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料理は犯罪、、、刑務所の秘密レシピ

シンガポールのフードライターSheere Ngさんの『料理が犯罪だったとき(When Cooking was a Crime)』という本を新年早々に注文しました。1970年代、1980年代と、シンガポールの刑務所(及びドラッグ更生施設)内で行われていた、驚くべき秘密のクッキングのドキュメントです。(2020年11月、IN PLAIN WORDS 出版)

刑務所で料理ができるのか? もちろんできません。違法行為です。ンさんは今から10年くらい前に、フードライターになろうと語るべきストーリーをさがしていたそうです。そのときEighteen Chefsというレストランを経営している、元受刑者の知り合いのことを思い出しました。そのレストランは経営者同様、元受刑者の人たちがたくさん働いていました。ンさんは刑務所の食事がどんなものなのか教えてもらおうと、取材を申し込みました。

ンさんがそこで耳にしたのは、刑務所の食事以上の驚くべき実態でした。当時、刑務所やドラッグ更生施設に収監されていた人たち(男性収監者)は、夜、看守の目を盗んで、監房内で料理をしていたというのです。それは「masak」と呼ばれていました。意味は「料理をすること」、発音は「マサ」、マレー語です。

ちなみに上のタイトル写真は、この本の中ページを複写したものですが、何だと思います? shiv(間に合せのナイフ)、食事に出てきた鶏肉の骨をとっておいて、監房の壁にゆっくりこすりつけて料理用のナイフにするのだそうです。刑務所内で囚人は、物品のほとんどを制限されているわけで、料理の材料はもちろん、鍋や包丁、スプーン、お玉などあるわけもなく、何もないところから料理を始めるわけです。火はどうやって起こすのかも含め、いわば石器時代のような調理法と言っていいでしょうか。

ただ見つかればペナルティを受けます、もちろん。違法行為ですから。2、3日の監禁は免れません。それでも看守の目を盗んで、夜(最終点呼と消灯の間)、収監者たちが料理にいそしんだのには、いくつかの理由があるようでした。

上の写真は、タウクワ(干豆腐)、ンさんのInstagramから。刑務所の食事は同じものの繰り返しが多く、たとえばこの豆腐は毎日ランチに出てくるもの。それに飽き飽きしている受刑者たちは、これを入れてシチューやラクサ(香辛料の効いた東南アジアの麺料理)をつくります。同じ食べ物の繰り返しは(ちょっと想像すればわかりますが)「罰みたいだ」と感じるそうで、こういった感情がマサに励む理由の一つになるようです。

これはミックスシチュー。上で書いた干豆腐の他、ランチョンミート、豚足の缶詰、保存食野菜などを入れます。干豆腐以外の材料は、施設の売店で買うそうで、施設内で何か作業をしたときに手にするクーポン券を使って払うようです。ただし缶切りなどの使用は決まった時間のみなので、夜に監房で使うことはできません(ではどうするのか。これについては後ほど)。あと水はトイレの水を使います(これについても後ほど)。

このシチューの良いところは、なんといっても温かいこと。刑務所の食事は何時間も前に準備されているため、冷たくなっています。毎食毎食、冷たい食事というのは辛いもの。温かい食事がしたいという欲求が、マサをする大きな動機になっています。温かな食事は「何であれおいしい」ということのようです。これはよくわかりますね。

缶切りなしでどうやって缶を開けるのか。
ンさんは、石器人のようなスキルが必要となる、と書いています。まず缶の縁を削りおとし、蓋の一部をコンクリートの床にこすりつけます。そして床に叩きつけて中身を出します。缶の縁を削りおとすのには小型ナイフをつかうのかもしれません。それは作業所からこっそり持ち出します。一度開けてしまった缶は、中身が腐らないよう、特製手作り冷蔵庫で保存します(ビニール袋と水を使用)。

料理につかう水。
トイレはまず、使ったあと各人が必ず掃除する、それがマサをする人たちのポリシー。歯ブラシと石けんを使ってきれいにします。そして料理用の水は、トイレの穴のところに水を入れたビニール袋を詰め、水を流してそれをマグカップに受けます。マグカップは収監者一人に一つ支給されているもの。

