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いつもね、日常

オレは他人によってなんとか自分のかたちを保てている。他人と会わないでいたら、オレはゲル状になるだろう。

山崎ナオコーラ

「カツラ美容室別室」






高2のときにイジメにあったことがある、たぶん。

小学生の頃はただただ、学校で仲良しの友人たちと遊ぶのが楽しかった。でも、みんなそれぞれ違う学校に進学した。
中学生の頃は「学校に行くこと」がめんどくさかった。家で一日中、寝ていたかった。遅刻欠席欄が50くらいあった、ほんとにやばいやつ。
高1のクラスメイトはあからさまなアホクラスだった。ワタシみたいなアホを引き受ける私学のなかでも学年で最低ラインの集まりだった。
高2、アホだったワタシが特別進学クラスになった。

特進クラスは、学内でも別棟にあった。別棟には特進と、準特クラスがある。一般生からの特進上がりはワタシ一人だった。1/30、つまりクラスメイト29人は中学からずっと同じで、ワタシが入ったことで一人が準特へ降りた。ま、仲間一人のために、残り29人とその担任がするワタシにする仕打ちは明白だと思われる。

担任からムダに出されるムダな宿題もテキトーにやってて、今でもムダで宿題の内容自体がイジメだったと思わざる得ないものだとオトナのいまのワタシが思う。
例えば、英語一文を1万回書き取り。7000くらい書いて提出した。うむ、腱鞘炎にならなかったのは若さだと思う。ワタシ自身がイジメラレの自覚がなかったので親も気付かないという、ワタシの親もだいぶ鈍感だな。ルーズリーフの枚数を数えておくべきだった。

クラスメイトとは三学期に初めて話した。彼女はその頃のことをいまだに悔いている。ずっと話したかったけれど怖かったと言っている、いまでも。この頃のことがトラウマなのは、ワタシではなくて彼女なので、ワタシが忘れようにも、彼女に会うたびに思い出すヒトコマなのだとおもう。

彼女の6年間の中でクラスメイトが変わったのはワタシだけ。40年以上歴史ある女子校の中でいろんなニンゲンが出入りしているであろう学校で、彼女たちは29人以外の生徒を知らないで過ごすなんて、なんか、もったいないというか、コワイというか。オトナになったいまのワタシ、親としてオカネを出すなら、下世話な話になるけれど、ワタシならオカネがムダというか。じゃあ自分の親がどうなのかって話にもなるんだけど。

まあ、ワタシは、ゲル状にはなってないみたい。

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