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未知の作曲家を発見する楽しみ(初級編)

音楽の楽しみ方には、聴く、見る(映像作品)、知る(本など)、歌う、演奏する、合奏する、作る、などなど、いろいろありますけれど、未知の作曲家と出会いその作品を聴く、あるいは演奏するということには胸のトキメキと深い喜びがあります。未知といったとき、世の中であまり知られていない作曲家がまずあがるでしょうが、それ以外に、それなりに知られてはいるけれど自分は知らなかったというケースもここに含まれます。またよく知られている、そして自分も知ってはいるけれど、新たな側面を発見!という場合も。(title image: Domenico Cimarosa & Lili Boulanger)

今回の記事では、古い時代のイタリアの作曲家と20世紀初頭に活躍した女性作曲家たちの話を中心に書こうと思います。子どもを含めたピアノ学習者(初級〜中級)の楽曲選びの参考にもなるかもしれません。

最近わたしが知った古い時代の作曲家に、イタリアの18世紀の音楽家、ドメニコ・チマローザ(1749〜1801年)とバルダッサーレ・ガルッピ(1706〜1785年)がいます。どちらもモーツァルト(1756〜1791年)と同時代の人で、この2人を知ったのは、アイスランドのピアニスト、ヴィキングル・オラフソンの最近のアルバム『モーツァルト&コンテンポラリーズ』によってでした。18世紀というのは2、3世紀も前、はるか昔の音楽です。

まあモーツァルトは今も人気の作曲家で、その時代の音楽が楽しめることにそれほど不思議はないかもしれません。ただモーツァルトは飛び抜けた天才であり、個性によって時代を越えてしまっているところがあるので、他の作曲家にも同じことが当てはまると言えるかどうか。古い時代の作曲家として、わたしはたとえば17世紀生まれのフランスのジャン=フィリップ・ラモー(1683〜1764年)やドイツのエマニュエル・バッハ(1714〜1788年)も好きです。

古い時代の音楽には、なんとも言えない魅力を感じます。中でも素朴さ、単純さ、といった側面に心惹かれます。そして控えめながら、じんわりとくる熱さにも。ロココ時代、宮廷音楽の時期とも重なるので、まったく違うイメージを持つ人もあるとは思いますが。

今回知った2人のイタリア人作曲家は、自分がイタリア音楽に馴染みがなかったこともあり新鮮でした。日本でクラシック音楽としてよく聴かれているもの、そしてピアノ学習者が学ぶ楽曲は、おそらくドイツ周辺の作曲家のもので占められています。バッハ、モーツァルトにはじまり、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームス、シューマン、ショパンあたりは学校の音楽の時間でも習うおなじみのこの地域の人々。

これから紹介する2人のイタリア人作曲家に、イタリア風のところがあるのかどうか、ピアノソナタ(チェンバロソナタ)を聴いたり弾いたりした限りではよくわかりません。でも古い時代の音楽のもつ「素晴らしき単純さ」は確かに感じられます。チマローザはチェンバロソナタを80曲以上書いたそうですが、楽譜が発見されたのは1920年代だとか。また80曲といいますが、一般的なピアノソナタのように3楽章編成ではなく、単独の楽章からなる短い曲が多いようです。ただWikipedia英語版によると、80曲のすべてがバラバラの曲ではなく、一つのソナタとして3つの楽章を成しているものもあると考えられるそうです。そのチマローザのソナタを一つ、ここで紹介したいと思います。
ソナタNo.42 ふつうに誰が聴いても美しい曲です。(2:23)

ついでにこの曲の楽譜の冒頭を、参考までに。

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ゆったりしたテンポで、しかも楽譜が白い(音符の数が少ない)ところから演奏が難しくないことがひと目でわかります。最初の4小節の伴奏はドミソ、ドミソ、シレソ、シレソと超単純、ただここに単旋律を乗せて美しく響かせて弾くのは必ずしも簡単とは言えませんが。この曲、終わりまでテンポの大きな揺れはなく、臨時記号もほとんどなく平穏な全4ページ。ソナチネくらいの学習者なら無理なく弾けるのでは。オラフソンは彼独特のニュアンスをつけて弾いていますが(オラフソン編曲となっている)が、素朴に音符を弾くだけでもとても美しい曲です。

もう1曲、チマローザのわずか1ページに収まってしまう短いソナタの楽譜と演奏を。per l'Organo(オルガンのための)とあり、これまたごくごくシンプルな曲ですがとても美しく、初心者でも弾けそうです。

