見出し画像

[エストニアの小説] 第5話 #11 説教(全15回・火金更新)

 ニペルナーティは自分のまわりで頭をたれる人々を見て、声に自信を取り戻し、目を輝かせ、大きく広がった鼻を得意げに天にむける。

 「テリゲステの女主人、カトリ・パルビは、喜ばしくも70年間の人生を過ごしてきました」
 ニペルナーティはカトリの方を向く。そして熱意と機知を見せつつ、一人の人間の70年間の運命を描きはじめる。いくつかの幸福な出来事や人との適切な関係を示し、調子に乗ってスピーチは川の流れのように進み、速くなったり遅くなったりと進んでいく。カトリの良き行いを取り上げ、美徳とし、谷間で咲く花と並べて、その純粋さや無垢なところを語った。
 ニペルナーティが立ち上がったときは気絶寸前だったヨーナですら、今は話に耳を傾けている。静かに、心を傾けて聞き入り、やがてニペルナーティは本当の聖具室係ではないかと思いはじめる。女たちはすでに大きな音をたてて鼻をかみ、目をこすっている。ヤーン・シルグパルは力強い言葉にすくんでいた。おじぎでもするみたいに頭を沈め、ジェリー固めの肉の入れ物に顔を突っ込まんばかり。テニス・ティクタはすっかり敗北した気分である。このような説教や敬意がカトリに捧げられることは予想外だった。ここは悪魔の棲む地獄か。カトリは無垢な乙女にしたてられて、花だ、バラだと呼ばれている。恩人と言われている。恩人だって? この邪悪で無慈悲な年くったババアが、尊大さをもって、バカな男どもにいい農地を配ったが、自分には砂地の丘だけ、スズメさえ家族を養えない場所だ。栄誉ある聖具室係がこの邪悪なクソババアを恩人だと? みんなでこの聖具室係を連れ出して見せてやれ。そうすればそこがどんだけ砂地の貧しい土地かわかる。

 トーマス・ニペルナーティは突然、力強い言葉の流れをとめて間をあけ、それから神の祈りの言葉を静かな抑えた調子で読み、そしてこう言う。「さあ、みなさん、エルサレムの歌を歌いましょう、素晴らしい神聖なる街の歌を」
 歌が終わると、人々は説教に感動したまま立ちつくしていた。アルベルト・ティクタとアーパシバー親子だけが、立っているのに耐えられず、椅子に倒れ込んだ。カトリ・パルビは感じやすくなっていて、笑ったり泣いたりを交互に繰り返し、恥ずかしそうに前を向き、自分の純粋で澄んだ心にドギマギしていた。
 ニペルナーティは部屋の中を歩き、(すっかりこの役にはまって)こう言う。「では洗礼する子どもを連れてきてください。そして花嫁と花婿は準備を」
 「おー、我らが神よ、カナンの不運な土地よ!」
 ヨーナが絶望してため息をつく。
 テーブルの一つが素早く脇によけられ、水を入れた大きな器が椅子の上に置かれる。メオス・マルティンがロウソクを灯し、バラ色に頬を染めた母親が赤ん坊を抱いて水の器のところに近寄る。メオスは自分が孫息子の名付け親になりたい。
 
 そこで再び歌があり、またニペルナーティがしゃべり、そしていま、宿命を負った子どもが静々と人生の一歩を踏み出す。突然ニペルナーティは闇の声と出会う、黒々とした雷雲を子のまわりに呼び集め、霰(あられ)をもたらし、雨水を注ぎ、風をうならせ、嵐を起こす。聞いている者が心の深いところで、生きることの苦難と恐れに動揺すると、ニペルナーティは魔法使いのように雲を散らし、雹(ひょう)まじりの激しい嵐を追いやる。風は静まり耳を澄ます。ニペルナーティは天空に輝く太陽を据え、生きる喜び、素晴らしさを訴えはじめる。聞き手の顔は晴れ、幸せな表情を見せ、その目は魔法使いの顔をなでていく。メオス・マルティンの顔は満足と至福に満たされる。こんな素晴らしい説教には、もう5クローンを追加しよう、そう心の内で決意する。そしてニペルナーティはスピーチを結び、洗礼を行ない、厳粛な面持ちでこう言う。「かくして、わたしはこの子、ヨーナタンに洗礼を施す」

