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葉っぱの坑夫の本のつくり方

やっと、『オオカミの生き方』が発売になりました! ペーパーバック版につづいて、年明けにはKindle版も発売開始。野生に生き、森や荒野をかけめぐるオオカミとは、いったいどんな生きものなのか、著者のウィリアム・ロングが長年にわたり追ったドキュメントです。(まえがき:大竹英洋)
以下は、前回「新刊 & 12月の半額セール案内」のつづきです。

それから10年くらいたって、アメリカのアマゾンがKindleという端末で電子書籍を売るようになりました。日本でもこの端末をもっている人がいるのを知り、手に入れようと思いました。Kindle Touchという初期の端末は、いま持っている三つのKindleの中でも、一番のお気に入りです(ただし日本語表示はできませんが)。それからしばらくたって、日本でもKindle端末&本が販売されることに。これはもう、葉っぱの坑夫でもやるしかありません。なんとかして電子書籍の作り方を習得しなくては、という感じでした。

日本では当初、アマゾンはいろいろな意味で反発が多く、人気がありませんでした。その頃は本のみ売っていました。わたしは日本にアマゾンが入ってくる前から、アメリカのアマゾンのユーザーでした。アマゾンのサイトで、様々な用語で検索をかけ、面白い本を発見するのを楽しみにしていました。当時からアマゾンの検索機能は優れていて、これによって多くの有用な作家との出会いがありました。だから日本にもアマゾンが早く来てほしい、と願っていました。

こんなことがあったので、日本にアマゾンが入ってきたとき、すぐに日本のアマゾンに連絡をとりました。当時はとてもオープンなところがあって、たしかメールで連絡をしたら、向こうの担当者から電話があったように記憶しています。こちらは出版社といっても、ほとんど個人レベルです。法人でもありません。それなのにこちらの熱意をきちんと受けてとめてくれ、取次店を紹介してくれました。さっそく担当者のところに出向き、本を扱ってもらえることになったのです。これがアマゾンと葉っぱの坑夫の繋がりの始まりです。

取次通しの取引は、ある時期で終了し、アマゾンと直接の取引に変わりました。インターネット上に設置されたベンダーセントラルという管理システムを通して、注文を受け、アマゾンの倉庫宛てに本を発送します。質問や不具合がある場合も、すべてここを通します。顔を合わせてとか電話でのやりとりはありません。

その後、2012年頃だったと思いますが(おそらKindleでの出版を準備していた時期と重なると思います)、アマゾンのやっているPOD(プリント・オン・デマンド)に興味をもちました。そこでサイトからPODで本を出版するにはどうしたらいいのか、質問を送りました。すると間もなく返事が来て、やり方を説明されました。そのときの担当の方とは、メールや電話を通じてのやりとりでしたが、非常に親切で、その後Kindleで本を出版する際もずいぶん助けてもらいました。そのような担当者と巡り会えて、本当に幸運だったと思います。

アマゾンのPODの良いところは、顧客から注文があったとき印刷する方式(オンデマンド)なので、版元が在庫をもたなくて済むことです。葉っぱの坑夫の既刊本は、zineなどを除いて、売り切れた場合はたいてい重版しているので、在庫の本がどんどんたまっていきます。結果として、置き場がなくなってきます。PODであれば、注文時にアマゾン側が印刷して購入者に送ってくれるので、こちらがすることはゼロ、また配送の手間や送料もいりません。一旦データで入稿すれば、あとは売れるのを待つだけです。また絶版というものもありません。これはとても優れた点で、現在出版されている紙の本が、数年で絶版になっていることがあるのに対して優位性があります。

葉っぱの坑夫では一度出した本は、なるべく長く存続してほしいと思って本を作ってきました。本を作るときも、そう思って作っています。海外の本で100年前に出版されたものを手にする経験があったことから、本の寿命は長いはず、のちの時代にも役に立つはずと信じているのです。

この思想とPODあるいはKindleは合致します。絶版がないからです。アマゾンが日本に入ってきたとき、ロングテールという言葉が使われましたが、葉っぱの坑夫のつくる本のように、多くの読者は得られないかもしれないけれど、必要としてくれる人、楽しんでくれる人は少数でもいるはずというタイプの本には非常にあっています。出版したときが勝負どき、そこでイベントをしたり宣伝をたくさんして売り尽くす、という本づくりとはかなり違います。

マイナーな本の作り手にとって天国のようなアマゾンのPODの仕組みですが、現在は一般個人からの受け付けはしていないように見えます。サイトの下にある「Amazonで出版」という項目を見ると、Kindleによる出版のみを受けているみたいです。なぜそうなのか、理由はわかりません。アメリカのアマゾンでは仕組の変遷はここ数年の間にあったものの、現在も、誰もがPODでもKindleでも本を出版できます。アマゾンのアカウントを持っていることが条件で、初期費用はかかりません。売上があった時点で、アマゾンへの手数料と印刷代を支払い、ロイヤルティを受け取ります。つまりアマゾンが出版社なのです。印刷も販売も引き受ける出版社ということです。

葉っぱの坑夫では、これまで日本のアマゾンとアメリカのアマゾンの両方で本を出版してきました。理由は日本のアマゾンでは、著者(出版元)も定価でしか本を購入できないからです。インディペンデントな書店に本を卸したいと思っても、定価で買うしかないので難しくなります。アメリカのアマゾンでは、自分の作った本が実費くらいの価格で買えます。「author copies」という機能をつかえば、実費と配送費で本が手に入ります(1度に999冊まで購入可能)。たしかに海外配送になるので送料は高いです。でも購入冊数によっては、送料をかけても1冊の単価は定価を下回ります。ただこれも、去年アメリカのKDP(Kindle Direct Publishing)の仕組みが変更され、日本語の本の出版ができなくなりました。今でもたくさんの言語で本は出版できるので、日本語が外されたのは、アマゾン・ジャパンがあるからだと思われます。日本のアマゾンの不利益を考慮して、国境線が引かれたのではないかと想像しています。

