アフリカ系クラシック音楽の♡を聴く
フローレンス・プライス、1887年、アーカンソー州リトルロックに生まれたアフリカ系アメリカ人の作曲家です。ドイツ・グラモフォンのフェイスブックで、最近彼女の交響曲(1番と3番)のアルバムがリリースされた、というニュースを見て、この作曲家のことを知りました。
女性であること、そしてアフリカ系であることと音楽の間にどんな関係があるのか、と言えば、音楽は音楽だから出自とは関係ないとも言えるし、音楽をつくるのは人だからやはり関係は深いと考えることもできます。
実はフェイスブックの告知を見て、わたしはこのアルバムに興味をもちはしたのですが、プライスがアフリカ系であることに気づいてなかった(あるいはぼんやりとしか意識していなかった)のです。ただジャケットの彼女の意志的な顔つきに惹かれたのは事実で、また女性の作曲家という点もアルバムに興味をもった理由でした。
この記事では、プライスの音楽を聴いて、あるいは演奏してみて感じたことを中心に書いていきたいと思います。まずは今回発売になった交響曲のアルバムの中から、3番(ハ短調)の第2楽章をグラモフォンのYouTubeより紹介します。(ネゼ=セガン指揮、フィラデルフィア管弦楽団/10:05)
ゆったりと緩徐楽章らしい、アメリカの荒野をイメージさせる映画音楽のような始まり。オーボエが奏でるどこか懐かしさのあるメロディーを、ピッコロ、フルート、クラリネット、バスーンなどの木管楽器が追いかけるように繰り返します。何度も繰り返される主題は、フォークミュージックのようにも聞こえます。(1938年に書かれ、初演の際、1940年に改定されたようです)
フローレンス・プライスについて調べていたときに、石本裕子さんというハンガリーで活躍するピアニストの方が、女性作曲家のピアノ曲を集めた『Pioneers: Piano Works by Women Composers』というアルバムを2020年にリリースしているのを見つけました。全21曲、クララ・シューマンから三宅榛名まで14名の女性作曲家の楽曲を演奏・紹介していて、その中にプライスのピアノソナタがありました。余談ですが、以前にわたしがnoteで紹介したエイミー・ビーチとリリー・ブーランジェの楽曲も含まれていました。
石本裕子さんはアルバムを出すだけでなく、ブログの連載で「陽の当たらなかった女性作曲家たち」のタイトルで、エッセイを書いています。その中のフローレンス・プライスの項を読むと、どのような作曲家なのかがよくわかります。
19世紀末のアメリカで、アフリカ系の人々がどんな立場に置かれていたか、ある程度は想像できます。石本さんのエッセイによると、父親はシカゴ初の黒人歯科医、母親は教師だったそうです。その意味でプライスはアフリカ系ではあったのものの比較的恵まれたインテリの家庭に生まれ、育ったことがわかります。
母親がピアノを弾ける人だったんですね。これも当時の黒人一般家庭を想像すると、特別なことのように見えます。クラシック音楽の配給業者、NAXOSのプライスに関する記事には、次のようなことが書かれていました。
その後、プライスはボストンの名門、ニューイングランド音楽院へ入学しています。16歳のときでした。そこでピアノ、オルガン、作曲を学び、ピアノ教師の資格を得て卒業すると故郷のリトルロックに帰り、そこで音楽教師になります。当時の黒人隔離政策により、教えていたのはアフリカ系の生徒に限られていたようでした。その頃から作曲はしていたようです。
リトルロックで暴動が起こり人種間の緊張が増したことで、プライスは1927年、家族とともにシカゴに居を移します。NAXOSの記事によると、それ以降、彼女の音楽活動は活発になり、交響曲、声楽曲、器楽曲、室内楽曲と多くの作品を生み出したとあります。チェコの作曲家ドヴォルザークや、黒人霊歌、南部のローカルな舞曲の影響が強く見られたようです。
プライスはドヴォルザークの音楽とその思想に大きな影響を受けました。この作曲家はアメリカに居住していたとき、アメリカの作曲家はヨーロッパの音楽の真似ではなく、独自の音楽をつくるべきだと主張していたそうです。この言葉がプライスの創作活動に影響を及ぼしたとしても、何の不思議もありません。
ドヴォルザークがニューヨークに滞在していたのは1892〜1895年、激しい人種差別のあった時代です。アフリカ系アメリカ人への尊敬、尊重などなかったという社会状況を考えると、このチェコ人作曲家の発言には驚かされます。さらにはアメリカ音楽の本質を考える上での大きなヒントになりそう。
石本さんのエッセイによると、プライスの作品が世に認められるようになってきたのは、最初の結婚が破綻したあとのことのようでした。最も大きなトピックは1933年にシカゴ交響楽団によって、交響曲第1番が演奏されたことで、これはアフリカ系の女性作曲家の曲が、メジャー・オーケストラのコンサートで取り上げられたアメリカ最初の出来事として、あらゆるメディアで取り上げられています。
