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まもなくnoteでスタート! 【新世代作家が描く小説のいま】 From Africa!!! 第1回作品は、ナイジェリアから

タイトル写真はアクラ(ガーナ)の空撮写真、手前はわたしのスマホの世界時計。ここのところ、アフリカの作家たちとメール交換をしているので、それぞれの居住都市の時刻を登録しています。メールを書いてからこれを見て、あ、もうすぐ起き出すな、といった具合。
Photo (landscape) by Livvy Adjei, Accra, Ghana(CC BY-NC 2.0)

アフリカは広いので東のケニアと西のガーナでは、3時間の時差があります。またオーストラリアに留学中という作家もいて、その場合はアフリカとは朝夕くらいの時差があり、ブリスベンだとむしろ日本に近く、1時間差です。

【新世代作家が描く小説のいま】From Africa!!!(これが今のところのプロジェクト名)の準備は着々と、いやどちらかというとゆったり進んでいます。アフリカンなペースといいますか。バタバタと急がない、それにこちらも合わせています。コーディネーター役を務めてくれているガーナの作家でパフォーマンス詩人のニイ・パークスは、当初こう書いてきました。

マーティン以外まだ了解の返信がないけど、悪い兆候ではないんで。作家たちはみんな返信が遅いからね。

そう言うニイも返信が早いというわけでもなく。。。
でもしっかり良い作家をリストしてくれて、こちらの希望する著者から翻訳・出版のOKをとってくれています。感謝。

以下の記事の内容
・プロジェクトのきっかけとなったこと
・アフリカの作家たちの立ち位置
・コーディネーターのニイ・パークス
・候補作家の選出
・メールでのやりとり
・ビジネスではない場合の利益について
・英語で作品を書くこと

そもそもこのプロジェクトはどこから始まったか。遠い要因としては、(大きなことをあえて言うなら)ここ数年の世界情勢というか、世界の均衡への関心があります。21世紀に入ってすでに24年目になり(四半世紀?)、20世紀からの変化を見ると、明らかなことが一つ。非西洋世界(欧米とそれに即した政策をとる国ではない地域)の台頭、独自路線がはっきりと見えます。

いや、見えてない人には見えない、あるいは認めないとも言えますが。19世紀がヨーロッパの時代で、20世紀が文化政治全般にわたってアメリカの時代だったとするなら、21世紀は? なかでもウクライナ紛争以降、欧米サイドと非欧米サイドが、考え方や政治的選択において二分していることが、国連などの国際舞台(とされる場所)でも見え隠れしています。

今回のプロジェクトに、政治的な意味や意図はまったくありませんが、背景として、現在の世界の均衡をどう見るか、という点に興味があるのは確かです。それと欧米の価値観の外にあるものに、もっと触れた方が健康的ではないか、精神のバランスがとれるのでは、という気もしています。

とはいえ、今回のテーマであるアフリカの「新世代作家が描く小説の世界」が、欧米の価値観の外にあるかどうか、それは何とも言えません。

若い彼らの中にも、たとえばキリスト教文化が深く根づいていることが、作品や彼ら自身の指向性に強く感じられることがあります。そして作品を書く言語が、西洋語である英語だという点についても。アフリカの作家たちが作品で使う英語は、クレオールというわけではなく、標準的な世界言語としての英語です(+ローカル言語も、意図的に混入させているが)。

ただ、彼らの作品を読むと、地域の特殊性ではなく、日々の暮らしの中にある日本との共通の感覚や、実際に共有しているもの、たとえば音楽とか文学とか、あるいは上の世代に対しての圧迫感など、相通じるものを感じることも多いです。

今回、作家を選ぶにあたって、コーディネーターのニイ・パークスに最初に投げかけたのは、一つはemerging(新しく出てきた)人、そしてできればアフリカに居住している人(あるいは生まれ育った人)ということがありました。というのは、その少し前くらいの作家だと、多くの人が国を出て欧米の国で暮らし作家活動をしている、というイメージがあったから。

今の時代、どこに居住しているかは、ほとんど問題にならない要件とも言えますが、自国で作家活動している人の方が、よりアフリカの現状を、日常感を体現していそうに思えたのです。実際、今はアフリカ大陸内の文学活動が活発になっていて、文芸誌があちこちから出ていたり、アフリカの作家のための、アフリカの作家による出版社ができたり、アフリカ文学の賞がいろいろ生まれたりしています。そしてそういう活動の中心にはたいてい作家自身がいて、共同でプロジェクトやイベント、文学賞を創出したりしているようです。

このようなアフリカ文学の自律的な活動の広がり、若い作家の台頭、そして最初に書いた現在の西洋・非西洋世界の均衡といったことが、今回のプロジェクトのきっかけになっています。

そしてこのアイディアを実現するために、かねてより知り合いのガーナの作家・詩人のニイ・パークスに相談しました。ニイはケイン賞などアフリカ文学の賞選考に深く関わっている人で、アフリカの作家を横断的に見たり読んだりする機会に恵まれているので、適任だと思いました。

葉っぱの坑夫との出会いは、2014年に彼のデビュー小説『青い鳥の尻尾』を翻訳出版したときでした。その小説は2010年度のコモンウェルス賞最終候補となった作品で、ヨーロッパで複数の言語に翻訳されています。

