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"生きづらさ"を感じるあなたに…

いつもは株式投資に関する投稿をするのですが、
たまには日頃感じていることを言葉にしてみたいと思います。

今回のテーマは、人間社会において『生きやすさ、生きづらさ』ってどういったところから来ているんだろうなと考えた話です。もちろんこれだけではないとは思いますが、こんな考え方も一つあるんだよなってことで耳を傾けていただければと思います。

今回お話しする内容は、

『人生における"比較" "競争" "共感"』

についてです。

人間の本質的動機"比較"とは

この3つの中で人はどれによって生きづらく感じると思いますか?
それは人と"比較"することだと思います。しかし、これこそが人間というものなんです。説明していきます。

人と比較するというのは潜在的に皆さんやってしまっていて、例えば、

・同期が上司に褒められている。
・彼が先に出世した。
・隣の子は有名な学校に合格したらしい。
・親戚の方が年収が高く金持ち。
・彼らはいつも美味しいものを食べている。
・友人が自分よりランクの高い家を購入した。
・いっつも彼ばっかり運が良い。

又は、

・彼は働きすぎて病気を患ったらしい。
・どうやら退職して奥さんが大変らしい。
・子供が不登校で、親の愛情不足なんだろう。
・高収入夫婦だったけど離婚したらしいよ。
・外食ばかりで奥さん料理できないらしいね。
・不景気で高いローン払えなくなったんだって。
・いつも運の良い彼が事故したんだって。

上の方が妬み嫉みの感情ですね。下の方は相手を卑下して自分を優位にしようとしています。
あえて口に出さないとしても、皆さん一度は誰かと比較し相手を憎む対象にしたり、逆に自分が優位だと思ったことはありませんか?これらは負の感情であり、決して良いものではありません。しかし、実際そのような状況に立ち会えば誰だってこの負の感情が頭をよぎるのですよね。

これについてわたしはこう理解しています。
これが"人間"なんだと。

人生山あり谷ありで、谷の時はどうしても心の余白が小さくなって負の感情が生まれやすくなる。でもそれが"人生"であり、そこを歩く人間である以上どうしても発生してしまう負の感情であると私は思うのです。

負の感情が湧き起こってもいいんですよ。それが人生の醍醐味で人間という種なんだから。

でも何故人間にはこんな感情が発生してしまうのか?
それは人間の""によるものだと私は理解しています。

どうしても飛行機が嫌だったり、どうしても納豆が食べれないとか、どうしても〇〇を強烈に拒絶してしまうことはありませんか?全部が全部ではないと思いますが、これは人間の"業"の一種だと私は考えています。

"業"とは自分がこの世に"生"を受ける前の出来事から発生していて、魂に深く刻まれています。このため今回の人生にも色濃く反映しているのです。業にも種類があり、基本的にはこの業を乗り越えて魂を磨いていくのが人生の意味だと考えています。(たぶん一般的な"業"とその人特有の"業"があります)

人生の意味は業を乗り越え魂を磨くことにあるので、皆それぞれ業を持って生まれてきます。人は人との比較を通じて業と向き合う局面に立ち、そのとき湧き起こる負の感情を乗り越えて魂は成長していきます。

ということですので、皆さんが誰かと比較して負の感情が湧き起こってしまうのは人間としてごく自然なことなので、自分を卑下しないでくださいね。むしろこれが人生の醍醐味ということで、しっかりとその業と向き合えばよいと思います。

しかし、やってはいけないだろうなと思うこともあって、それは負の感情をそのまま行動に移すことです。自分の心に本当に余白が無いとき、相手から境遇の差を見せつけられる場面に出会っても、、、
『なんでいつもお前ばかり得してんだよ!!!いつもいつも…』
とぶちまけるのだけはやめておきましょう。
それは業と正しく向き合えていません。
業の深さは生まれ持ったものなので、抑え込めずついつい言ってしまう方もいると思います。そんな方は、じゃあ10回中1回は我慢してその感情と向き合うことからやってみませんか。

その1回の中でもどうしても我慢ならないときは、相手に直接言うのではなく、同じような境遇の別の人に、自分のその今の境遇について"共感"を求めることをお勧めします。その人の愚痴を言い合うのではありませんよ。あくまで自分自身の今の不遇について、同じように不遇の経験を持ったものに相談するといったものです。(いわゆる傷の舐めあいですね)

