小学生の男の子

 保育業界で働いていたくらいだから、自分はそれなりに子ども好きだと思っている。働きながら、保育の大変さを実感すると共に、子育てしている保護者を尊敬したくらいだから、子どもという未成熟な人間が、唯単に可愛いだけの存在ではないことも知っている。それでも保育に欠ける子ども達を可愛いと信じていたし、自分が担任を受け持った子どもなどは特に、産んでもいないのに産んだ子のように愛おしかった。
 未就学児を対象とした職場から、学校教育の現場に移った時、小学生の子どもをお世辞にも可愛いとは思えなかった。変に礼儀作法が叩き込まれていて、態度や言葉遣いに違和感を感じる一方、無礼千万が目に余る〝ちょっと気になる子〟は、それはそれで面倒臭い。
 やっぱり子どもは就学前に限る。乳児保育にどっぷり浸かっていた頃は、年長・年中児ですら可愛げがないと感じることもあっただけに、小学生は生意気で関わりにくい相手だとも思えた。
 六歳から十二歳という成長格差激しい年齢差を実感しながら、嘗て可愛げがないと感じた年長時代を数ヶ月前に終えたばかりの一年生を、可愛いと感じるようになるまでに時間はかからなかった。複数の子どもを持つ親が、下の子を可愛いと感じるのが解る気がする。自分自身が長子である為、万が一親になるようなことがあっても、兄弟姉妹を分け隔てるようにはなりたくないと、心の底では思っているが、大きくなるにつれ丸みが薄れ、言葉も態度も生意気になって行く子どもより、無邪気で四頭身に限りなく近い方が可愛いということを、否定出来ないと実感している。六年生の女子ともなると、罵詈雑言さえ習慣になり、男か女かも判らないような担任に脅威していても、新任で担任ですらない(教師ですらない)図書室の司書を舐め腐って、対等のように、むしろ蔑むような横柄な態度で張り合おうとする。思春期を迎えようとしている彼女達は、既に〝子ども〟ではなく、〝女〟であろうとしているのだ。大分面倒臭い。
 そんな中、昨今の私は小学生の男の子の面白さに目覚めつつある。馴れが講じたのか、そもそも無意識だったのか、忙しさにかまけて見渡す余裕も無かったが、連日小学生男子に笑いを提供されるせいである。
 
 図書の貸出を行う際、個人データである利用者バーコードをスキャンする為、クラスと出席番号、そして名前を言ってもらうのだが、ある五年生は毎回一言多い。
「五年○組△番、□□□□(名前)、独身です!」
 最初は多忙に目を回していたのであまり相手にしていなかったのだが、毎回〝独身〟アピールをされていると、記憶を辿って振り返る。
『前もこんなこと言ってた子…居た気がするな…』
 恐らく同じ子で、彼の持ちネタ宛らなのであろうが、一度ちゃんと顔を見てみると、将来に希望を持てそうな男前であった。
 彼は滅多に訪れないが、来れば必ず「独身です!」と宣言する。気持ちだけは多少余裕を持って働けるようになった新人司書は、「結婚してたらびっくりするわ、逆に!」と返せるようにまで成長した。
 
 また別の子は、用もないのに休み時間の度に図書室にやって来る。本を探すでもなく、書架の周りや受付カウンター周辺を歩き回り、なんやかんやと喋っては、帰って行く。
「用事ないけど、また来ましたー」
 彼は次の休み時間にもやって来て、同じように歩き回り、話題にもならない短い会話をすると、再び帰って行く。
「また来まーす」
 私は「はーい」と返事を返しながらも、『何しに来るんやろ…?』と心の中で呟く。
 
 時々居るのは、自分の熱中していることについて、ひたすら喋り続ける子だ。聞いてもいないのに、返事を挟む間もなく語り続ける。ある子はドラえもんの出す道具について、またある子は〝羊のショーン〟というクレイアニメについて、いつ息継ぎするのかわからないくらい、激しい勢いで語り尽くして帰って行った。私は『大分、好きなんやな…』と思いながら、『他に聞いてくれる人、おらんのやろか…?』と、少々心配になった。
 