さて、そのニイにプロジェクトを手伝ってもらえることになり、作家の選考が始まりました。それが去年の12月のことだったと思います。以降、両者の間でメールが行き交い、3月には候補者リストの中から8人の作家が選出されました。強く意図したわけではなかったのですが、国やジェンダーにおいてバランスのとれた結果になりました。国名でいうと、ナイジェリア、ウガンダ(2人)、カメルーン、ガーナ、ザンビア、南アフリカ、ケニアといったところです。

作家たちの多くは、ケイン賞をはじめとするアフリカ文学の賞の受賞者、または最終候補に残った人たち。その代表作や最新の作品を順番に読んでいきました。

途中から8人の作家たちと直接メール交換もするようになり、ワクワク感が高まりました。一人、大阪に短期間住んでいたことがあるという作家がいて、日本の小説をいろいろ読んでいることを聞かされました。小川洋子、多和田葉子、川上未映子などで、最近は現代の日本文学がたくさん英訳されて流通していることがわかります。

わたしの方から、同胞メールで8人の作家たちに、日本における海外文学の状況や読者、アフリカ文学の受容について、今回のプロジェクトや葉っぱの坑夫のこと、わたし自身のことなどを3回にわたって書き送ったりもしました。協働するときに良い結果を生むためには、信頼関係が一番大事だと思ってのことです。あまり外では話したことのないプライベートなことにも、少し触れたりしました。親近感をもってもらえたら、と。

この活動は商業出版ではなく、非営利の自主プロジェクトであること、つまりビジネスベースではないことも、作家たちに最初に理解してもらいたかったことでした。非営利であることは、ほぼ利益を生まないということ。それでもやる価値はどこにあるのか。参加する人間が、どこかに自分にとっての(お金以外の)利益を見つけるということでもあります。

日本の社会(商業社会)ではまったく通用しないやり方で、とも言えます。葉っぱの坑夫はほぼこのやり方で20年以上やってきました。広い意味での「利益」についても考え続けています。

「日本の」と書いたのは、海外では一般に、非営利での活動を通常の商業活動とは分けて考え、尊重するところがあります。葉っぱの坑夫が「.org」とURLにつけて非営利であることを表明しているのは、そのためでもあります。相手がアメリカの大手エージェンシーである場合も、非営利であることに対して、一定の理解が得られてきました。そこが日本とは少し事情が違います。(非営利というものの受けとめ方において)

最後にアフリカの作家たちが英語を使って作品を書いていることについて、少し説明します。

アフリカやインドなど、かつて英語圏の国の植民地だった国には、英語作家がたくさんいます。それは英語が公用語として使われていたから、という歴史的な理由があるのですが、独立後もたくさんあるローカルな現地語を超える共通語として、人々の間で機能してるように見えます。

今回紹介する作家、そしてニイ自身もそうなのですが、子ども時代(中学以降か)に学校の授業を英語で受け、家でも英語の本をたくさん読んでいたという日常があるようでした。以前にニイにインタビューで、英語で作品を書いているけれど、読者には誰を想定してるのか、なぜ英語で書くのか、と訊いたことがあります。その答えはこうです。

散文においては、今のところ、英語で書くのが一番いいですね。一番書慣れている言語だからです。とは言うものの、わたしの英語は、その使い方においてわたし独自のものであり、ガーナの文化によって形づくられたものです。だからガーナの読者は(ガーナでは中学、高校と英語で教育が行なわれているので、英語で本を読むことは普通です)、国外の人よりも、文のニュアンスをより仔細に受け取っていると思います。

ニイ・パークス、2013年12月のインタビュー

また今回のプロジェクトの第1回に登場する、ナイジェリアのエケミニ・ピウスはこう言っています。

子どもの頃は、両親の本棚にある本を何でも読んでいた。チヌア・アチェベ、シプリアン・エクエンシー、ブチ・エメチェタなどの作家から、熱心なエホバの証人の人が置いていくパンフレット、母親のビジネス書まで、何でも読んでいた。

読むこと、主として英語のテキストで何であれ読んできたこと。そのことが(英語)作家への道につながっている、ということでしょうか。そういえば山田詠美さんがあるインタビューで、小中学校時代の読書量で作家になれるかどうか決まることがある、と言っていました。つまり読むトレーニングをどれだけしてきたかが影響すると。

なるほど、母語であれ第二言語であれ、ある言語でたくさん作品を読むことが、将来自分が書くものの言語となる、それが自然だということでしょう。

アフリカの作家たちは、書物から影響を受けた英語以外に、たくさんあるローカル言語も日常生活で使っていると聞きます。複数の言語を意識せずにどんどん切り替えてしゃべる、とも。英語の小説の中に、ガ語、トゥイ語、ピジン英語などが混在するのも自然なことで、読者にいちいちその意味を説明しない、とニイは言っていました。子ども時代、本を読んでいて、外国語であれ植物名であれ、文脈からしか読み取れない言葉はたくさんあった、そのわからなさも読書の魅力の一つだった、そうニイは言っていました。

さて、今わたしが翻訳にとりかかっている小説にも、???な言葉がときどき入ってきます。「ka girl」とは誰のことか、「bu shoes」とはどんな靴か、どうしようかな、説明抜きでいこうかな、、、ニイの指南にしたがって。

第1回目の公開は、5月24日〜28日のあたりになる予定です。


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