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喪失経験を聴くということ

前回の記事では、「人としての器」が成長するきっかけを整理しました。

その中でも、理不尽でつらい喪失経験が、器を成長させる重要な要因であることをお伝えしました。

毎月開催しているワークショップ「金曜の夜はいれものがたり」では、参加者の皆さんに自身の器の成長エピソードを共有していただいています。

ここでは、しばしば、深い喪失感を伴う壮絶な体験が率直に語られます。

たくさんの方のお話を聞いていると、普通に生活しているように見える人でも、なんらかのつらい出来事を経験していて、皆なんらかの傷を負っていて、それをなんとか乗り越えてきているということがわかります。

こうした語りを通じて、その方の人生を追体験し、深い部分で通じ合えたような独特の一体感が生まれる瞬間には、いつも心を動かされます。


喪失経験を聴く中での気づき

先日、参加者のKayokoさんから過去の苦しみを乗り越えた経験を語っていただく機会がありました。

ワークショップ終了後、「とてもつらく哀しかったかつての経験を、気持ちを込めて語ることができました。これまで感情を抑圧して必死に頑張ってきて、今ようやく嘆くことができるのだと思い、とても豊かな気持ちになれました」という感想をいただきました。

私たちの研究チームは、「人としての器を磨き、個性と可能性を拓き続けることで、深く通じ合える社会へ」というミッションを掲げていますが、Kayokoさんのように本心から溢れ出るようなお話をいただけて、参加者との間で深いつながりが生まれることが非常に嬉しく思います。

ただ、ここで一度立ち止まり、喪失経験を聴くという場の在り方について考えてみたいと思います。

その理由は、最近、私自身が喪失を経験した際、重要な気づきがあったからです。

これまで、私は「自己喪失は器を大きくするチャンス」と参加者に伝えてきましたが、実際に自分が喪失を経験してみると、その最中では何も手につかず、もちろん新しい器を構想する余裕などなく、ただ誰かの支えが必要な状態にあると気づきました。

当事者にとって、まだ十分に受け止めきれない喪失経験を率直に語ることには抵抗があるでしょうし、場の同調圧力によって、率直に語ることを強要するべきではありません。

主催者だけが安全な立場にいて、正論や理論を振りかざすのではなく、本当の意味で自己喪失に苦しむ方々に寄り添っていきたいと思いました。

そのためには、主催者である私自身もまた、器をつくる当事者であり、喪失経験を語るみなさんと同じ目線に立ち、ともに支え合いながら場をつくっていくという心構えが必要と感じました。


まとめ

安心安全な場で喪失経験を共有し、語り手と聴き手が互いに心を通わせ、深いつながりを築くことで癒しにつながります。

これから一緒に学び、共に支えながら成長していくために、深い関係を築けるような対話の場をつくっていきたいと思います。

このとき、自己喪失の最中にいる苦しみと自己喪失を語ることの抵抗を決して他人事にせずに、私自身も、もがきながら新たな器をつくり続けていく当事者でありたいです。

「自己喪失は器を大きくするチャンス」「その喪失が、いつか糧になる」「新たな自分に気づくために喪失がある」――おそらく、このこと自体は間違いではないでしょう。

でも、なかなかそう信じられないときに、きっと誰かの支えが必要になります。

私たちの研究チームは、そのように喪失の最中にあって、新たな器づくりにもがいている皆さんの力になりたいと思っています。

今まさに自己喪失に陥っているという方は、ぜひ「金曜の夜はいれものがたり」の中で、一緒に語り合うことができれば幸いです。


より詳しく「人としての器」を学びたい方は、金曜の夜は”いれものがたり”にご参加ください。

これまでの研究成果のエッセンスを紹介し、対話形式で理解を深める入門版ワークショップです。



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