しかしそれすら出来ず、自分の生まれ持った業と向き合えずに、他人を攻撃し他人との関係に悪影響を与え続けるとどうでしょう。基本的には跳ね返りの法則がありますので、負の感情をあなたから誰かに発信してしまうと、それはそのままいつか自分の身に降りかかってくることになります。負の感情は人間の業と深く結びついていますから、更にそれを続けてしまうと、業を消すどころかあなたの人生で新しい業を魂に刻み込んでしまうことになります。そしてそうするとどうなるか。恐ろしいことに強制終了をさせられるか、次の転生の際に更に厳しい人生を歩むことになります。悪すぎれば動物へ逆戻りしかねません。

『人生の目的は業を乗り越えることにあり。』

これを忘れてはいけません。
目的と逆行した魂に良い未来はありません。

ここまで聞くと、
でも、それってなんか我慢ばかりの人生になりませんか?
それって楽しいですか?
って一瞬思っちゃいますよね。

人生は楽しいものです。人生とは魂にとってボーナスタイムなんです。

それを次の章で説明していきます。

人生を楽しくする"競争"とは

"競争"とは負の感情のプラ転のことです。
(プラ転:株用語。マイナスからプラスに転じるということ)

例えば上記負の感情リストの中で、【彼が先に出世した】場合、負の感情ベースだと「あいつはここがダメなのに何で出世できるんだ!」だとか、「彼に対して何かしらの嫌がらせをしてやろう…。」と思ってしまいます。これで終わってはだめで。

一度、この出来事と向き合ってみて、「あいつはこういったところが他より優れていてそこの伸びシロが買われたのだろう」というプラスの感情に昇華してあげる。更に「自分には彼にはないこの部分が優れているはずだ。ここをもっと努力して伸ばそう」と言って自分自身のプラスの行動に移す。

これが出来るようになると、負の感情はプラス転換され正の感情を生み出し魂は磨かれるようになります。そして、努力を重ねることで自分も出世することが出来たなら人生の一つの業をクリアしたことになります。生を受けたばかりの状態ではとても乗り越えられなかった業を、人生を通ずることで乗り越えることが出来たのです。

でも、その間にも、その彼が更に上の部長に昇進してしまった。この時どう思いますか?
『なんでいつもあいつばかり…』この時点が比較。これで終わっちゃだめで、
『またかあいつは凄いな。くそっ自分だって…』これが競争です。

比較するだけでは負の感情で終わって、競争して自分の行動に移すことでプラ転する。ここは変わりません。しかし同じ状況が続くとどこかで、
『あいつは凄いな。自分はあそこまで出来ない』
となる瞬間があると思います。こんな時どう理解すればいいのでしょうか?これに関しては、

”彼が今回の人生でクリアすべきステージと自分のステージは違うのだ”と解釈するのが良いと思います。彼はすでに前世から十分に魂が磨かれていて、こちらが業と思うことはもうクリアしています。今回の人生においてはもっと大きな業をクリアすることが望まれているのです。ですので自分が躓くようなことは彼にとって些細なことでスイスイと伸びていくように見える。(人生うまくいっているように見える)しかし、それはその先に待っている大きな業と向き合うためにそうなっているのです。

例えば彼が社長になって社員数百名の人生を委ねられる存在になる時、その時発生する業は凄まじいものですよね。会社が傾いたときには社員やその家族から「ダメ社長」「あの会社はだめだ」など多くの人から罵られるかもしれない。しかし、それを乗り越えて会社を立て直し数百名を幸せに出来るかもしれない。これをクリアできるかどうかが今回の彼のステージだとしたら、彼にとって【彼が先に出世した】で程度で起こる負の感情は簡単にプラ転出来ると思います。その先に待っている大きな業が今回彼が挑むべきステージなのだから…。

といったように、同期がスイスイ出世して見えなくなってきたら、ステージが違うんだなと割り切って受け入れましょう。

スポーツも仕事も同じですが、ちょっと自分より強いだとかちょっと難易度が高い課題の方がモチベーションは上がりやすく人生は楽しいものになります。

どこかで自分の生まれ持った能力はこんなものか。自分の家族境遇はこんなものか。自分の精神レベルはこんなものか。自分の魂レベルはこんなものか。と自分を俯瞰して見て、ちょっと先のレベルで競争するようにしましょう。こんなもんだからこれくらいでいいや。といっているわけではありませんよ。こんなもんだから今は全国大会ではなく県大会なんだと。自分の競争すべき(成長すべき)ステージを見誤らないようにしようということです。

