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もし心に小さな花が咲いたなら

わたしは、幼い頃から多感な少女でした。
悲しいニュースに傷ついたり
なぜ人は殺し合うのだろうと
戦争の番組を見て何日も考え込んでしまうようなところがありました。

木を植えた男

という有名な絵本をご存知でしょうか。
ぜひ読んでいただきたいのであらすじは割愛しますが
小学生の頃にこの絵本を読み、深い感銘を受けました。

人が互いに優しさを持てるようになるためにはどうしたらいいのか
傷つけ合わずに済むにはどうしたらいいのか
そんなことをよく考えていた少女時代のわたしは
木を植えた男
の絵本から、木ではなく、花を植えるのはどうだろうと考えました。
美しい花を前に、人を殺そうと思う人間はいないのではないか
純粋な子供だったわたしは、単純にそう考えたのです。

今世界中で起きている戦争や紛争を見てみると
美しい花が咲き乱れた場所にも
子供たちが学ぶ学校にも
病気の人たちが寝ている病院にも爆撃があるのですから
人の心というものは、国や思想の対立というものは、そんな単純なことではないのでしょう。
それでも当時のわたしは、世界中に花があふれれば、戦争はなくなるかもしれないと静かな夢を思い描いていました。

その後、わたしは花を植える女、になることはなかったのですが
今の仕事を選び、出会うお客さま、お客さまの心の中に小さな花を咲かせられたらな、と思いながら働いています。

うわっつらの優しさや真心ではなく、作り笑いではなく
心からの笑顔で、本当のホスピタリティでお迎えしてお送りできたら
何気ない会話の中で、お客さまを笑顔にできたら
その方はきっと、店を笑顔で出て行かれる。
もしかしたらその笑顔は誰かに伝染して
別の誰かが笑顔になるかもしれない。
落ち込んでいたのが癒やされるかもしれない。
仕事が頑張れるかもしれない。
見えないその先を勝手に想像し、期待しながら
お客さまの心に小さな花を咲かせたくてこの仕事をしています。

言葉が喉のあたりで詰まっているような感覚で
上手く綴れない。何も書けない。泣いてしまいそう。
そんな気持ちでいたところに
見知らぬ方から、あなたの言葉のおかげで疲れた心が癒やされましたと言っていただきました。
図書館で会ったその方が、たまたま手に木を植えた男を持っていて
突然に、幼い頃の自分の気持ちが思い出されてきたのです。

そうだ、わたしは花を植える女になりたかったんだったわ。
多感すぎて泣いたり悩んだりしていた幼い頃の自分は
成長はしたものの、今もそんなに変わりありません。
多感すぎて時に苦しみ、もうこんな感受性捨ててしまいたいと涙が止まらなくなることもあります。
でも、もしかしたら今、心に小さな花を咲かせられたかな?と思う瞬間があると
こんな不器用な自分を許そうと、少しだけ優しい気持ちになれるのです。

わたしは、どこまでも続く広い広い、たくさんの野の花が咲き乱れた優しい春の野原のような人を知っています。
今日、その人のことを考えました。
あんなふうになれたらいいな。あんなふうに笑えたらいいな。
わたしは明日も、お客さまの心に花を咲かせられるように
花を植える女
を目指して…
心を整え、深呼吸して、優しい明日を迎えることができますように。
優しさの花のバトンを、渡して行けますように。

そうそう、わたしのエッセイを読んでくださっているみなさま。
コメント欄というものがあるようなので
匿名で構いませんからよかったら感想を聞かせてくださいね。
読み手がいる、という事実が
わたしの心の支えです。

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