[エストニアの小説] 第6話 #13 カティは誰のもの?(全16回・火金更新)
「ああ、天の神さま」 カティが声をあげた。「あんたにどう説明したらいいのか。あんたのおじさんを手に入れたいわけじゃない、わかる? あの人を望んだことなんかない。どうしてあの人をあたしに差し出すの? あたしはそんな要求はしてない。それにあんたはどこもかしこも変、あたしにはあんたが理解できない。あんたのおじさんはずっと前に、テーブルを拳で打って、怒ってこう言った。『だまれ、カティ』ってね。だけどあんたはいつだって、あたしにどうしたいか訊いてくる。どうしたらいいのか、あたしにはわからない。あたしは命令されたいの。ああ、トーマス、あんたがこんな風にこの先のことを考えてるなら、クリスマスまでに服を縫い終えることはないと思う。来年の聖霊降誕祭までにだって、服を仕上げることはない。だからもっと腹をたてて命令してほしい。『明日の朝までに服を用意するんだ、そうして牧師のところに行くんだ。ためらったり、言い返したりはなしだ。子どもの頃から、そういうことは嫌いなんだ!』 そんな風にあんたが言えば、あたしにできることは何もないってわかる。すぐに服を縫いはじめて、一晩かかって、明日の朝までに、ちゃんと仕上げる。あんたが厳しく言ってくれれば、こういう風になる」
「カティ」 笑いながら、ニペルナーティが言った。「明日の朝までに、服を縫いあげるんだ、で、牧師のところに行こう。ためらったり、言い返しはなしだ。子どもの頃から、そういうことは嫌いだった。聞いてたかい?」
カティが目をあげてニペルナーティを見た。そしてがっかりしたように言った。「ちがう、トーマス、あんたは命令の仕方をしらない。あんたは、まるで農場主の家で育ったようには見えない。誰かに命令することに慣れてないみたい。あんたは風みたいな人。嵐の中で暴れていると思ったら、何週間も草陰で寝ている、姿はどこにもない。だけど女っていうのは、いま感じられる嵐が好きなの。頭の上に雷雲があって、びくびくしてるときが一番幸せなの。あんたのおじさんはそのことがわかってる。からだが大きくて、足だって巨大。あの人が荷馬車から飛び降りると、あたしは息を詰める、恐くてね、地面が揺れるって。あの人のために、奥さんを見つけてあげるのが一番。トーマス、あの人はもっといい生活ができるし、しょっちゅうウォッカを買いに出かけることもなくなる」
「おじさんのための女性はもう見つけた」 ニペルナーティはそう言うとため息をついた。
カティはベッドから飛び上がると、ニペルナーティを見つめた。
「誰なの? それは」 カティがそわそわした様子で尋ねた。「農家の娘? 年の少しいった人?」
「そのことを話すのはまだ早い」 謎めかせてそう言うと、ニペルナーティは立ち上がった。
カティはがっかりして、ベッドに倒れ込んだ。
「あんたって人はいつもそう」 不機嫌になるカティ。「あんたと話をするのは不可能。秘密ばかりで、あたしのことを信じてない。あんたのおじさんはそうじゃない。何か訊いたら、すぐに答えてくれる。心にあることはみんな表に出すの、隠したりしない。あー、トーマス、あんたがあたしと結婚するってことすら信じられない。あたしは信じてなかった、あのライ麦俵のところでも。あんたが逃げ出すんじゃないかって、夜空の下に放り出すんじゃないかって、いつもビクビクしてた。ささいなことさえ信じてくれないあんたを、どうして信じられる?」
ニペルナーティはカティの髪をくしゃくしゃにすると笑った。
「きみは小さなハリネズミだな、いつも針を出してる。だけどいい奥さんになる証拠だ」
叫び声と犬の鳴き声が外から聞こえてきた。
「トーマス!」 ハンゾーヤの主人が呼んでいた。「トーマス、どこにいるんだ」
「聞いたかい、やきもち焼きの年寄りの声だ」とニペルナーティ。
「探してるみたいだから行ったほうがいい」 カティがびくついて言った。「ここにあんたがいるのを見つけたら、また何か面倒が起きるから」
「あの男を恐がってるのかい?」