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この単純さ、シンプルな曲想というのは、好みにもよると思いますが、わたしの考えでは、シンプル≒美、つまり単純さゆえに美しさが引き立つ、より引き出される、ということがあるように思えるのです。赤ちゃんの無垢さ、小さな子どものけがれのない感じ、そういったものに通じるような。

少し話がそれますが、ピアノの詩人と呼ばれ美しく甘美で華麗な曲を書いたショパンは、21曲のノクターン(夜想曲)を書いています。わたし自身は民族的な色合いの濃いマズルカの方が好きで、ノクターンはあまり知りませんでした。最近ちょっとしたきっかけで、ショパンのノクターンの21番(遺作)の楽譜と遭遇し、弾いてみようかなと思いました。

全3ページで調性はハ短調、楽譜はシンプルです。最晩年に作曲されたと言われているものの、書法や形式が単純で、創意に欠けることから若いときの作品ではないか、との学説も過去にはあったとか(日本版Wikipedia)。確かに序盤では同じ旋律を(工夫なく?)繰り返すなど、単純さを感じさせる曲ではあります。が、弾いてみて感じたのは、この際立つ単純さにこそ、この作品の曲想が現れているように思えました。ちょっとマズルカのような民族調、あるいはシューベルトの放浪性が感じられるメロディと、この単純な、あるいは単調な曲の構成に深い悲しみの感情がみえるのです。
英語版のWikipediaを見てみると、
It is famous for its striking simplicity and folklike melody.
「胸を打つ単純さ」「特筆すべき簡素さ」で知られる、とありました。

これはまさにわたしが感じたことです。この単純さを切実に感じ美しいと思うか、創意に欠ける完成度の低い作品と見るかは、意見のわかれるところでしょう。

イタリアの古い時代の作曲家、もう一人はガルッピです。下の動画はイタリアのピアニスト、ミケランジェリによるソナタNo.5の演奏。ハ長調のごくシンプルで簡素な曲を20世紀を代表する巨匠が真面目に弾いています。

ガルッピは鍵盤楽器用の曲をたくさん書き、楽譜も多く残されているようです。ペトルッチ楽譜ライブラリー(IMSLP)にも、ハープシコードソナタとして何曲かアーカイブされています。18世紀の手書き楽譜もIMSLPにはあってソナタNo.5の1楽章を見ると、なんと低音部の左手のスコアがハ音記号で書かれています(2、4、6、8段目)。ハ長調のド(中央ハ音)を示す記号ですが、この楽譜では上から2番目の線上に記号の中央部がきています。この時代の書法でしょうか。右手(1段目他)は誰もが知るト音記号です。

ガルッピ ハ長調ソナタ 18世紀の楽譜
Manuscript(between 1790 and 1810)

いかがでしょう。古い時代の簡素な曲たち、21世紀という何やかやと複雑なことの多い時代に聴くと、心が洗われる気がしませんか? こういった19世紀以前の音楽は、20世紀以降の調性によらない音楽をはじめた作曲家たちとも相性がいいようで、多くの人が前世紀(19世紀)の音楽を半ば(あるいは激しく)否定しつつそれ以前の音楽を称賛しています。ミニマル・ミュージックで有名なスティーヴ・ライヒもその一人。

さて次は20世紀初頭を中心に活躍した、女性の作曲家たちです。一人はアメリカの作曲家、エイミー・ビーチ(1867〜1944年)、もう一人はフランスの作曲家、リリ・ブーランジェ(1893〜1918年)です。

そもそも作曲家に女性はいるのか、いたとして、どのようにして知る機会が生まれるのか。と思われるかもしれません。女性の作曲家は歴史的に見てもたくさんいます。ただ知る機会、知られる機会はとても少なかった(少ない)ようです。おそらく音楽好きの人であっても、誰か一人、女性の作曲家の名前をあげて、と訊かれてすぐに答えられる人は少ないのでは。

クララ・シューマン(シューマンの妻)?くらいは出るかもしれませんが、彼女も19世紀という女性の作曲家の存在が認められていなかった時代の中で、作曲家としてではなくピアニストとして知られていたようです。あるいはヒルデガルト・フォン・ビンゲン(11世紀の作曲家、ドイツ薬草学の祖)をあげる人がいるでしょうか。いやいないか。

わたし自身も、女性の作曲家に注目したことはありませんでした。経験としては、何年か前に、「インタビュー with 20世紀アメリカの作曲家たち」というコンテンツの連載をしたことがあり、10人の作曲家の中に3人の女性作曲家を含めたことがありました。現代アメリカの作曲家への興味から生まれた企画で、ブルース・ダフィーさんというブロードキャスターが、長年に渡ってラジオで行なってきた音楽家インタビューの記録の中から、アメリカの作曲家10人を選び、日本語に訳したものです。そこではジョーン・タワー、ポッツィ・エスコット、ルイーズ・タルマの3人を選びました。前者2人は高齢ながら今も健在です。