煮炊きする火はどうするの?
コットンボール(クリニックから盗む)、小型ナイフ(作業場から持ち出す)、ひげ剃り用の刃(使用後にこっそり保存)、火打ち石(看守を買収、あるいは元収監者から貰い受けたもの)、毛布の繊維、Tシャツの切れ端、プラスチックの蓋付きトレイ(食事のあとこっそり保管)、ビニール袋(売店で購入)などを組み合わせて火を起こします。やり方は長くなるので書きませんが、コットンボールに点火して、Tシャツの切れ端を燻ぶらせて「炭」をつくるというところからスタートします。

あと面白いと思ったのは、更生施設のあるところは、周囲がジャングルで野生動物が豊富。施設の庭に罠をしかけて鳩を獲ったり、庭掃除の際にウサギを捕まえたり、あと入ってきた野良猫も、、、 

上の動画を見ると、どんな本かおおよそわかります。料理の写真がたくさんありますが、これは写真家のドン・ウォン氏がンさんの話を聞いたのち、自ら料理や道具を再現して撮影したものだそうです。缶を缶切りなしで開けてみるなど、かなりの試行錯誤があったようです。ところでこの本は、一部のページがフランス装丁になっています。ページが袋状になっていて、ナイフで切って開きます。ンさんによると、マサをするとき受刑者は、看守に見つからないよう隠れんぼうをするので、それをデザインにも表現したとか。
When Cooking was a Crime: Masak in the Singapore Prisons, 1970s–1980s” by Sheere Ng (photography: Don Wong, book design: Practice Theory)

マサを成り立たせるためのサークル(人間関係)があったようで、刑務所や更生施設の元収監者やキッチンの料理人を含め、いろいろな人がここには関わっていました。ときに看守も、そこに入っていました。まず収監者にとって良い看守とそうでない看守がいます。夜の最終点呼のあとの見まわりのスケジュールを収監者は熟知してるわけですが、看守によって厳しくチェックする人と、大目に見てくれる人がいます。後者の番のときに、マサは行われるようです。たとえば見まわりの際、廊下で食べ物の臭いを嗅いでも、ドアを鳴らして警告するくらいで済ませてくれるとか。

もう一つ、面白いと思ったのは、看守は報告書を英語で書かなければならないため、それを嫌って見て見ぬ振りというのもあったようです。1987年までシンガポールの学校では英語による授業はなく、中国語やマレー語、タミル語の学校では、英語は第二言語として学ぶだけだったそう。今の日本の学校ような感じだったのでしょう。

アメリカでも同じようなことが収監者によってなされていた、と本にはありました。Netflixのドラマ『オレンジ・イズ・ニュー・ブラック』を見たことがある人は、収監者がチーズケーキを作っているシーンを見たかもしれません。その元になっているのは、コネチカットの更生施設で、収監者の一人が、グラハムクラッカー、マーガリン、チーズ、コーヒークリーム、レモンジュースなどから、チーズケーキファクトリーそっくりの味のケーキをつくったことにあるようです。

またカリフォルニアのある施設では、一人の男性収監者がジャムや砂糖、クールエイド(粉末ジュース)でオレンジ・チキンをつくったそうで、それはかつて娘と一緒に中華レストランで食べた、幸せな気持ちにつながるのだとか。つまり食べものというのは、過去の幸せな生活や思い出を喚起するものとしても機能するのですね。

シンガポールのマサも、もっとおいしいものが食べたいという思いから出発しているわけですが、その味だけが貴重なのではなく、材料集めや作る過程の工夫・考案、仲間と協力し合うこと、看守を判定することなど、生きている感じを取り戻すことに大きな意味があるのかもしれません。著者のンさんはマサを「管理された生活からの逃亡であり、自分たちの自由な気持ちを発揮する機会」と捉えているようでした。

この本、「When Cooking was a Crime: Masak in the Singapore Prisons, 1970s–1980s」は、 IN PLAIN WORDSで購入可能です。$42.00 SGD(3300円くらい)、日本への送料は1400円前後だったと思います。本はオーダーから10日くらいで届きました。

コレはなに?という写真がたくさんあり、テキストも丁寧で充実しています。生きるってどういうことなのだろう、人間の楽しみはどこから来るのか、食べものには何が秘められているのだろう、などなど、色々考えさせられる、心にずっしりくる本だと思いました。インディペンデント出版なのでやや高いですが、ここでしか知ることのできないストーリーが満載です。

*この本に書かれていることは、1970年代、1980年代のことで、2000年代の終わりには、刑務所のdapur(キッチン)はケータリングサービスに取って代わられたそうです。



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