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物語は未来を忘れる為にある

SF作家のテッド・チャンが繰り返し描く題材に「未来予知」がある。彼の物語ではしばしば、人が未来予知の術を手にする。そして、一般的な反応として人々は生きる気力を失う。

例えば、平日の朝と休日の朝を思い出してみてほしい。
どちらが希望に満ちているだろう。多くの人は、休日だと答えると思う。

なぜ休日の朝は輝かしいのか。それは、「何が起きるか分からないから」である。ラッキーなことがあるかもしれないし、逆に不運に見舞われることだってあるかもしれない。それでも、それらすべてを乗り越えて一日を終える自信と、それを楽しんでやろうという気概が朝にはあるのだ。分からないからこそのエネルギーである。

言うまでもなく、いまの私達に未来予知はできない。
でも本当にそうだろうか。同じ職場に足を運び、いつもの人と顔を合わせ、帰ればきっと家族が家にいる(もしくはいない)。

人の営みは不確実なものをできるだけ排除して、予知とはいかないまでも、ある程度の予測がつくように発展してきているのだ。

そうすると何が起きるか。「つまんなさ」が首をもたげるのである。冒頭の気力を失った未来人たちと同じような状況に、実は現代の我々も置かれているのではないだろうか。『およげ!たいやきくん』の世界である。

けれど人間には不思議な能力があって、ない話をでっち上げることができる。「物語」と呼ばれるものである。

物語では、何が起こるかわからない。
ある日ドラゴンの卵を拾うかもしれないし、曲がり角で運命の人とぶつかるかもしれないし、急に人類の存亡の危機を救う任務が下るかもしれない。
何が起きるか分かんない感じが、人間は大好きなのである。

物語をみたあとに、現実の世界も光を帯びて見えるような感覚になることがあるだろう。それは、予知の能力を帯びてしまった我々が、いったん未来を忘れて、休日の朝のような希望を取り戻す作業なのである。


息子がグレて「こんな家、出てってやるよババァ」と言ったあと、「何言ってもいいが大学にだけは行っておけ」と送り出し、旅立つその日に「これ持っていけ」と渡します。