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日系アメリカ人2世の視線と視野 その1(グラフィックデザイナー)

最近、2人の日系アメリカ人の作品を見る機会があり、日系人という立ち位置の人のものの見方に触れ、興味をもちました。日系とついていますが、つまり両親は日本人で海外に移民した人(1世)なのですが、本人は現地生まれのアメリカ人です。
*タイトル写真はGoogleイメージ検索で「Japanese American」の結果より

紹介したいのは、一人はグラフィックデザイナーの真崎嶺(Rei Masaki)さん、もう一人は映画製作者のミキ・デザキ(Miki Dezaki)さん。それぞれ別のところで出会ったクリエーターなのですが、作品を見たり(読んだり)、話を聞いたり(YouTubeやPodcast)していると、日本に対して、二人に共通するものの見方があるように感じられました。

彼らのものの見方は、日本生まれの日本人である自分(筆者)や、同じ状況にいる人間が気づかないであろうことを指摘していて、それは生きていくために役に立つと思ったのです。

真崎嶺さんもミキ・デザキさんも日本人の顔をしていて、日本のことをよく理解し、日本語を話すこともできる(母語は英語のようですが)人たちなのですが、ものごとの受けとめ方、社会の見方が頭の中だけでなく、実感的に日本の人とはかなり違っている、つまり彼らはやはりアメリカ人なのです。本人も当然ながら、自分はアメリカ人である、アメリカ人として、アメリカ人代表としてなどの言葉で自分を表しています。

しかしアメリカ人とは言っても、ヨーロッパ移民系のアメリカ人(大雑把ですが)とは、少し違う扱いをアメリカでは受けてきた人たちです。つまりアジア系アメリカ人というマイノリティに属しているという。そのことでアメリカでは、ヨーロッパ系のアメリカ人、もっと言えばラティーノやアフリカ系のアメリカ人とも少し違う立ち位置、社会からの見られ方があるようです。

こういったことから日系アメリカ人の彼らは、ヨーロッパ系のアメリカ人が気づかないことを見つける目があり、ヨーロッパ系の人々の歴史観や民族としてのアイデンティティとは違うものをもって生きてきたということがわかります。

なので彼らの発言には、「アメリカ人から見た日本社会や日本人」という側面もありつつ、そこに収まらないものがあるように思えました。

ここから真崎さん、デザキさん、それぞれの日本に対する見方、考え方、そして提案を紹介していきます。この2人に共通する作品制作の目的やプロセスとして、以下の3つことを感じました。

  1. 作品はアイディアを共有するためのもの(主張のためではない)

  2. 作品はリサーチによって制作され、フェアであることを目指している

  3. 作品内で使用される(された)言葉は、定義をした上で共有する

真崎嶺さんの『サラリーマンはなぜサーフボードを抱えるのか』

『サラリーマンはなぜサーフボードを抱えるのか』は、真崎嶺さんが去年(2021年)、個人で出版した本のタイトルです。小部数発行でアマゾンでは扱いがなく、わたしはネット(ABC)で買いました。

真崎嶺著『サラリーマンはなぜサーフボードを抱えるのか』

この本は真崎さんが英語で書いたものを日本語に翻訳し、その両言語が各ページで並列表示されています。真崎さんは日本語ができるので、翻訳にも関わったと思われます。「日本人及び日本を拠点にする人たち」を読者として想定しながら、英語原文を入れていることにはどんな意味があるのか。真崎さん同様、英語の方が読みやすい人も読者対象の一部だからでしょうか。ただ、それだけではなく、別の理由もあるように感じました。

わたし自身は日本語を中心に読み進めていきましたが、ときどき英語原文も参照しました。意味的にはほぼ同じで、日本語訳にはなんの問題もないのですが、日本語だと固い表現に感じられることも、英文だとスッと入ってきて説得力があるといったことがありました。それは言葉そのものというより、背景にある文化の違いから来るものではないかと思います。原文の英語を並列させる意味として、資料的なこと(のちに本書が文献として引用されるなど)もあるかもしれません。

真崎嶺さんのプロフィールをまず紹介すると、1990年、ニューヨーク生まれ。パーソンズ美術大学でイラストレーションを、クーパー・ユニオンでタイプデザインを学び、バーモント美術大学でグラフィックデザインの修士号を取得。2017年、東京に拠点を移し、グラフィックデザイナーの長嶋りかこに師事したのち、2019年よりTakram(global design innovation studio)に参加。2022年にバイリンガルデザイン事務所RANを設立。(著書より引用、編集、補足)

