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[エストニアの小説] 第4話 #5 ダイナマイト(全15回・火金更新)

前回 #4 マハラジャの娘
 ニペルナーティはポケットをかき回した。ジリジリして、不安になり、あちこちを探しまわる。
 「どこに入れちゃったかな? なくなるはずはないよね」と慌てふためいて言う。
 そして今、目が覚めたとでもいうように手で額を拭った。
 「白夜はこんなふうに人の頭を狂わせる」 そう言ってため息をついた。
 ニペルナーティは眉をひそめ、口を閉じる。

Title painting by Estonian artist, Konrad Mägi(1878-1925)

 「こんな話、君は嫌いかな、アン・マリ」 ニペルナーティは言う。「わかるよ。じゃあ、違う話しをしようか。わたしが君を愛してることを君がまだ信じないのはがっかりだ」

 「すぐにわかるよ、わたしがあのライオン頭のヨーナみたいに、君を急流で仕留めることがね。仕留める、そういうことだ。その手のことはわたしにとっては何でもないことなんだ。ここでそれをやってのけることに何の問題もない。川があって、滝があって、渡し舟がある。あとは斧を借りるだけだ、ロープを切るためにね。だけどそんな目的のために、わたしに斧を貸してくれる者はいない」
 「まだ、君の気持ちは変わらないのかな?」
 「見てごらん、アン・マリ、これがマーラ湿地だ、どうしてここの水を抜いて青々とした干し草畑にしないのか、わたしの理解を超えている。今も草むらの下で水がゴロゴロ、グルグル音をたてていて、靄(もや)があがっている。白い霧を見てごらん、カバノキやゴツゴツした松の木が空から吊るされてるみたいに浮いて見えるだろ。わたしは滝を見てきた。あそこには石灰石の壁があるが、4、5メートルくらいの幅しかない。これが水を押しとどめている。もしあの壁をダイナマイトで爆破したら、器をひっくり返したみたいに、湿地の水は枯れる。そうなればもう、馬を盗んだりする必要はないし、湿地まで引いてきて隠したり、ジプシーの仲間になることもない。ヤイロスだって真面目な農夫になれるし、クープも幸せな日々が送れる。そうなれば広い道が敷かれて、旅人たちが宿に足を踏み入れて休んでいくことにもなる」
 「あー、アン・マリ、ここにどれだけ素晴らしい干し草畑ができることか、そこで何頭ものアン・マリの乳牛が草を食べて過ごす。大きくて赤い牛だ、胸の下には白い乳が垂れている。そしてアン・マリは農場の家の前で、小さな子どもたちに囲まれながら、その牛を見守るんだ。君は牛を見て大きく笑い、ヘイ、ヘーイ、と呼ぶ。すると牛は夕陽に染まり、白い乳をぶらさげて家に戻って来る。青々とした干し草畑を通って、牛はドシンドシンと家に走ってくる、重い乳を揺らしながら、先頭には牧畜犬、後ろには羊飼いを従えてね。そしてすぐに溢れるミルクがバケツに流れ出す。それにほら、ヤイロスもだ(クープもかな)、汗を拭いながら馬に乗って鋤を抱えて帰ってくる。ヤイロスは君を見て嬉しそうにこう言う、あー、地獄の悪魔よ、あれは昔のことだ、とね。そして君ら二人は子どもたちをはべらせながら、家に入る。そして夫のヤイロスがこう言う。ほら、もう馬を盗んだりする必要はない、そのために刑務所に入ることもなしだ。馬は干し草畑で自然に育つ、森でキノコが育つようにね」

 「わたしは湿地を見てきた。何年もの間、川が森から泥を運びこんできた。滝のところの石灰石の壁はそれをそこに溜め込んだ。だからかつて肥沃な土地だった場所に、何十年、何百年と湿地帯が広がりつづけた。この手のことをわたしはよく知ってる。信じてほしい、アン・マリ。わたしはプロの沼の水切りなんだ。わたしは国中をまわって、ここみたいな湿地帯を見つけると、手をかけるんだ。水が跳ねまわっている沼の水切りをたくさんやってきた。そしてその後には、手の平をひろげたみたいな美しい谷間が現れる。特別な仕掛けなどいらない。滝のそばでダイナマイトを仕掛けて、穴を開ければいいんだ。20歩ほど離れて、穴に弾薬を詰めて、導火線を引けば、壁は吹っ飛ぶ。それで川は水路とつながる、その見事さといったら。水は沼がすっかり空になるまで、新たな所へと泡立ちながら流れていく。秋になって沼地が乾燥したら、斧と鋤をつかって、次の春のために干し草の種を蒔く。このような肥沃な土はどこにもない」