アメリカのアマゾンでは、著者(版元)とアマゾンは直接取り引きしています。PODもKDPが担当しています。システムが変わる前は、CreateSpaceという機関が間に入っていました。しかしここはアマゾン傘下の機関でした。日本では複数の代理店がアマゾンとの間に入っています。仕組の違いは、こういったところにも現れています。

アメリカのアマゾンがアカウントさえ持っていれば、誰でも出版できる仕組を作っているのは、社会における個人の認められ方と関係があると思います。個人の存在というものが、民主主義社会の中で、市民社会の中で、生きたものだからです。日本では個人というものは小さな存在であり、常に素人であり(消費のみ期待される人であり)、何か社会に影響を与えるような存在ではないと思われているのです。個人に認められている権限は最小のもののように見えます。何かコトをなすのは、法人や機関などの集団組織であり、個人ではないと信じられているわけです。このことは葉っぱの坑夫を始めた2000年以来、何かしようとするたびに壁にぶち当たり、強烈に感じてきたことです。個人の権限では何もできない、させてもらえない。

でもそういう社会に生きているからこそ、葉っぱの坑夫の活動は挑戦にもなっています。法人ではない者が、現状の仕組の中で、やりたいことをどこまでできるかといった。こういう挑戦をするにも、葉っぱの坑夫は非営利である必要がありました。もしこれが営利事業であったなら、日本の社会にあったやり方で商売をするのが最も効果があります。へたな理想など言っている場合じゃなくなります。別の言い方をすると、非営利で活動してきたせいで、どんどん日本型のシステムから離れていったということです。ちなみに非営利とは何かと言うと、活動で得た利益を所属メンバーや主宰者で分け合わないということです。利益はすべて、次の活動のための資金源となります。そこが営利と非営利の違いです。

葉っぱの坑夫の活動が細々とではあっても続いているのは、インターネットというシステムがあり、アマゾンという企業があってのことです。その意味でこの両者の存在は非常にありがたいもの。個人が何かしようとしたときの強力なツールであると言えます。

アマゾンのPOD本は、最近までモノクロ印刷でした。表紙のみカラーが使え、中の本文はスミ一色でした。もともとPODの機械は写真印刷などハーフトーンのものは苦手で、線画のような黒白はっきりしたものの方が適しています。

2013年に出版したミヤギユカリの『Line:それでも花は咲き今年も蝶がきてくれた』は、オンデマンド印刷でどれくらいのビジュアル表現が可能か、を試した実験的な作品。この当時はまだモノクロ時代でした。テキストがほとんどない絵だけで構成された作品集で、2011年の3.11のあと、絵を描く意味を失っていた著者が、「ちいさな呻き声を線(LINE)に換えて」、1本の線を描きつづけることで希望を手にしようとしていた時期と重なっています。

この本では線画や手描きのテキストが中心ですが、ハーフトーンや黒の塗りの出力状態を見るために、あえてそういった絵もミヤギさんに描いてもらいました。結果は、ハーフトーンの部分は、やはりムラが出たりもしましたが、まったく成立しないわけでもないと感じました。ハーフトーンの箇所は、刷りが1冊ずつ異ることにも気づきました。ただ見方を変えればそれはそれ、完璧に悪いというわけでもありません。

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このときのドローイングの経験が、アルゼンチンの作家、オラシオ・キローガの『南米ジャングル童話集』をPODの本にしようとしたとき、とても役に立ちました。どのように出力されるかおおよそわかっていたので、ウェブで連載されていたときの絵を、この本の中でたくさん使うことができました。

南米ジャングル童話集

さらには、日本でもPODでカラー印刷が始まると、全ページフルカラーの絵本を企画しました。2018年、実験的に『南米ジャングル童話集』から『ワニ戦争』の話を選び、PODによる絵本をつくりました。デザイン: 角谷慶( Su-)。

ワニ戦争cover

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ワニ戦争2

仕上がりは、満足するものになりました。PODは何が得意で何が不得意か、絵を描くミヤギさん、デザイナーの角谷さんにも了解してもらった上での制作だったので、予想外のことは起きず、まずまずの出来になりました。この成功で、第2弾として同じ童話集から、もう一つ絵本をつくろうと準備をしているところです。

と、こんな風にいろいろ試しながら、そのときそのときの手法や技術を利用して、本づくりをしてきた葉っぱの坑夫の20年間。手にした技術をクリエーションにつなげて、何か新しいことをする、新しい考え方として展開していく、というのは本当に楽しい経験になりました。

この先、出版に関する技術の進歩はまだあるのか、いやおそらく進化しつづけるのではないでしょうか。出版というと紙を束ねた書籍を思い浮かべますが、もっと広く、コンテンツをパブリッシュするプラットフォームとして機能し、ネットとパッケージの本の境界を消滅させるような様式が出てくるとか。動的なものと、静的なものがバーチャルな空間で共存し、テキストを読んだり聞いたりすると同時に、登場人物やオブジェクトが働きかけてくるようなものとか。今ある技術を新たな創作様式に適応させたり、統合するだけでも、見たことのない作品が生まれるような気がします。

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