「インタビュー with ...」で作曲家の選択をするとき、女性を意識したかと言えば、しました。ただエリオット・カーター、ジョン・ケージ、フィリップ・グラスと著名作曲家がずらりと並ぶリストの中で、知っている女性作曲家は一人もいませんでした。自分が女性の作曲家を一人も知らなかったからです。知らないながらもそのとき、この3人を選んでコンテンツに入れたことはよかったと思っています。なぜなら彼らの話はすごく面白くユニークで、また楽曲も優れていたからです。

最近見たドキュメンタリー映画『Women Composers - a cinematic search for their lives in music』の中で、現在、トップレベルの女性指揮者が100人に5人なのに対して、同作曲家は100人に2人という解説がありました。トップレベルだからということではなく、男性と比べて、女性の作曲家の絶対数が今も圧倒的に少ないということでしょう。『Women Composers』の中で、ある音楽学者は、なぜ女性作曲家の作品が取り上げられないのか、の答えは「知られていないから」に過ぎないと言っていました。知られていないものが知られるようになる、のはなかなか大変なことです。知られていないものは、いつまでも「知られていないまま」だったりします。なぜなら誰もが、よく知られているものばかり聞きたがるからです。現在もクラシック音楽で演奏回数の多い作曲家は、モーツァルト、ベートーヴェン、バッハ、、、だそうですから。

さて、これから紹介するエイミー・ビーチとリリ・ブーランジェをわたしが知ったのは、facebookの「Women Composers of Classical Music」というグループでのことです(facebookのグループというのは面白いものがありますね)。エイミー・ビーチは、facebookへの投稿者のサイトに詳しいバイオグラフィーなどの情報があったのでそれを読んだり、さらにペルトルッチ楽譜ライブラリー(IMSLP)でCDを聴いたり、楽譜を探したりしました。こういうとき、IMSLPはとても重宝します。ABC順の楽曲リストを眺めていてタイトルに興味をもったのが『The Rainy Day』と『Eskimos』でした。前者は歌、後者はピアノ曲です。

『Eskimos』とは今でいうイヌイットの人々のことですね。楽譜の初版発売が1907年。犬ぞりの絵があしらわれた表紙につづいて、1.北極圏の夜 2.帰ってきた猟師 3.追放者 4.犬の部隊と、と全4曲が収録されています。子ども向けとは書いてないですが、エスキモーの暮らし、あるいは歌をイメージしたような変わった曲調で、子どもは楽しんで弾くかもしれません。

子ども向けのものとしては『Children's Album』という曲集があって、これも楽しくてよくできた作品です。
Amy Beach - Children's Album, Op.36(1.メヌエット 2.ガボット 3.ワルツ4.マーチ 5.ポルカ)

日本のピアノを弾く子どもたちにお馴染みのドイツのブルグミュラー(1806〜1874年)の曲集と比べると、やはり20世紀にかかる作曲家だけあって、エイミー・ビーチの曲はちょっとだけ新しく、テーマも現代風なところがあります。和声的にはどの曲も調性音楽の範囲だと思いますが、20世紀に向けて音楽が激しく変わっていく過渡期の作品という意味で、興味深いところがあります。ヨーロッパでもアメリカでも、作曲家たちは19世紀以前の調性の枠から逸脱すべきなのか、収まるにしろ外れるにしろ、どう距離を取ったらいいのか試行錯誤していたのではと想像します。

数少ない女性作曲家として、すでにアメリカで成功していたビーチは、年の離れた夫の死後、長年の夢だったヨーロッパで数年暮らします。「クラシック音楽の本場」で、自作のリサイタルやシンフォニーの公演を果たしますが、第一次世界大戦の影響でアメリカに帰ってきます。しかし無調や十二音技法、ジャズやラグタイムといった当時の音楽革命に馴染めなかったビーチは、音楽界で忘れられた存在になりつつありました。その後ビーチはマクドーウェル・コロニー(音楽家のマクドーウェル夫妻によって設立された、アーティストのためのレジデンシー&ワークショップ)で作品づくりに励み、晩年まで多くの楽曲を生み出しています。

