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柔らかい肉


最近色々なところで「決めつける」「決めつけない」いう言葉を目にする、耳にする。

私の中では2年ちょっと前から流行ってる言葉。←←

親子間の「決めつける」、「決めつけられた」という話はよく聞く。

大人になって母の呪縛から逃れられない。
どうしても支配されている気がする。
小さい頃からの父や母の影響で自分の普段の選択が決まってしまう。

離れたいのに。。。
物理的距離は離れているのに。。。

親子間、成長していく上での環境は大人になってからも影響している。

複雑な問題だなぁと。

思いの外、こういう人は出会う。

親子関係、育った環境から作られた考えや言葉は社会に入っても出てきてしまうのかもしれない。



その他、タブーにもなりそうな「宗教」について。
これも決めつけなんじゃないかと最近思う。

個人が好きでそれを行うことはいいけれど、誰かに「これやった方がいいですよ絶対幸せになれます。一緒にしましょう。」というのは決めつけじゃないかな。
その人は今も「幸せ」かもしれないし。

個人的には、情報のありふれた時代に宗教の意味がどの程度あるんだろうかとも思う。
これだけ発展した世界に神はまだ必要なんだろうか。

とはいえ、「宗教」を否定する必要もない。
それが心の支えになる人だっている。
それをやらない方がいいと、否定することも「決めつけ」だと思う。

「文化」としての「宗教」。


世の中には「決めつけ」が溢れている。


法律やマナー、ルールなど「決めつけ」が必要なシーンもあるが、個人的な意見で他人を裁くことは気をつけたい。


それぞれが幸せな人生を送るにあたって、絶対これで幸せになれるということはないんじゃないかと思う。

親の考えるお子様の幸せがそのお子様の考える幸せなのかどうかは分からない。

大企業に入れたら絶対幸せなわけでも何億円も稼げたら絶対幸せなわけでもない。

それぞれの「幸せ」を考える。
中高くらいに自分の人生のゴールを考えるなど、やっておきたかったなぁ。

偶然でも、なかなか面白い人生は歩んでいると思う。


私は今結婚していない。
そして、今後もその選択をするかは分からない。
理由は「決めつけられる」世界に拘束されたくないから。
もしかしたら、自分も決めつけちゃうかもしれないし。

自分が「豊か」に過ごせたら、「心地よく」過ごせたらそれで幸せ。


誰かと比べて卑屈になった顔より、私は笑っていたいかな。
というか昔からそう言った点では他人に興味がなくて、比べたりは基本的にしない私。

「豊か」でいたい時に、他人や自分を「決めつける」ことは傷つけることにも繋がる。

「決めつけない」、「認める」を教育したい。

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