わたしはプライスに興味をもったのち、いつもしているようにIMSLP(ペトルッチ楽譜ライブラリー)に登録されている楽曲を見にいきました。オーケストラ曲、器楽曲、歌曲など14曲のスコアが閲覧、ダウンロード可能になっていました。録音の登録は少なく、1件しかありませんでしたが、YouTubeにいくと多くの演奏家がコンサートや録音のために、プライスの楽曲を演奏していました。それもここ1、2年の録画が多く、プライスの音楽が今も広く愛されていることがわかりました。
いくつかの演奏動画を見た中で、とても印象的な、心揺さぶられる演奏があったので、ここで紹介したいと思います。
弦楽四重奏曲第2番イ短調(第2楽章アンダンテ・カンタービレ):イギリス人バイオリン奏者のダニエル・ホープとサンフランシスコをベースにするニュー・センチュリー室内管弦楽団のメンバー3人が共演しています。ダニエル・ホープはパンデミックのとき、非常に早い時期に、ゲスト演奏者を自宅に招いてミニコンサートのシリーズを始め、arte.tv(独仏共同出資のストリーミングによるTV局)を通じて公開していた人です。生まれは南アフリカ、アイルランドとユダヤ系ドイツ人のルーツをもちます。そんなこともプライスの作品演奏の選択と関係があるのでしょうか。
この曲の出版は1935年ですが、古い曲を聞いているという感じはしません。第2楽章ということもあって、歌心が全面に出ている曲だと思いますが、プライスの弦楽四重奏曲はこのタイプの曲が多いようにも見えます。演奏家がエモーショナルなソウルに引き込まれるような、そんな感じが他の弦楽四重奏曲でも感じられました。
次に紹介するのはピアノ曲です。前述のIMSLPでいくつかピアノ曲の楽譜をダウンロードし、弾いてみました。最初はこれ。
Three Little Negro Dances (1933)
I. Hoe Cake(コーンミールパン)
II. Rabbit Foot(うさぎ足)
III. Ticklin' Toes(くすぐったいつま先)
このピアノのための組曲は、プライスの作品の中でもよく知られているようです。「黒人のダンス」とタイトルにあるように、アフリカ系アメリカ人のもっているアフタービートの強いリズムの跳躍に満ちた曲だ、ということが実際に弾いてみるとはっきりとわかります。
まず楽譜を見て気づくのが、8分の4拍子だということ。あまり見たことがない気がします。拍の数え方を8分音符ではなく、4分音符でとれば、4分の2拍子となり、普通の拍子です。ただその場合、1、2、1、2と行進曲のようなリズム感になってしまいます。8分の4拍子だとどうなるかというと、4拍子となり、1234、1234となります。8分音符で、タタタタ、タタタタ。やはりかなり違いますね。第1小節目は4分音符が使われていますが、4分音符でタン、タンではなく、一つの4分音符をタタと8分音符で数えるわけです。これをドー、ソーと4分音符で弾いてはいけない、ということです。ド(オ)ソ(オ)と8分音符のリズムで弾きます。
5小節目からは左手がタタタタと8分音符の刻みとなり、右手が後打ちで、ンタンタと合いの手を入れます。この合いの手のリズム、弱拍にアクセントがくる(シンコペーション)がこの曲を特徴づけています。つまりNegro Danceなのだと思います。
この組曲を弾いてみて感じたのは、黒人のリズムであることと同時に、アメリカンなテイストがあることです。何がアメリカンかと説明するのは難しいですが、見える風景がヨーロッパではないというような。この曲の感じと似た曲があったな、と思っていたら、それは『シェルタリング・スカイ』などの小説で知られる作家&作曲家のポール・ボウルズのピアノ曲でした。タイトルは『Folk Preludes』、7曲の組曲です。「Oh! Potates They Grow Small Over There」とか「Kentucky Moonshiner」などのアメリカンなタイトルがついていて、ビートがというより、Folkとタイトルにあるように曲想がアメリカ民謡風なのです。
ここで思ったのは、そもそもアメリカ音楽というのは何を指すのだろうということ。アメリカのルーツ音楽って何になるのか。民謡の元をたどると労働歌だったりすると思うのですが、それはたとえばプランテーションで働くアフリカからやって来た人たちの歌だったりするのだろうか、とか。
あるいはスピリチュアルと言われる黒人教会でうたわれる宗教歌、黒人霊歌と言われているもの、これもアメリカ音楽のルーツの一つなのだろうか。そう考えると、黒人音楽っぽさとアメリカンなテイストが混ざり合っていても全然おかしくない気がしてきます。ちなみに「霊歌」をWikipediaで引くと、