真崎さんがこの本を書いたきっかけには、2020年5月に起きたブラック・ライブズ・マター抗議運動があったようです。「日本では黒人差別の話題を口にしない」ことにフラストレーションを感じたと書いています。日本人もアメリカに人種差別があることは知っているけれど、そのことをあえて話したいとは思わないように見える、と。後半で紹介するミキ・デザキさんも、日本の学校で英語教員をしていたときに、「日本に人種差別問題はあると思うか」という問いを投げかけた際、ほんの一握りの生徒しか「ある」という意思表示をしなかったと語っています。

日本に住む日本人にとっては、黒人差別は遠い話題であり、それ以外の人種差別についても日本にはあまりない、という感覚でしょうか。しかし日系アメリカ人である彼らから見れば、日本にも人種差別は「ある」ように見え、それについて議論をしないことに違和感を感じているのです。

日本にも、もちろん人種差別はあります。黒人差別もあります。ただ普段の生活の中で、見えにくいところがあるのも事実かもしれません。外国人との直接的な交流をもつ人がそれほど多くはなく、また人種的なこと、差別についての知識を学校で学ぶこともなく、一般的に興味を引かれることでも、切実な問題でもないといった状況でしょうか。

真崎さんは日本人の多くが「西洋人との直接の関わりがない」ことに加え、「国際教育が欠けている」ことが、差別につながったり、逆に「欧米人への過剰なあこがれ」を促したりすると考えているようでした。

真崎さんはデザイナーなので、日本のデザイン業界が歴史的に養ってきた「白人至上主義」に目をとめます。え、いまどき白人至上主義なんてある?そんな風に感じる人は多いかもしれません。でも真崎さんの目から見ると、そして学問的なリサーチによると、たとえば日本の広告やファッション雑誌に登場する「白人モデル」の多さは突出しているということになります。

これはわたし自身、ファッション関係の広告制作をしていたとき、実際に行なっていたことなので大きくうなずくしかありません。特に流通業界による海外ブランドの広告は、100%「ガイジンモデル」であり、それは「白人モデル」を意味しています。ここで言う「白人」とは、「肌が白く、彫りが深くて、目が青または茶、髪の毛が茶色から金髪で、背が高く、手足が長くて痩せている」人のことで、アルメニア人であろうとアイルランド人であろうと、国籍は問題になりません。モデルクラブに所属しているのは、実際、様々な国から日本に働きにやって来た人たちでした。

日本人に服を売るのに、なぜモデルが「白人」なのか。それは日本人の背の高さやからだのバランス、顔つきは、海外ブランドの服を美しく見せるのに(その服のもっている良さやコンセプトを表すのに)ふさわしくないから、充分でないから、とされていました。というか、そんな議論さえした(された)ことがありません。クライアントやアートディレクターが、直接そのこと(「白人」モデルを使うこと)を指示しているのを聞いたこともないです。これを人種差別的であるとか、ステレオタイプが過ぎるとか、マイノリティ文化の無視とか、そんな風に考える人はいませんでした。

モデル選択時の白人至上主義は、料金としても差が出ていたと思われます。つまり日本人モデルより「白人」モデルの方が一般に高いという。

今でこそ、GAPのようなブランドが人種的なことだけでなく、体型など様々な側面でインクルーシブな*(Social inclusionの考え方による)モデルの選択をするようになってきてはいます。それによって、モデルの料金格差もなくなったのでしょうか?

「白人至上主義」「外人コンプレックス」「人種的ステレオタイプ化」と関連して、真崎さんの指摘の中に「文化的盗用」ということがありました。日本人にとってはあまりピンとこない用語かもしれません。用語は馴染みがなくとも、日本ではたくさんの(無意識的な)文化的盗用が見られます。

真崎さんの著書の冒頭に置かれた「Glossary 用語集」によると:
文化的盗用:個人的(社会的または経済的)な利益のために、他の文化の習慣や実践、アイディアを採用すること。

ん? 他の文化を採用しちゃいけないのか? いいと思ったものを真似したり利用したりしてはダメ? と思うかもしれませんが、ここで意味しているのは、ある文化を歴史やコンテキスト(文脈)を深く理解することなく(あるいは無視して)、形だけ、表面的なものだけすくって真似する、利用する、そしてそこから利益を得るということです。

また真崎さんは近代化以降(戦中・戦後)のデザイン業界の歴史をたどり、そこにある不誠実さを指摘します。亀倉雄策(1915〜1997年)という日本のデザイン業界の頂点に立っていた巨匠、後につづくデザイナーによってデザイン思想が受け継がれ、今もデザイン界に大きな影響を及ぼしている人物、その人間の戦時中の仕事についてのリサーチと考察がありました。

