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フィリピンとわたし。①

私は大学を卒業し、社会人になって10年以上が経ってから、大学院に進学しました。自分で稼いで食べていたし、自分が住むところも購入し、猫も迎えて過ごしていたので、その安定した生活から変わってしまう事は、とても怖かったです。でも、それでもどうしても大学院に行きたかった。その背景にはフィリピンとの深くて長いつながりがあります。

幼稚園の時から英会話を習っていた私は、語学を学ぶのが好きで、高校は外国語科、大学は国際文化学科に通っていました。初めて行った海外はオーストラリアで、2回目はアメリカ。そして3回目の海外がフィリピンでした。大学の研修プログラムで、「フィリピンの大学生に日本語を教える」というものでした。2週間ほどしか滞在していませんでしたが、その時の経験がその後の私の道を大きく変えることになりました。

私が滞在したのはネグロス島にあるバコロド市というところだったのですが、飛行機から降りて早々に、身体の不自由な男の子が両手を差し出しながら近寄ってきました。一緒に行った後輩の学生さんたちが、すごく怖がっていたのを覚えています。それから宿泊する寮に着くまでの道では、信号待ちの車に花を売る人が居ました。寮に着いた後散歩に出かけたら、4~5歳の裸足の女の子が、木彫りのマリア像を抱えてこちらに寄ってきました。無言で差し出してくるので、「買って」ということなのでしょうが、こんな小さい子が1人で・・・と思って辺りを見渡すと、その女の子が歩いてきた方に停まっていた車の後ろに、親と思われる人が茣蓙を敷いて座っていて、こちらの様子をうかがっていました。小さい子が行く方が、買ってもらいやすい、ということなのかなと思いました。

いろいろ人が寄ってくるけど、決して私自身に対するWelcomではなく、「お金が来た!」みたいな感じだったのかなと、当時少し悲しくなりました。アメリカに行った時も路上で生活する若者が居て、お金を恵んでいる人が居ましたが、家族で路上にいて、裸足で歩いていて、小さな子がお金を稼ごうとしているという様子は、アメリカのそれとは大きく違う印象を受けました。

町を歩いていれば、タクシーやトライシクル(横に座席の付いた6人乗りのバイク)がクラクションを鳴らして近寄ってきます。「お願いだから放っておいて!」と言いたくなるくらいに、次から次へとうるさかったです。でも、彼らにしたら、今日の食事、明日の生活がかかっているのかもしれません。「生きるためのエネルギー」というものを、初日から少し感じたのでした。

続きはまた次回に書こうと思います。

フィリピンに行ったことがない方々のフィリピンのイメージってどんな感じなのでしょうか。私は、行くまではバナナしか思い浮かびませんでした。フィリピンは7,000以上の島から成る国で、正式名称はフィリピン共和国。英語ではRepublic of the Philippinesと書きます。私が大学院のゼミで初めて発表をした際に、ろくに調べもせずにフィリピンのことを"Philippine"と書いていたら、教授から速攻突っ込まれました。基礎的なことをちゃんと調べたのか?と。フィリピンは昔、300年以上もスペインの統治下にありました。その後、アメリカの統治下になり、日本の統治下にあったこともあるのですが、スペインの統治下にあった際に、スペインの国王であったフィリップ二世のもの、という意味をこめて、"the"をつけるようになったようです。また、"Philippines"と複数形になるのは、島が多いことが背景にあるようです。「フィリピンの島々」というイメージでしょうか。国の名前1つとっても、そこに様々な情報が詰まっていて、おもしろいな、と思います。

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