かなり遅咲きの春について

来月わたしは29歳を迎える。
中学生の頃想像していた29歳は大人で、感情も安定していて、電車に乗り遅れそうになってもダッシュなどしないスマートな姿だった。
だが、実際はよく笑い、よく泣き、よく食べ、電車が来るとわかると猛ダッシュしてしまうし、踏切の音を聞くと足が自然と前に進んでしまう14〜15歳の自分と何も変わらない。
よくみんな体力がなくなったとか、無理が効かなくなったとか言うけれど、わたしはそもそも大学時代もオールなどできる人間じゃなく、いつだって7時間以上寝ないとダメな人間のため、そこら変の大きな変化も今のところない。オールして何が楽しいのか分からない冷めた人間なのかもしれない。
強いていうならばよく笑うから笑い皺ができたこと、赤ニキビが色素沈着するようになったことは変化かもしれない。
ただ、これも悪いことばかりじゃなくて笑い皺は幸せな人生の証だと思えるし、ニキビも幸いなことにこれまで無縁な人生だったので赤ニキビを消しにレーザーに行ったら昔の肌より全体的に綺麗になることができた。とてもラッキーだ。

そんな成長を遂げない私が唯一大きく変わったと思えることは「恋愛観」だと思う。
中学に入学し間もない時、一言も話したことない男子が「ペガサスのこと好きらしいよ」と教えてくれた。あまり覚えていないが、手紙で告白をされたような気がする?出した答えはもちろん「ごめんなさい」そして「なんで話したこともないのに告白をしてくるのか…?」と大層驚いたのを今でも覚えている。なんだかんだ中学時代に話したことない人も含め10人くらいの人に好意を持って貰えたがわたしには入学式で一目惚れした椅子をひとつ空けて左隣のA君が大好きだったから誰とも向き合わうことなく3年間を過ごした。中学校3年間大好きだったA君は元気な女性と付き合って私の片思いは漏れなく儚く散った。それでも一人で心の中で恋に恋をしていた。そして、高校大学と女子だけの環境で過ごし、とても楽しく清らかで安心できる素敵な日々だった。時たま学園祭や塾・アルバイト・昔からの知り合い等により連絡を取り合ったり恋愛関係を持ちかけられたこともあったけれど「なんとなく気持ち悪いな…」と思い避けて生きてきた。その態度が失礼で傲慢だと今ならわかるがこれこそが私の若さ故の大失敗なのだ。

社会人になりめちゃくちゃ忙しくなり「数字が人権!!!!」「数字さえ取っていればどうでも良い!!!!」という超体育会系の会社に入り(上場企業だけど営業の実態はどこもこんな感じだろう)人の良いところよりも悪いところが目に付くようになってしまった。そんな日々で自分の性格もきつくなり、誰かに好意を持たれることも減った。

そんなある日Twitterで自分と同じ同業の方が「特にこの数字を達成できてもなんの意味もないかもしれないけれど自分のために頑張ろう」と呟いていて、無意識に頑張ってる人に感銘を受けて「一緒に頑張りましょう」とリプをしてしまった。

その後何百件とやり取りをして自然と会うことになり、初めて会っても初めてとは思えない楽しさで3年間ずっと遊んだり、リプでやり取りをしていた。辛いことがあってもTwitterで「辛い」と嘆けばこの人が話を聞いてくれる、この人がいる、と気付かぬうちにこの人の為にTwitterをやっていたと気付いた時に、この人は結婚をすることになっていた。

「あゝ私は生まれながらにして恋愛が向いてないんだなあ。あゝ私は一人で生きるべき人間なんだな」と泣きじゃくりながらも素敵な人だから素敵な人と一緒になるんだと自分を納得させ、忘れる努力をした。それと同時に、どれほどの人々を自分は無意識に傷つけてきたのかとこれまでのことに対して罪の意識も持つようになった。これまで話したことがないけど仲良くなりたいからそのきっかけとして告白してくれたかもしれない、楽しかったから告白してくれたのかもしれない、そういうお相手の背景を何一つ汲まず全員バッサリ「無理」と切ってきてしまったことに猛烈な恥ずかしさを覚えた。

ある日横浜の中華街に遊びに行き、友人と占いに遊び半分で行った。特に信じるタイプではないし、リップサービス??なのかもしれないけれど(なんのリップサービスだ。笑)「ペガサスさんみたいに理想が高い人は初めて見ました。多分、現実世界では無理です。強いていうならば断れない人から紹介して貰うようなところが合っているかもしれません。」と言われた。そう言われて「いやいや、そんなこと…」と言いたいところだったが、これまでの人生を振り返って納得せざるを得ない。誰に告白されても自分が良いと心から思えないと全くよそ見はできないし、自分が良いと心から思ったところで行動など全くしてこなかったのだ。見てるだけで、会えるだけで、この世界で出会えただけで十二分に幸せに感じてしまうほど好きになってしまうタイプだ。そこで占いで感化された私は人が仲介してくれるようなサービスをTwitterでたまたま見つけて申し込んでみた。自分で見つけるわけでもなく、今ある人間関係を恋愛で特に壊す必要もない。会う前にはその人の素敵なパーソナリティが書かれたプロフィールを読むことができるので「素敵な人なんだな」と頭で思う準備ができている。これがわたしには物凄く合っていた。会う人会う人素敵で「あれ?世の中ってこんなに素敵な男性で溢れていたんだっけ?」と錯覚してしまうほどである。なんとなく無理だと思っていた分厚い壁が一瞬にして壊れ、自分は向いていない、自分には無理だ、諦めよう、好きな人と結ばれることなどない人生なんだ、と勝手に被害者意識を持って生きてきたがそんなことは全くなく初めて彼氏ができた。そして彼氏が出来たことも、彼氏ができないこともやっぱり私としてはそんなに価値の大きいことではないと再確認させられた。彼氏が居ようが、いまいがその人の「価値」には何の影響も及ぼさない。

「世間一般の普通」からはもしかしたらかなり外れている遅咲きの春かもしれないけれど自分の為に仕事も勉強も運動も頑張ってきた日々は最高に楽しかったし充実していた。そのスタンスはそう簡単に変わることはできないかもしれないけれど、これまで相当自分しか見ずに生きてきたので、残りの人生は「相手」の為に使うことをここに誓って、これまでよりも更に楽しい人生を送っていこうと思う。