元に返ってくることはなかった。その建築事務所の不動産が競売にかけられることになった。奇跡的に兄には、大学時代の塾講師で一緒だった友人の弁護士がいた。この弁護士に直接会ったことはないが、友人のよしみなのか兄にとても親身になって協力してくれた。

この弁護士が裁判の供託金を立て替えてくれていたようで、入札希望者が現れたので供託金を支払ってほしいとのことだった。私は友人にまでお金を負担してもらっていた兄を恥ずかしく思った。兄が私に事情を説明して供託金を貸してほしいと頼んできた時、弁護士先生に申し訳ないという気持ちもあり、落札されれば供託金も返ってくると思っていたため、ここでもお金を貸してしまった。

ところが蓋をあけてみると入札申し込みはなく、流れてしまった。弁護士先生が入札希望者を訪れたが不在で話ができず、結局、そのあとも入札希望者は現れずそのままになってしまった・・・。もちろん私が貸したお金が返ってくることはなかった。

その後の報告は受けていなかった。というよりも、ある時期を境に兄に関わることに嫌気がさして連絡を一切とらなかった。兄弟の縁も切ることに決めていた。貸したお金は返ってこないと覚悟していたが私が催促をしないことをいいことに、兄は私に一切連絡をしてくることはなかった。この数年間。しかし、第一話の母の涙によって、また、兄と連絡をとらざるを得なくなった。そこで発覚したのだが、この件について勝手に裁判を取り下げて、私が貸した供託金も使ってしまったことを知った。供託金だけは、裁判を取り下げるか、決着がつけば必ず返ってくるお金だと思っていたので、呆れるを通り越して言葉を失った。

申し訳ないという気持ちはないのだろうか。罪の意識はないのだろうか・・・。
私が兄の立場だったら、とうに責任を感じてこの世を去っていたかもしれない。
鈍感が兄を守っているのだろうか・・・。まだまだ、あの頃の悲劇のエピソードは続くのであった。
                                つづく



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