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佐田公子歌集 『夢さへ蒼し』

いりの舎刊(令和2年12月28日) 新輯覇王樹叢書第230篇



帯文


長男と夫が確かに生きていた、その帰らぬ日々。
取り返したくとも二度と戻ってこない時間。
夢のような時は限りなく蒼い。

ーー東日本大震災からまもなく10年。不確かな大地を踏みしめ必死に生きてきた人々、その悲しみには比べものにならない身辺であるが、その同じ大地に立っているという思いを深くする。


著者自選5首

  
『方丈記』書きしはわれの齢より長明若しと気づく雪の夜

家々の庭木に掛かるTシャツを着るべき子らを帰せ! 荒海

いづこからくる哀しみか やまとうた 二上山ふたかみやまの夢さへ蒼し

山茶花の一枝挿せば一人なるわが部屋ぬちに君の香のせり

満開の社の桜を見上げたり 君とわれとの永久とことわとことはさくら


          ✤
                  

降り立てる南紀白浜空港の蘇鉄は弥生の風に揺れをり
(巻頭歌)

ナイフもてゆるゆる剥ける洋梨のごとき女でありしか わが手

橡の葉の騒げる木下 まう少し私の心に水を下さい

るるるるる るるるるるると泣くは誰 梔子の花のくたさるる夜

深刻にならない歌が読みたいと君は言ひをり柿を食みつつ

連結といふは寂しも鉄橋を越えゆく列車のこだま冴えをり

笹の葉の雪に撓へる葉先にはあるやもしれぬこの世の出口

木枯しに髪を靡かせ登る坂われの拠るべき道は坂なり
(巻末歌)


装画 高橋美香子


愛しきやまとうた

倉沢 寿子(玉ゆら)

佐田公子さんはこの第五歌集『夢さへ蒼し』で二〇二一年度日本歌人クラブ南関東ブロック優良歌集賞を受賞された。病身のご子息や夫君の介護という厳しい生活の中で、次々と力ある歌集を世に出してこられた作者である。まずは心から受賞のお祝いを申し上げたい。
この歌集が編まれた時、作者の愛するご子息と夫君は既にこの世におられなかった。しかし歌集に掲載された歌の多くは、二人が世にあった時の歌である。


入院のわが子の冬物詰め込むる手提げ袋のぼーんと膨らむ

午前二時結句の決まらぬ歌ひとつ憑かれ憑かれて夫と諍ふ


現実の生活を詠んだこれらの歌のすぐ後に、「遠きまぼろし」と題する歌が置かれている。


氷上を君に抱かれ風を切る北軽井沢の遠きまぼろし

夕陽追ひからまつ林を行きにけり 樹氷に耀ひわれを待つ君

からまつの林を出でて入りつ日に涙してをり 十七の恋

かたはらの君の横顔照らし出すだるまストー ブは永久に燃えをり

氷上をひとり滑ればスカーフのむらさき色は君に靡けり


十七歳の少女のときめきそのままの初々しい相聞歌。師であり夫君であった方、亡くなるまで「覇王樹」の代表であられた佐田毅氏に捧げる絶唱は、丁度集の中ほどにある。


七階の茶房の窓辺のぼたん雪語り出したし逢ひそめしころ

携帯のバイブがなりぬ 雪の夜を透きて降り来ん亡き人の声


こうして夫君への恋歌は、歌集のあちこちに散りばめられている。
またご子息についてはこのように歌う。

狂ひ舞ひ桜児探さむ川の面のさくら花びら尽き果つるまで

自身の腎臓を移植したわが子は、能「桜川」の幻想として甦るのだった。


たんぽぽの綿毛飛ばさん さみしいよさみしいよと言ひ綿毛飛ばさん

たちまちに葉桜となる土手の道彼の世も みどり きつとみどりぞ

自分を残して旅立った愛する者達へ呼びかける歌は、自らへ呼びかける歌でもあろう。


いづこからくる哀しみか やまとうた二上山ふたかみやまの夢さへ蒼し


歌集の題名となった一首。作者の心はこの世とあの世とを行きつ戻りつしながら、二上山に葬られた大津皇子を恋うる大伯皇女のように、二人の魂に呼びかける。この歌の「蒼」とは何と純粋で透明感のある色だろう。

熊野の旅で始まる本歌集は、その十日後に 起きた東日本大震災の歌へと展開していく。


カップ麺に湯を入れ二階に持ちきたる直後 大地震なゐ大地震来たり

その時を津波に呑まれゐたる人数多あまたがありと知らず知らざり

電話など通じるものか ともかくも葉書を宮城に送りに送る


感情が極まった時、このように言葉を繰り返し重ねて表現する場面をしばしば見てきた。 大津波、原発の放射能漏れという未曾有の災害の中で、命をかけて「覇王樹」とその仲間 を守ろうとする作者。安否を問い救援物資を手配し支部を訪問し、亡くなった仲間を悼む。 大切に思う仲間との非常時の中での心の交感が、次々と読み継がれていて圧倒される。
改めて『夢さへ蒼し』は、紛れもなく見事 な相聞の歌集であると確信した。

批評特集  覇王樹2021年8月号転載




短歌の会 覇王樹|公式サイト