「そう」 カティが震えながら答えた。「あの人は大きくて、怒りっぽい。雄牛に向かっていったときのこと覚えてる? 行って、早く行って。あたしのことで何か争いが起きてほしくないから」
「わたしは全然あいつが恐くない」 ニペルナーティがあくびをしながら言った。「なんにしても、わたしの考えでは、あの男を少しばかり飼い慣らさねば。わたしがいなかった間に、ずいぶん横柄になっているからな。自慢話が多すぎる。わたしの農場でああうるさいのはかなわない。明日にでも、あの男をこの農場から追い出そう。自分の持ち物をもって出ていけばいい。息子のヤーン、その妻のリース、あともろもろのものもだ。大声で叫んだり、自慢話をしたり、ホラを吹いたり、もううんざりだ。静かな時間がほしいね」
「だったら、あたしもここを出ていく」とカティ。
「わたしのおじさんと一緒に?」 ニペルナーティが訊いた。
「ちがう、家に、母さんの家に」 カティは抵抗するように言った。「あんたが罪もない人たちを追い出すのを見たくない。もう少し待っていたら、いいことがあるのに。おじさんは、この敷地のどこかに小さな小屋を自分で建てると言っていた。あんたがあの人を放り出したら、村の人たちは、あたしのためにそうしたと言い出す。そんなことは耐えられない」
「そうか、そのうちわかる」 ニペルナーティは静かに言うと、納屋を出ていった。
ハンゾーヤの主人は敷地の真ん中に立って、叫んでいた。「トーマス、どこにいる、トーマス。いますぐ話したいことがある。今日ってことだ」
そしてニペルナーティが目の前に立っているのを見て、手をとると家の中に導いた。息子のヤーンは頭をテーブルにつけて、居眠りしていた。
「あんたのとこの娘をわたしにくれ」 ハンゾーヤの主人が言った。「あんたは俺の命を救ってくれ、怪我の治療をしてくれた。つぎはあの娘だ。その代わりにあんたの欲しいもの何でもやる。牛6頭、馬3頭。どうだ? 土地を20エーカーやろう、どうだ? 森もやろう。丸太に最適な立派な木の森だ。まだ一本も切り倒されていない完璧な森だ、どうだ? 書類と農場の地図を持ってこようか? そしてあんたにこれを売ったと書こうか? それでもハンゾーヤから、借用書を手に出ていくのか?」
「あんたはナンセンスなことを言ってる。酔っ払ってるんだ」 ニペルナーティはそう言って立ち上がった。
「俺はナンセンスなことなど言ってない。酔っ払ってもいない」 ハンゾーヤの主人は腹を立てた。
「あんたは売ったり買ったりする家畜みたいに、カティのことを話してる」とニペルナーティ。
「カティが売り買いできる家畜だなんて思ってない」 ハンゾーヤの主人が言った。「だが俺はあんたのことを何とかしなければならん。カティはこう言った。『もしトーマスがあたしを取らないなら、あなたと結婚する』とな。そう言ったんだ」
「しかしわたしはカティを取る」とニペルナーティ。
「そりゃ問題だ、あんたがカティを取るというならな」 ハンゾーヤの主人が声を高めた。「だがそうしなかったならだ、いいことがあるぞ。6頭の牛と3頭の馬がほしくはないかい? 牛小屋に行って、家畜を選んで、自分の農場に連れていけばいい。家畜をあんたに売って、金を受け取ったと書いた領収書を渡す。なんてあんたは頑固なんだ。火打ち石で叩いたみたいに硬いな。なんで俺の言うようにしてくれない? 俺の命を救って、治療もし、だから今度はカティをくれ」
「あんたは望みすぎだ」とニペルナーティ。「わたしはあんたの命を救った、だがカティをあんたは手にできない」
「そうか、あんたはカティを渡さないんだな」 ハンゾーヤの主人はため息をついた。「あんたはアホでも間抜けでもない。だが俺もカティをあきらめたりはしない。ハンゾーヤ農園のためにカティを取り引きもしない。ったく、俺はどうしたらいいんだ!」
「ベッドに行くんだ」 ニペルナーティはおやすみを言って、出ていった。
ハンゾーヤの主人はその場に立ちつくし、ニペルナーティを目で追った。それから靴をぬぐとベッドに倒れ込んだ。