宗教的な民謡、アフリカ系アメリカ人の共同体で生まれた歌、黒人霊歌、こういったものがアメリカ音楽の基盤の一つになっている、というのはこの記事を書いていて気づかされたことであり、前述のドヴォルザークの主張とも合致しています。
プライスは黒人ルーツの民謡の旋律やリズムを楽曲づくりの際のアイディアや素材にするだけでなく、霊歌からの編曲作品も多く書いています。「My soul's been anchored in de Lord」「Nobody knows the trouble I've Seen」「Some o' These Days」などなど数多くあります。「….in de Lord」。そういえば、先にあげたポール・ボウルズの『Folk Preludes』の中に、「Whar Did You Cum From」というタイトルの曲があり、これは「Where Did You Come From」がなまったもの、つまり田舎の人、あるいは黒人の言葉のように見えます。ポール・ボウルズはアメリカの作曲家としてはかなりの変わり種で、人生の後半の多くを北アフリカのタンジールで過ごし、モロッコ人との深い交流もあって、モロッコローカルの歌や音楽を録音採集して膨大なコレクションにしています。ひょっとしたらボウルズは、ヨーロッパ音楽の複製のようなクラシック音楽の作曲家になることに抵抗していたのでしょうか。そのコレクションの一部が、『Music of Mrocco: Recorded by Paul Bowles』というアルバム(1959年)によって、Spotifyなどで今も聴くことができます。
プライスの霊歌からの編曲作品として「Nobody Knows the Trouble I've Seen」をあげましたが、これはピアノ作品としてIMSLPに楽譜がありました。弾いてみるとこれは「歌」ですね。どこか懐かしいような、遠い昔話を聞いているような、霊歌からのアレンジと言われればその通りという感じ。
クラシック音楽の、あるいはヨーロッパの伝統音楽の香りとはかなり違います。もしかしたら「クラシック音楽には聞こえない」という人もいるかもしれません。このあたりの曲になると、ポピュラー音楽との境界はあいまいになる可能性もあります。それがアメリカのクラシック音楽だ、とも言えると思うのですが。ヨーロッパ音楽の模倣ではない、アメリカ音楽、アメリカのクラシック音楽。
プライスの音楽を聴いたり、弾いたりしていて、アメリカにおけるアフリカ系の人々が歴史に刻んできたものの深さ、重さを感じています。モーツァルトやベートーヴェン、ショパンといったヨーロッパ人の音楽が今もクラシックの王道をいく中にあっても、黒人をルーツとする、あるいはアメリカの宗教歌や労働歌、民謡から発生したアメリカ音楽は、それなりに居場所を得ているし、愛されているのではと思いました。
実際、彼女の曲をピアノで弾いていると、シンコペーションのリズムが楽しく、またメロディーが心に染みます。ヨーロッパ音楽ばかりの中でプライスの曲を手にとると、パッとまったく違う風景が見えてきて、音楽の異国に迷い込んだようです。楽器ができる方は、IMSLPへ行ってスコアを手に入れ、ぜひ一度体験してみてほしいです。
フローレンス・プライスの作品はアメリカを中心に広く演奏されているようですが、ピアノ曲に関していうと、少なくともYouTube登録の楽曲では、アフリカ系のピアノ奏者によって多く演奏されています。その中から一つ、紹介したいと思います。
"Sketches in Sepia" (1947), Florence Price, performed by Samantha Ege
ところで20世紀初頭のヨーロッパの作曲家は、ラヴェル、ドヴォルザークとジャズや黒人由来の音楽を高く評価していましたが、クロード・ドビュッシーもその一人でした。『子供の領分』というよく知られたピアノ組曲の中に、「ゴリウォーグのケークウォーク」という曲があります。このケークウォークというのは、アメリカの黒人たちの間で19世紀末に誕生した踊り(一部にはおかしな歩き方という説明もありました)のことで、ドビュッシーはこの踊りのリズムを楽曲のアイディアと素材にしたようです。とても楽しい、正に黒人のリズムといった曲です。
ドビュッシーのケークウォークを聴くと、アメリカの黒人たちのもっているリズムが象徴的に表されているように感じられます。最後に、プライスの作品ではありませんが、チョ・ソンジンの演奏で紹介したいと思います。
Seong-Jin Cho – Debussy: VI. Golliwog's Cakewalk
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