わたしと踊りについて
わたしは、子供の頃から踊りが大好きだった。
見るのもだけど、自分で踊るのが何より好きだった😊✨✨
小さい頃はバレエに憧れて、何度も習わせて欲しいって親にお願いしていた。
けど、親は踊りを好きではなく、習わせて貰えなかった🥲
仕方ないから、図書館から本を借りて来て、小学1〜2年生の頃かな?
1番から5番までの足のポジションを覚えたり、お部屋でひとりでバーレッスンもどきをやったりしていた😂
そんな、踊りを本格的に習いたくても習わせて貰えないジレンマを抱えながら生活していたせいか、友達にはいつも「踊っている」とツッコまれてた😅
そんなつもりはないんだけど、日常的な普通の動きが、どうやらダンスぽかったらしく、バスケしてても踊ってるよ、とツッコまれてた🤣🤣
習ってなくても、ダンサーさんへの基礎知識みたいなのは身につけていたから、競争率の高い女子のダンス界では、3歳から何らかの踊りを始めないと、使い物にならないという意識だけはあった。
いつか踊りはやりたいけど、プロとしては、もう間に合わないから通用しない。
だから、やる時は楽しむためにやろうって決めてた。
遡って、踊りに対して大好きだと感じた一番最初の記憶は、保育園のフラダンスもどきの出し物。
小学校に上がると、運動会でやる踊り系のもの、それがたとえ民謡系でも大好きだった。
音に合わせて動くという括りで言えば、ラジオ体操も好きだった😂
そして、めっちゃ美しいラジオ体操をしていた(と、大人に褒められていたので、多分そう)と思う。
なにせ、習わせて貰えなかったので、学校の授業や行事でちょっとでも踊りテイストのものをやる時は、おそろしくホンキだった😂
中学生のころ新体操に興味を持ち、近所のスポーツクラブに通いたいって親にお願いしてみた。
もちろん、ダメだった。
1週間で、開脚が付くようになったら、通ってもいいかと持ちかけ、今思うとただの奇跡というか執念だけど、本当に1週間で縦開脚が180度ぺったり付くようになった😂
もう、10分おきくらいに、ずっと開脚してたけどね🤣🤣
(この2年後くらいに、股関節に疲労骨折のヒビが入って全治3ヶ月かかったので、良い子はマネしないでね😅)
新体操は、週1回のレッスンだけだったけど、とっても楽しかった🥰✨✨
受験のために、2年間くらいしか出来なかったし、新体操は本来は小さい頃から柔軟性を養いしっかり身体づくりをしていってやるような競技だから、中学生でいきなり始めるには身体への負荷が大きすぎて、そのあとボロボロにはなっでしまったけど。
でも、本当に楽しかった♥️
高校に入ると、ダンス部には何故か入らず放送部と潰れかけた器械体操部に入った。
器械体操部は、ほぼ潰れかけで、教えてくれる人もあまりおらず、何故か文化祭でダンスの発表をしたりした😂
浪人が当たり前の都立高校に通っていたので、そのまま浪人して駿台予備校に通った😅
けど、この頃はかなりの虚弱体質で、日々体調不良に悩まされていたので、何か運動をしようと、近所のカルチャーセンターでバレエを習い始めた。
満を辞して、バレエ🩰✨✨✨
でも、この年で始めても、関節やら柔軟性やらの問題で、なかなか素敵にならないというか、見目麗しいちびっ子たちに混じって、なかなかに見苦しくって惨めな思いもしたし、大変だった😵
けど、やっぱり楽しかった☺️
大学に入ると、ジャズダンス系のサークルも惹かれつつ、デモンストレーションで観た社交ダンスの魅力に取り憑かれた🥰✨✨
当時、大学生だったわたしは、社交ダンスって、オバサンたちがタラタラ踊ってるシラけた踊りだとナメてかかってたので、興味ゼロだった。
にも関わらず。
初めて間近で観たデモンストレーション。
しかも、ラテンアメリカンダンスを間近で見た時、
まるで雷⚡️を撃たれたみたいだった。
素敵。
素敵すぎた😍✨✨
え、こんなに素敵だし、こんなにハードそうで、こんなにレベル高いの😳???
