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上司は無条件に「偉い」のか。

「上司は偉いんだ!」「上司を敬え!」「上司に歯向かうな!」こんなことを、言われたことがあります。(先日noteに書いた、「尊敬している」上司とはまた別の上司です。)正直、こう言われた時に、「え?」って思ってしまいました。なぜなら、その上司に尊敬できるところがなかったから。偉い、すごいって思えるところがなかったから。すごいって思えるところがない人に対して「すごいですね!」「尊敬しています!」と言えるほど私は器用ではありません。

ただ、10年以上社会経験がある中で、「年上は敬うもの」という考え方があることも分かっています。私は、とりあえずどうにか頑張って、尊敬のまなざしを持たないといけないのか、すごく悩んでいろんな人と話したり、本を読んだりしました。その中で何となく分かったことは、こういう考えは確かに存在しているけれども、昔に比べると少しずつ薄れてきているのではないか、ということです。これを言ってきた上司は結構年配の方なので、そういう時代に生きて、これが価値観の1つとして固まっているのかな、と思っています。

では、どうしてこのような考え方が昔に比べて薄れているのか?ということを考えてみました。私の仮説は、「昔に比べて人と人とのつながりが薄くなっているから」ではないかということです。

私の母親は専業主婦だったので、小学校に上がるまでは多くの時間を母親と過ごし、小学校に上がって母がパートを始めても、学校から帰ることには家に母が居ました。そのため、コミュニケーションを取ることも多かったですし、叱られることもたくさんありました。叱られる時に「何故叱られているのか?」を母がいつも言うので、私は「確かにお母さんは間違っていない」と納得したり、ちょっと反論しても私が納得できる答えを返してくるので「お母さんには敵わない」と思っていました。

また、近所の人との付き合いも多くて、学校の帰り道に野菜やお菓子をもらったり、友達の家に遊びに行って、その子のおばあちゃんに遊んでもらう事もありました。その地域の中で見守られていた感じがします。こうやって振り返っていると、結構幼いころから大人と自然に関わる機会が多かったのではないかなと思います。そして、「お母さんには敵わない」と思ったり、友達のおばあちゃんがあやとりを教えてくれたり、ぬりえや折り紙がすごく上手だったりするのを見て、無意識のうちに「大人ってすごいな」という感覚があったのではないかと思います。

勿論今でもそういう文化って残っているところは残っていると思いますが、昔に比べると、少なくなってきているんじゃないかな、と感じます。そして、共働きの家庭も増えて、親子間でのコミュニケーションも昔よりは減ったのかなとも思います。そうすると、以前のような「大人はこういうことができるからすごい」「おじいちゃんやおばあちゃんは、たくさん面白い知恵を持っている」と思うこと(機会)がなくなり、年齢を隔てるほどに壁ができるのではないかとも思います。つまり、「無意識のうちに、大人はすごいと思うようになる出来事」がそもそもなくなっているのではないかと。

こういった時代の流れがあって、仕事の先輩である上司に対しても、「上司は偉い」と単純に言えなくなったのではないか、というのが私の1つの仮説です。

勿論、尊敬できないからといって、悪態をつくとか、失礼なことを言うとかはダメだと思います。ただ、それは「上司に対してだけ」ではなく、「同僚は部下に対しても同じように」が前提だと思っています。無条件に上司は偉くて部下は尊重されなくていい、ということではなく、上司も部下も関係なく、人同士のつながりとしてお互い失礼のないお付き合いをしましょう、ということが基本だと思います。

私も人生で初めて部下を持った時、部下から沢山のことを学びました。それは、「私が上司なんだから、何でも言う事を聞いて、尊敬してね」みたいな態度で居たら、学べなかったことだと感じています。「自分は上司だぞ!」と威張って部下を抑えてしまうことは、その上司自身の可能性も抑えてしまうのではないでしょうか。どうせなら、お互い成長できる関係を築く方がいいな、と私は思います。

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