穀物は収穫され、畑仕事は完了した。穀物の荷が家の敷地に次々運ばれ、金色の種が重い袋から穀物庫に流し込まれた。大地はいま、晩秋の香りがした。夜になると空気はピリッと冷たくなった。太陽は昼のうちに低く沈んで燃える火車は消え去り、気温が下がり、煤(すす)で曇った窓ガラスが暖かさを保ってくれる。空には鉛色の雲がどんどん現れ、そして何日間か、冷たく細かい雨がパラパラと落ちてきた。風が黄色や茶色になった葉っぱを森や果樹園から運びこんだ。畑や牧草地は、虎の毛皮のように、黄色のパッチワークで埋めつくされている。赤い葉っぱのいくつかはまだ、木々の裸枝の上にとどまり、風が吹くと、葉のない木々の間を通り抜けて飛んでいった。ときに粉砂糖のように細かい雪が落ちてきて、黄色い葉っぱの中で、きらきら輝いた。冬の到来はもうすぐだった。
ハンゾーヤの主人は、多くの時間を寝室で過ごした。機嫌が悪く、むっつりとして、食事も寝室に運ばせていた。庭にちょっとの間、顔を出しても、口をきかず、何か訊かれても唸るばかり、そして早々に部屋にこもった。
息子のヤーンは気落ちして、すべてを成りゆき任せにしたので、リースは叱咤したり毒づいたりした。しかしニペルナーティは、ハンゾーヤ農園の家族には無関心のようだった。何日もつづけて、畑や森を歩きまわった。秋の川の流れに目をとめ、鳥を観察し、夕方になって家に戻ると、あまり口をききたくない様子だった。ごくたまにツィターをつまびき、機嫌のいいときもあった。カティはニペルナーティの前で立ちどまり、何か話したそうにしたが、ニペルナーティがいぶかるように見返すと、目を落として立ち去った。カティはよくヤークの部屋に走りこみ、何時間もひそひそと二人で話をしていた。そしてやっと部屋から出てくると、カティの目は赤く染まっていた。リースはニペルナーティを軽蔑の眼差しで見、農夫のモールマーはあのアホが、と呼んだ。しかしヤーンはため息をつき、頭を振るばかりだった。
ところがある日、ニペルナーティは明日ここを発つつもりだ、とみんなに告げた。
「いつまでここに居座ってるつもりか。そろそろ家に戻らねば」 そう説明した。
すると誰も部屋にいないとき、カティがニペルナーティのところにやって来て、こう尋ねた。「明日、ここを出ていくって聞いた。本当なの?」
「その通りだ」とニペルナーティ。「ここの生活はもうたくさんだ。わたしのまわりには、憂鬱そうな顔ばかり。それから赤い目だ」
「で、どこに行くの?」 カティはそう訊くと、ニペルナーティの隣りにすわった。「家に帰る」とニペルナーティ。「自分の農園に戻るんだ。ここは自分のものじゃないからね」
カティは驚いてニペルナーティを見つめた。
「ここはあんたの農場じゃない?」 カティは一言ずつ区切って、そう言った。「ヤークもそう言ってた。でもあたしは信じなかった。あんたのハンゾーヤ農場は、ここから16キロ以上向こうだって。そうなの?」
「そうだ、カティ」 ニペルナーティは嬉しそうに言った。「わたしのハンゾーヤ農園は、ここから16キロ以上向こうにある。だがそこは農場ではない、実際のところ。そこは美しい邸宅と納屋のある屋敷だ。その納屋には40頭の牛がいる。赤いの、黒いの、ホルスタインとね。ヤークの農場なんて、わたしの屋敷と比べたら、貧しい小屋みたいなもんだ。ここは本物の家というより、朽ちた丸太小屋だな。わたしの邸宅は丘の頂上に建っていて、その下の谷間には川がとうとうと流れている。いま、わたしの家は美しいことだろう。速い流れが落ち葉を運び、川面は黄金色に染まっている。カモや雁がそこに飛び込んで、水から上がったら足は赤くなっている」
「じゃあ、あんたはあたしに嘘をついてたわけ?」 カティがそう訊いたが、その声に非難がましいところはなかった。
'Two Bluebirds of Happiness' from "Toomas Nipernaadi" by August Gailit / Japanese translation © Kazue Daikoku
Title painting by Estonian artist, Konrad Mägi(1878-1925)
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