(実はこの時見ていた先輩達が、とんでもなくレベルが高く、この後、全国制覇していく煌びやかな方々だったのです😂)
全然予定になかったけど、社交ダンス研究会、通称しゃぶけん🤣、に入ってみることにした。
入ってみて気づいた。
あんなにレベルの高い踊りをするということは、それだけの時間と労力をかけているということ。
ホンキで挑まないと、競争に負けて、組む相手すらいない状態になってしまう😳
というわけで、気づけば授業そっちのけで、毎日体育館に練習に通い。
ダンスのスタジオにも通い。
次から次へと試合に出て、旅行に行く時もダンスシューズを持って行って、部屋で練習を欠かさない。
日々の筋トレも欠かさない。
というストイックぶりを発揮してました😂
踊るのは楽しいけど、競技のように人にハッキリ優劣のつく世界や、相手がいないと踊れないのはちょっと不便だなぁと感じて、プロへの道は選ばず、役者への道を選びました。
(ダンスと並行して、お芝居もサークルでやっていたのです☺️)
が、やはり踊りは好きなので、舞台上でもずっと付き合っていくことに。
スーパーエキセントリックシアターという、ミュージカルアクションコメディーを謳っている当時は大人気劇団の研究生にオーディションで合格。
そこから1年間は、主宰の三宅裕司さんが集めてくれた一流の先生達にダンス各種を習うことができた。
バレエ、ジャズダンス、ヒップホップ、アクション、アクロバット。
毎日毎日、違うジャンルのレッスンをするから、酷使する筋肉が日々異なって、筋肉痛が一向に治らない😂
半年以上、毎日筋肉痛でした😅
高倍率のオーディションを通って来た人ばかりなので、特に女子はダンス経験が豊富な子が多く、ダンス界では「振り覚え」の早さがかなり重要なんだと知る😵
競技ダンスって、毎回新しい振り付けを覚えて行くのではなく、決まった振りを勝つためにどれだけ丹精に完成度の高いものにしていくか、という踊りだったので、まさに正反対😳😳
振り覚えは、とても良いとは言えず、レッスン後に同期の子達に教えてもらったのを思い出す☺️
その後、BQMAPという劇団に入団。
和の演目が多く、殺陣も多かったので、殺陣集団[和太刀]で殺陣の研鑽を積んで公演に出してもらったり、劇団の公演で殺陣をしたり。
和の演目には、初めの頃はとても苦労した。
極めて来た自分の動きが、社交ダンスという、ヒールを履いて踊る「洋」のものだったので、「和」の動きと喧嘩してしまうし、集団の中でも悪目立ちしてしまう。
今は、和洋の使い分けはお手の物ですが😂、ホント、最初3年くらいは苦労しました😅
フラメンコとかベリーダンスとかも趣味で習ってみたけど、どちらも1年くらいで辞めてしまった☺️
フラメンコは、上達は早いジャンルの踊りだけど、踊りに根差す根本的なスピリットが自分に感覚的に合わないなと感じ。
ベリーダンスは、忙しさや体調不良が重なって続かなかったり。
色々、ちょこちょこかじったりしているけど、一番楽しくて、一番気軽で、振りも覚えなくてフィーリングで行けちゃうから、
フリーで踊って良い
[即興ダンス]が、結局のところ一番好きです❤️✨✨
研鑽積む必要ないし😂
魂が繋がりたいものと繋がるツールとして、「音」があって「踊り」があれば良いんじゃないかなぁ。
それが全てなんじゃないかなぁ。
って思ってます。
出来不出来を人にジャッジされる筋合いはないし、
ましてや、自分で自分にジャッジする必要はない。
太陽とか、月とか、山とか海とかに感謝したければ、その感謝のツールに音とか動きを使って、自分の気持ちや魂を解放すれば良いし。
いま、心の中に溜まっているものを、音や動きで開放してあげても良いし。
結局それが、一番良いし、それはスキル関係なく誰にでもできるんじゃないかなぁって思ってます☺️
そんな体験をしてみたいなぁって思う方は、ぜひ一緒に、
自由にフリーダンス
してみましょうね❤️✨✨
不定期にフリーダンスの会、やってます!
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