たま~に本田圭佑さんのように、非常に諦めの悪い人もいますが、彼のステージはおそらく一般人の何段も上にあるので、彼を見て比較して競争してはいけませんよ。相手が凄すぎて苦しくなるだけです。
って言わなくてもわかりますよね…。
凄すぎる人に対しては皆すぐに折り合いを付けれるのですが、どうしても会社の同期とか近くなってくるとその差が見えづらくなるのですよね。彼は凄いんだと認めてあげることも一つの業の解消になります。彼のことは気にせず自分は自分のステージで競争して人生を楽しんでいきましょう。

また、競争から身を退いてしまっては、魂の成長の根源である業に出会えませんから、出来るだけ競争に身を投じるようにしましょう。身を退く理由の一つに選んでいるステージが合っていないということがあります。難易度が今は高すぎたり、競争に値しない簡単なステージであったりでモチベーションが上がらないためです。競争を継続するためには、"楽しい"を感じられる範囲内の競争ステージを意識することが大事です。

楽しいがあるから人間は競争という道に身を投じる。そして競争という道の先に様々な業がある。人生というのは業に出会わせ・向き合い・乗り越えることを仕向けているものです。
人生はどうやら魂を磨かせるために、競争の中に楽しいというオーガニズムを組み込むことにしたようです。

このフェーズまとめます。

『競争とは業に出会うための道である』


人生のオアシス"共感"とは

共感には3種類あって、
 ① プラスープラスの共感
 ② マイナスーマイナスの共感
 ③ プラスーマイナスの共感
この3つです。

① プラスープラスの共感とは、
  「一緒に友達とライブに行って盛り上がる」
などがこれに当たります。
② マイナスーマイナスの共感とは、
  「同じ不遇を話し合う 傷の舐めあい」
になります。
ー(ハイフン)で区切っているのは自分ー相手の感情のこと。プラスープラスであれば自分も相手も正の感情での共感。マイナスーマイナスであればお互い負の感情での共感となります。

共感で得られるエネルギーは生きる活力となり、我々の人生を推進してくれます。①や②でもエネルギーを貰えますが、より大きく継続的にエネルギーを得るには③の共感を行っていく必要があります。

③のプラスーマイナスの共感とは、自分がプラスの感情で相手がマイナスの感情の時の共感ということになります。自分の心が満たされており心の余白が広いうちは、積極的に困っている人の声に耳を傾け出来るだけ共感し合おうというものです。このときあなたの中に一瞬相手を見下すような比較の感情が入るかもしれませんが、それはプラスに転じて接する必要があります。

例えば、"競争"で説明した自分の先を行っていた彼が【病気で働けなくなった】場合、一瞬湧き起こる感情は「そんな人生うまくいくわけないよねぇ」「自分が代わりに出世できるかも」だと思います。これは相手を卑下して自分を優位に立たせようとする(自分の立場を守ろうとする)負の感情です。

この時点ではただの比較で、これをプラ転させて"共感"に変えます。相手が上にいるときの比較は競争に変え、逆に下にいるときは共感に変えるのです。一瞬湧き起こる負の感情を抑え込んで彼のことを心から心配します。

彼が病気になることでどのような苦しみがあるだろうかを想像します。
・どんな病気なんだろうか
・治療の辛さはどこにあるのだろうか。
・家族の生活はどうなるのだろうか。
・住宅ローンはどうなるのだろうか。
・職場での彼の立場はどうなるのだろうか。
・彼が思い描ていたライフプランとの乖離は?

少しでも彼の苦しみを和らげようと努める。
お見舞いに行って少しでも話を聞いてあげる。

その時、完全に心がすり減っている彼にこう言われるかもしれません。
「俺の気持ちなんか誰にもわからないんだよ!」

当然です。彼の人生には彼の積み重ねた歴史があり、その歴史から彼の人格が出来、思想が出来る。そしてその思想により今の出来事に対する気持ちが出来上がる。まったく同じ歴史を歩まない限りは彼の気持ちは誰にもわかりません。逆もしかり、あなたの気持ちが誰かに完全に理解されることはありません。

じゃあ、彼の気持ちはわからないから理解しないのかというとそうではなくて、理解してあげようとする姿勢を見せることが大事です。理解できないのは当然だけど、出来るだけ自分との共通点を見つけて少しでも理解できるように努める。

