見出し画像

不意

支援と甘えは違う。

先日新宿の方を歩いてると一人の路上で居眠りをしている
ホームレスの方を目にした。
いつもならそこまで気にもしないホームレスの方。だがその人の目に止まったのは自分の前にダンボールの切れ端を立てかけ何かを記していた。

「私は震災に遭い、家も家族も仕事も失いました。....」

と記されていたのだ。
気の毒だな。と同時に思い浮かんだ感情は努力はしているのだろうか。という疑問だった。
これは決してホームレスの方への侮辱や馬鹿にした考えではなく見えていない事を見ようとしている行為として読んで欲しい。
彼は震災に遭ったのだろう。遭いたくなくても突然やってくる自然災害は逃れる事、予想することは誰にもできないことだ。なので責めたりはできない。そして遭った方々にしか分からない思いや考えがあるのだろう。
だからこそ見えない努力はどうしたら見えるのかを知りたくなった。
ホームレスの方は路上に住みなにか仕事になるために努力をしているのだろうか。ハローワークに行って少しでもお金を稼ごうとしていたり、世の中のために少しの努力を行って世の中に復活しようとする方もいる。
それとは逆に少し稼いだお金をギャンブルに使いまた地に落ちる者もいるのだろう。
今回は地に落ちる自分の行いが悪い人の話ではなく、上に書いた様な不幸があった方が路上生活になった時にできる簡単なとは言わないが努力が目に見える形はないのだろうか。
主に私たち一般に暮らしている人から見たホームレスの方は寝ていたりゴミを漁ったりとの姿がほとんどだ。
簡単には見ることのない努力を探して欲しいと感じた。
それが
支援と甘えは違う。
このことだろう。
世界全部がピースになるのは難しい。だが少しの努力で増やせるピースを増やさないでどうするか。
とても難しい議題だろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?