 赤ん坊が連れていかれると、ニペルナーティは結婚する二人の方を向いて、貞操と義務について唱え、もう一つ歌をうたい、それから席にすわって額の汗をぬぐう。
 「ああ終わったよ」 ニペルナーティはホッとして言う。
 ところがこのとき、人々がこの男のまわりを囲み、ある者は感謝の言葉を述べたいと、またある者は自分たちの熱狂を伝えたいと寄ってきた。
 「なんという説教、なんと素晴らしい説教なのか」 ヤーン・シルグパルが泣きながら声を上げる。「68年間生きてきて、この地に生まれ68年間暮らし、こんなすごい説教は未だかつて聞いたことがない。まるでわたしの哀れな魂がペンチに挟まれ、ギュッとひねられたみたいな気持ちだ。そしてわたしがその手の中でキャラウェイの種になるまで、ひねってひねってひねりあげられる。もう息をしたり動いたりできない。これが説教というものだ。似たようなものはあっても心に何も残さない」

 「このクソッタレが言いやがった」 ヤーク・ヤルスキがテーブルをバンと打って吠えた。
 「そうだ、たしかに言ってくれた」 息子のヤーン・ヤルスキがテーブルの反対側で拳を叩きつけて答えた。ターベッ・ヨーナはニペルナーティの方ににじり寄ってささやいた。「いまが逃げどきだ! ここから酷いことになるぞ」「逃げる?」 ニペルナーティは驚いた。「でもどうして? わたしは役割を充分に素晴らしくやり終えただろう? それとももっと上等の聖具室係を見たことがあるのか? 牧師だってこれほどの洗礼と結婚式はできまい。こんな人々の高揚を、頬を濡らす涙を見たことあるかい? ないだろ、ヨーナ、わたしは自分の出来にとても満足してる」
 「だけどあんたは聖具室係じゃないだろ?」 ヨーナが絶望して声をあげた。「あんたは赤ん坊の洗礼をして、結婚する二人を祝福した。でもあんたは聖具室係じゃない。もしこのペテンが見つかったら、ああ、天の神よ、われらを救いたまえ!」
 「なんでわたしが聖具室係じゃないってわかる?」 ニペルナーティは気分を害して尋ねた。「それにわたしが何者か、どこから来たか、話したことがあったかな? あー、ヨーナ、きみはわたしの職業を知らないんだ」
 「あんたは沼の水切りだって自分で言ったじゃないか」 ヨーナは厳しい調子で言った。
 「聖具室係というのは、ときに水切りをすることもある、その気になれば」 ニペルナーティは自信満々で答えた。「心配するな。お客やご主人のために歌ったらどうだ」
 「歌う?」 ヨーナはすねたように座りなおすと、グイグイと酒を飲みはじめた。いや、これは最後にはバレる話、大した大嘘だとわかる。人々はニペルナーティを殴って、外に叩き出すだろう。その後には青あざが残るだけだ。ただヨーナ自身は何も悪いことはしていない。誰のことも洗礼してないし、誰にも結婚を祝福したりしてない、カトリを褒めたたえてもない。この世に正義があるならば、誰もヨーナを罰することはない。ニペルナーティを打ち叩くだけだ、この第一級のペテン師を。

 ヨーナは静かになってウォッカを少し飲むと、歌いはじめた。
 テニス・ティクタがニペルナーティの方へフラフラとやってきた。
 この男はあの説教について、ひとこと言っておきたかったのだ。
 「たいしたもんじゃなかった」 ティクタはニペルナーティの隣りにすわって言った。「あんたの説教は確かに良かったかもしれんが、比較にならん。いいかい、俺は一度ある説教を聞いたんだが、そりゃたいしたもんだった。教会の礼拝にいったら、そこに年老いた牧師がいた。名前はバールだったと思う。その牧師が最初のひとことを口に出したとたん、俺は雷に打たれたみたいにひっくり返った。虫みたいに床を身悶えしてな、泣きじゃくった。1時間というもの、そんな状態だった。次の1時間、バール牧師が轟くような声で説教をつづけると、俺は飛び上がって、地下室に走って鋤を取りにいき、戻ってくると地面を掘りはじめた。『おい!』 隣りのやつが声をかけてきた。『そこでいったい何してる?』『自分の墓を掘ってるんだ』そう答えた。『もう生きていたくないんだ、わたしは罪深く、けがれてる。もうこれ以上牧師の訓話を聞けないんだ!』 すると俺はロープで縛られ、馬車に積み込まれ、家に戻された。いいかい、それが説教だった、人生から欲というものを取り去った。もしあんたがカトリにこんな風にしゃべったとしたら、まったく別のことになっていた。いや、あんたはあれやこれや話した、耳に心地いい話をな、しかし何の衝撃もなかった。あんたとカトリへの礼儀から、ちょっとばかし目を濡らしたがな。ほんの2、3粒のことだ」

#12を読む

'A Day in Terikeste' from "Toomas Nipernaadi" by August Gailit / Japanese translation © Kazue DaikokuTitle painting by Estonian artist, Konrad Mägi(1878-1925)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?