完全に相手を理解することはできなくても、寄り添って理解することに努めることはできます。これを続けることで近づいて心が開いて気持ちが少しづつわかるようになってきます。これが③の共感です。この共感は人の苦しみを癒す効果があります。あなたの共感が彼の苦しみをいくらか取ってくれるのです。

あなたのプラスの行動から相手の負の感情をプラ転するという行為はなかなか出来るものではありません。非常に尊いものです。相手と関わらなければもらうことのなかった苦しみを、あえて一緒になって苦しんで分け合うのですから。相手から罵声を浴びせられてもくじけずに寄り添おうとするのですから。相手の気持ちがプラスに転じるまでは長い道のりでそれに付き合い続けるのですから。

③の共感というのは、人の業の解消のお手伝いをしながら自分の業の解消も行う行為で、これを乗り越えられると魂が大きく磨かれます。そして、のちの自分にとっての大きな生きるエネルギー源となります。①、②で得られるエネルギーとは比べ物にならないくらい多くのエネルギーです。自分に心の余白があるときは積極的に③の共感をしていきましょう。

注意としては、相手の業にまでちょっかいを出す行為なので、自分としてもかなり苦しい道になるかもしれません。気力・体力が充実していること、魂がある程度成長していることが必要です。自分もきついのに相手を気遣える人が極稀にいますがそれはかなり上のステージにいる人です。

さて、この共感によって得られるエネルギーの正体について説明します。

共感とは人との絆の糸をより強固なものにして、あなたが沈んで落ちそうなときに守ってくれる命綱になります。あなたに生きるエネルギーを供給してくれるパイプラインです。より太いほうが多くの生きるエネルギーが送られます。このエネルギーのことを"幸せ"と呼びます。

誰かに優しくされたら心が喜ぶじゃないですか。一度はありますよね。なんか温かくなる瞬間。幸せが入ってきている瞬間。人との優しいコミュニケーションによって幸せは送り合えるんです。だったら、誰かが落ち込んでいる時、もし送れるんだったら幸せを送りましょうよ。寄り添って共感してあげましょうよ。

最初はパイプは細くてあまり送れないし、相手がバルブを閉じている時だってある。でもそんな時、相手が一番欲しいのは温かさなんです。幸せなんです。生きるエネルギーなんです。なので少しでも送ってあげましょう。これを続けることでパイプが徐々に太くなり強固な幸せのインフラになってくるのです。あなたの寄り添いの③の共感により救われた人がいるならば、その人はあなたに一生感謝するでしょう。その人との幸せのパイプはおそらくより太いものになっているはずです。だから①や②よりも③の共感の方がより多くのエネルギーが得られるのです。

そして、幸せを貯めることの人生の意味とは?
幸せのエネルギーは業を乗り越えるためのエネルギー源となります。

人生における業は自分に見合ったものが必ず降りかかってきますので、必ず苦しみを伴います。この苦しみを乗る超えるためには幸せのエネルギーが必要です。これは一人じゃ生み出せなくて、周りの人から供給されるものなのです。幸せのパイプがより太くより多く持っているものが、より大きな業をクリアできるようになっているのです。つまり、人とより多く濃く共感したものが、人生の目的を達成しやすくなる。ということです。今立ち向かってる業に歯が立たない時、一度周りの人と優しいコミュニケーションを取ってみてはいかがですか?

まとめ

✅ "人生"の目的は魂を磨くこと。
✅ "魂を磨く"には業を乗り越える必要がある。
✅ "業を乗り越える"には、
   業との出会いとエネルギーが必要。
✅ "競争"により業に出会い、
   "共感"によりエネルギーを得る。

『人生は"競争"し"共感"することに意味がある』


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✅ "比較"とは人間の本質的動機
   負の感情から始まる。
   『生きづらさの根源』
✅ "競争"とは人との切磋琢磨を通じて
   魂を磨くこと。
   『楽しさの根源』
✅ "共感"とは生きるエネルギーを
   生み出す行為。
   『幸せの根源』
✅ "比較"から始まり、
   正に転じて"競争"・"共感"となる。

  『人生は"楽しさ"と"幸せ"に溢れている』

いかがだったでしょうか?
少しでも人生に悩んでいる方のヒントになればと思い投稿しました。
これからも人生における気付きがあれば投稿していきたいと思います。

基本、株アカなので株式投資のことが続いてもご了承くださいね。

では、良き人生を!

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