この20世紀前後の音楽の変容の中で、ビーチが無調や十二音技法に走らなかったことは、後の時代のわたしたちにとっては幸運だったのかもしれません。無調や十二音技法による音楽は、後の時代の音楽に大きな影響を与え、クラシック音楽の枠組みを確実に広げた意味ある変革だったとしても、21世紀の今の主流とは言えないからです。わたしたちは今、昔とは違う調性感の中で多くの音楽をつくり、聴いています。ビーチの作品は、少しだけ新しい響きをもつ、19世紀末〜20世紀にかけての特徴をもつ音楽であり、それは現在の多くの人々の耳にとっての許容範囲なのです。

次に紹介するのはフランスの作曲家、リリ・ブーランジェです。音楽に詳しい人なら、ナディア・ブーランジェの名前を聞いたことがあるかもしれません。ナディアは20世紀の名だたる音楽家をたくさん育てた音楽教育家ですが、リリ・ブーランジェはその妹です。リリ・ブーランジェは1893年、音楽一家のもとで生まれ、小さな頃から音楽の才能を表していましたが、病弱だったため、24歳のときになくなりました。 ↓『古い庭から』(1914年)

リリ・ブーランジェはその才能をガブリエル・フォーレにも認められ、作風もこの巨匠に近いものがあります。音の響き的にはドビュッシー、ラヴェル、あるいは坂本龍一もこんな感じでしょうか。調性を感じさせながらも、古典派やロマン派の音楽とは少し違う新しい響きです。

ブーランジェは20歳のとき、ローマ賞を受賞するほどの才能の持ち主でしたが、若くしてこの世を去ったため、作品の数は多くありません。それもあって、姉のナディアほどには名前を知られていないと思います。リリ・ブーランジェは、前述のドキュメンタリー映画『Women Composers』の中で、4人の作曲家の一人として紹介されています。ちなみにあとの3人はメル・ボニス(1858〜1937年)、ファニー・ヘンゼル(1805〜1847年)、エミリー・マイヤー(1812〜1883年)です。

この時代を生きた女性たち(特に上流社会で)は、アメリカでもヨーロッパでも、家同士が決めた結婚をし、家庭に入って家族や子どもの世話をすることが普通で、音楽を職業として生きていくことは相当難しかったようです。そのためエミリー・マイヤーは生涯結婚をせず、エイミー・ビーチは子どもをもちませんでした。ナディア・ブーランジェも結婚をしていません。

facebookの「Women Composers of Classical Music」や、ドキュメンタリー映画『Women Composers』には、フェミニズムの視点から見た女性作曲家の存在という捉え方が、それとなく感じられます。アーティストに女性も男性もないだろう、「女性」を強調するのはおかしいのでは、という考え方もあると思いますが、現状を少しでも変えていくためには、このような意図的な視点や特化した表現、推しも必要だということでしょう。

『Women Composers』はドイツ人ピアニストのキラ・ステカビー(1984年〜)とフィルムメーカーのティム・ファン・ベイフェレン(1961年〜)による作品で、World Music and Independent Film Festivalなどで複数の賞を受賞、現在、vimeoで有料で公開されています。

最初に紹介したイタリアの作曲家の曲は調性音楽ですし、非常に単純なつくりですから、誰の耳にも馴染みやすいと思います。次に紹介した20世紀にかかる2人の女性作曲家も、エイミー・ビーチはまったく調性音楽の範囲ですし、リリ・ブーランジェにしても響きは新しいものの、斬新すぎて聞けないということはないと思います。ちょうどいいくらいの新しさかなと。

耳というのは舌と同じように、案外保守的で、新しいものや馴染みのないものを最初しりぞけようとします。でも耳が慣れてくると、違和感は減っていき、それを好ましいものとして受け取るようになります。

1、2年前に、『剣の舞』で有名なハチャトゥリアン(1903〜1978年)の『少年時代の画集』という曲集を買って弾いてみたことがあります。20世紀生まれのアルメニアの作曲家が、どんな曲をつくっていたのか興味があったから。第1曲目だけはランランも弾いたりしていてわかりやすい曲なのですが、後ろにいくにつれて、なんだこれは?という感じで、弾いていて音が合っているのか間違っているのか判断しにくくなってきます。20世紀以降の曲にはよくあることなのですが。

でもしばらく弾いていると、これが、慣れてくるのです。そして面白さがだんだんわかってきます。自分にとって未知な響きだけに、それを身に引き寄せたときは新しい世界が開けたような、ワクワク感が出てきます。

何が未知な音か、響きか、は人によって(音楽的体験によって)違ってくると思いますが、舌が変わった味や食感と出会って喜びを感じるように、耳にも新たな響き、未知の音に触れる機会をつくってあげるといいんじゃないかと思っています。


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