亀倉雄策さんは1964年の東京オリンピックのとき、日の丸と五輪マークを並べたモダンで大胆なポスターでよく知られています。その亀倉さんが、戦時中に政府と関係の深い出版社(日本工房)でリードデザイナーを務めていたこと、『NIPPON』というグラフ誌で日本軍のプロパガンダに加担していたという事実を、最近の海外の文献をもとに、真崎さんは指摘しています。表紙デザインにおいて、「事実を意図的に歪めて」「複数の民族が和気あいあいと農作業に従事する姿を描いている」(同19号)といったことです。

日本デザインセンター時代、亀倉さんの同僚だったデザイナーの永井一正(2020年東京オリンピックエンブレムのデザイン選考の審査員代表、1929年〜)による、長大な文書「亀倉雄策の軌跡」(Design Site)には、これに関することとして、以下のような記述があります。

ところで日本工房は、亀倉が入社した翌年の1939年、戦況の深刻化と共に、重大な選択を迫られる。戦争への協力なしにはいかなる事業の存続も許されなくなってきたのである。

永井一正「亀倉雄策の軌跡」より

デザイナーも戦争への協力なしには生きられなかった。有望視されていた優秀なデザイナーであっても、いやそうであったからこそ、このような選択をしたのかもしれません。永井一正さんの文書で戦争責任と関連する箇所は、他にもあります。

『カウパープ』は、内閣情報局の指揮のもとでタイ国向けに作られた宣撫工作雑誌である。戦争色は一切出さず、日本がいかに文化的な国家であるかを宣伝するためのものだから、亀倉も結構楽しんで仕事ができた。

永井一正「亀倉雄策の軌跡」より

「戦争色は一切出さず、…..」以下の文は赤字で強調されていました。「楽しんで仕事ができた」 理解するのが困難ですが、永井一正さんはこれを肯定しているように見えます。戦時下の特殊事情?

真崎さんは、亀倉雄策という日本を代表する大物デザイナーが、戦争中に政府や軍に協力せざるを得なかったとしても、それを彼自身が、そして日本のデザイン業界が、その後(現在も含め)その事実をどう理解し扱ってきたか、ということに違和感をもっているのではないでしょうか。それが1964年の東京オリンピックをはじめ、現在にまでつづく、日本のデザイン業界のあり方と無関係ではないからです。

デザインはプロパガンダのかたちをとりうる。戦時中に満州で残虐行為が行われていなかったという考えを広めた人物が、日本が新しく、未来に向かう平和な国になったことを世界に知らしめることができる。(中略)1999年にJAGDAが設立した亀倉雄策賞は、現在の日本のグラフィックデザイン界で最も名誉ある賞のひとつとされている。

真崎嶺著『サラリーマンはなぜサーフボードを抱えるのか』より

過去に成したこと、起こしたこと、良いことも悪いことも、歴史的事実として、出来うる限り誠実に残し、記録していくこと。こういったことが、一般に日本ではなされにくいように感じます。日本では戦時中の負の歴史に関する文書は、焼却されることもあったようです。

真崎さんが属している欧米文化の中では、政府の過去の機密文書が、一定期間たつと、公開される規則があると聞きます。たとえばテッサ・モーリス-スズキ著『北朝鮮へのエクソダス』は、赤十字国際委員会の公文書が機密指定解除されたとき、著者はジュネーブを訪れて閲覧し、この本を書くための資料としています。

おそらく真崎さんは、亀倉雄策さんが戦後、デザイン業界において、あるいは東京オリンピックの仕事において、違った態度をとっていたら、非難を向けることはなかったかもしれません。歴史とはそうやって一つ一つの、ひとりひとりの行動によって育まれていくものだからです。

日本のデザイン業界では、誰も指摘することのない「大御所」の負の歴史をこうして書き記すことは、同じ日本のデザイン業界で仕事をする真崎さんにとって、大きな勇気が必要だったのではないかと想像します。

その意味で、日本人には難しいことを、日系アメリカ人(あるいは他の国の日系人)が、中でも2世、3世の若い世代の人々が、日本の社会について指摘してくれることに、今後も耳を傾けていきたいです。

*インクルーシブな:カタカナ英語で「社会的包摂」を表す用語。社会的排除(Social exclusion)に対する反対の概念。真崎さんの著書では、用語集に含まれていない。「障害の包摂性(disability inclusiveness)、「体型の多様性(body-type diversity)など個別に取り上げられている。

日系アメリカ人2世の視線と視野 その2(映画製作者)

ミキ・デザキさんの映画『主戦場』

先月noteを閲覧しているときに、映画『主戦場』がネットで配信されることが決まったという記事を読みました。映画のことも、制作のデザキさんのことも、まったく知らなかったのですが、この映画が日系アメリカ人監督…….

つづく


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