幸い(さきはひ) 第九章 17 ※大人表現ご注意下さい
第九章 第十七話
桐秋の唇での愛撫は上から下にゆっくりと降りていき、足の先端にもおよぶ。
「君の小さな可愛らしい桜貝のような足の爪が好きだ」
そう桐秋に言われ、ゆっくりと一本、一本、足の指をなぞられる。
千鶴の体は桐秋にふれられるたび、甘い痺れが走る。
いつだったか、足袋の上からふれられた時と同じ痺れ。
こうして直にふれて愛されている今なら、千鶴にもあれが、桐秋にふれられるが故の喜びからくる感覚なのだと分かる。
桐秋は千鶴にふれることで蓄積される自身の体温に堪えられず、上半身をあらわにする。
ぼんやりと薄灯りに白い体が浮かび上がり、そこに現れる無数の色づいた斑点。
桐秋の愛撫に、熱に浮かされていたようになっていた千鶴だったが、桐秋の体を見た瞬間、ぼやけていた視界が鮮明になり、それに焦点が合ったかのようにくぎ付けとなる。
すると気付いた時には、蜜を求める蝶のように体が桐秋の肌に引き寄せられ、花びらの一つに口づけていた。
ゆっくりと唇を押しつけて離す。
それが終わったら、一つ、さらにもう一つと浮かび上がる斑《まだら》の数だけ口づけていく。
これは桐秋という木から現れた甘い樹液。
桜の木が全体に満ちる紅の樹液を、花の色としてほんの少し外に漏らすように、桐秋の中をくまなく流れている血液が、薄紅の紋様として桐秋の肌に無数に現れている。
千鶴はそれがひどく愛おしかった。
丁寧に、漏らさぬように千鶴は唇を押し当てていく。
その行為に桐秋の理性は崩れ去る。
気付けば千鶴の視界は反転していて、背中が柔らかいものに押し付けられていた。
桐秋が荒々しい口づけと共に、千鶴に体重を預けてくる。
千鶴の襦袢の紐がしゅるりと解かれる。それが夜の始まり。
千鶴は桐秋の愛撫によって、優しく、激しく紅潮させられる。
許しを請うようでいて、すべてを暴くような、桐秋の慈しみに満ちながらも狂おしい愛を、千鶴は大きな背中に手を回し、受け入れる。
桐秋も最後の灯を千鶴に捧げた。
この特別な夜は、桐秋と千鶴にとって最愛の夜であり、最後の夜だった。
――――翌日、桐秋の隣の冷めた褥《しとね》にあったのは、愛を交わした女ではなく、愛の証の桜が本物の桜と並ぶように通された桜の折り枝と、それに結びつけられた一言だけの文《ふみ》。
『貴方の人生が、幸《さいわ》いなものでありますように』
この日以降、桐秋が千鶴と会うことは二度となかった。
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