 「どうだい、アン・マリ、明日にでもこれを始められたらいいね。君とクープとわたしと、トビハネ・ヤーンを呼んでもいいな。それほどの日にちはかからないで作業は終わる」
 「想像してごらんよ、秋になってジプシー連中が戻ってきて、カーバの宿に立ち寄る。目をゴシゴシこすって、頭を振るだろうね。なんだ、この魔術じみたことは、と。ここは湿地だった、マーラの湿地であり自分たちの故郷、なのに何もなくなってる。自分たちのものがあちこちに散らばっているけど、高いところに、見慣れない場所にある。沼地だったところには、美しい干し草畑があって、そこを川が流れてる。ここはカーバなのか? かつての故郷を探すが、見つからない。すると彼らの心は恐怖に襲われる。震えながら、馬車の積荷に飛び乗って、この見知らぬ場所から立ち去る」
 「アン・マリ、明日にでもダイナマイトを仕掛けようじゃないか」
 「後にまわす理由などない。ヨーナだって渡し舟を行き来させる忌々しい仕事から解放される。この先は歌って暮らせばいい。どこかのバカが川を渡るといって、駆けつける必要もない。自分の時間を使える、一つ歌い終えれば次の歌だ。こうなると渡し舟はいらない、川は決まったところを流れる、そこには橋が架けられる」

 「アン・マリ、君が答えようとしないのは変だな。あいさつの言葉すらない。わたしはここに座ってもう2、3時間も話しつづけてる。なのに君は巣の中の鳥みたいに黙ったままだ。それとも君は悪夢に引きずり込まれてるのかい? その深い眠りが君を離してくれないのかい? 君の胸は上下して、鼻腔がじょうごみたいに開いていて」
 「いやちがう、もちろん、君は眠ってやしない、ドアのそばで聞いてるんだ。全身耳にして、笑みを浮かべてね。誰が眠ってなどいられよう、霧が晴れて、太陽が高く昇り、ツバメたちが空をくるくる飛んでいるというのに。ほんとうだよ、ツバメの巣はヒナでいっぱいだ、巣の端っこからくちばしを出して、さえずっている、その貪欲さは計り知れない。見てごらん、ムクドリはもうヒナを連れて出てきて、群れになって牧草地をあちこちさまよっている。ヒナたちは森や海を超えて、はるか南まで飛んでいけるようになるまで、これから何百匹もの虫を食べあさるんだろうね」
 「アン・マリ、わかってほしい、いま一度、そして永遠に、わたしが君を愛してるってことを。たった一言でいいから、短い言葉でいいから何か言ってほしい。君がドアの向こう側にいることを確かめたい」
 「それとも君はわたしに何か演奏してほしいのかな?」
 「充分に話はした、そして君はすべてに同意した、だから今は音楽を聞きたいのかな。たしかに、わたしは演奏をするって約束したね、あの納屋にいたときに、覚えているかい?」

 ニペルナーティはそばに置いていたツィターを取り上げてドアの方に向き、弦の上に指を走らせ、曲を奏で始めた。それはポルカで、軽快で元気な曲だった。指が弦の上で踊っていた。笑顔が浮かび、その目が優しくなった。自分の演奏を楽しんでいるようだった。
 「いい曲だろ、アン・マリ」と訊く。
 しかし返事はない。
 「ほんとに眠っちゃったのかい?」 ニペルナーティは戸惑う。
 ドアをノックし、ツィターを弾き、またドアをノックした。
 「冬眠中のクマみたいだな」と声をあげる。

 するとそのとき、居酒屋の裏戸がギーッと音をたて、クープが現れた。いかにも眠そうで、手で太陽の光をよけていた。着ているシャツとズボンが、白く反射していた。

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'White Nights' from "Toomas Nipernaadi" by August Gailit / Japanese translation © Kazue Daikoku
Title painting by Estonian artist, Konrad Mägi(1878-1925)

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