 小学生横綱のようなビッグな彼は、貸出制限数の二冊を、毎回蛙の本に費やす。借りた二冊を返却し、返却した二冊を再び借りるのだ。知っているだけでも五回は繰り返している。私は彼に毎回同じことを言う。
「蛙…大分、好きなんやなぁ…」
 彼も毎回、同じ言葉を返す。
「カエル、ホンマに好きやねん」
『好き過ぎやろ!』と心の中でツッコミながら、何故他のカエルの本に目移りしないのか、不思議に思う。そして彼が、蛙が好きなのか、その蛙の本が好きなのか、謎ばかりが堂々巡りするのである。
 
「3年B組金八先生」の生徒役に居そうな、黒縁眼鏡を掛けた昔ながらの細長い六年生が居る。彼は本を借りたり探したりすることはあまりなく、カウンターをニコニコしながら右へ左へと横切る。
「よく来るよね~」と話しかけると、ニコニコ度合いが増すと同時に、ちょっとはにかんでみせる。面白い。
 彼は何かの拍子に「目指してるものがあるから…」と呟いた。
訊いて欲しそうだったので訊ねてみる。
「いや~…」
 彼ははにかみながら、昔のマンガに出てくるキャラクターのように、髪の短い頭をぽりぽりと掻く。相手が大人の男なら無視するが、相手は一応子どもなので、興味深そうに〝教えろ〟と訴えてみる。チャイムが鳴って、彼は答えずに、はにかみかながら帰って行った。
 次の休み時間、はにかみボーイは再びやって来て、またもやニコニコとカウンターを横切る。
「タイムリミット迫ってるから…」
 なんのこっちゃわからない。
 時にハッキリ言い過ぎる性分で、学生時代、男子から〝毒舌〟と呼ばれていた私は、今も変わっていないらしいのだが、思ったことをそのまま口に出すと、彼は何処から持って来たのか、一冊の本を開いてみせた。そこには私の知らない名前が載っていたが、彼はその人を崇拝しているらしかった。パズルを解くように読み取って行けば、どうやら彼は、その人のような漫画家になりたいようなのだ。彼の〝神〟は十四歳でデビューしたと言う。彼も、漫画家になる為には、十四歳でデビューしなければならないと思っているようなのである。
「あと二年しか無いやん!描いて投稿したりしてんの?」
 彼は再び「いや~」と頭を掻いた。
「道具とかもまだ揃ってないから…何処で買ったらいいのかもわからんし…」
「画材屋さんとかに売ってるんと違うの?なければ文房具屋とか…。言って聞いてみ!」
 彼は相変わらずはにかみながら頭を掻き、煮え切らないままチャイムが鳴って、欽ちゃん走りのような歩き方で帰って行った。
「十四歳でデビュー出来へんかったらどうするん?夢、諦めるんか?」
 熱血めいて訊ねた時も、彼は「いや~」と頭を掻いていた。
 彼の中で、漫画家になりたいという想いは、一面の花畑をひらひらと飛び回る蝶のように、唯ひたすらにメルヘンチックなものであるように感じる。自身が設けた二年というタイムリミットも、彼の中では永遠のように長い時間である印象なのではないか…。描いてもおらず、出してもおらず、道具が揃うのを待っていたら時間なんてあっという間に過ぎてしまうのに、その危機感がない。六年生とはいえ、未だ限りなく子どもである彼は、その想いだけで夢が形になると信じているのではなかろうか。私は彼が挫折した時のことを思って、心から心配になった。
 私が仕事をしている図書室の前を、時折漫画家志望の彼が通る。他の授業のために教室を移動するだけなのに、彼はいつもと変わらずニコニコ顔だ。何が愉しいのか…。もしかしたら彼には、笑っている意識も無く、元々笑い顔だというだけなのかも知れない。
『苦労しそうなタイプだな…』と思う。
 それなりに苦労した方が強くなる場合もあるが、彼は苦労に潰されてしまうようなタイプに思える。
 彼は赤の他人で、毒舌が健在だという証拠を明かせば、私は彼に何の思い入れも持たない。私は親ではないし、担任でもない。彼の通っている学校に中途採用された〝図書室の先生〟という、あくまでも客観的で決して近くない人間だ。依って、心配はしても、決して〝赤の他人〟がする心配の域を脱していない。
『強く生きろよ!』
 心の中から念を送る。
 半年後にはこの学校を去り、中学校へと巣立つ彼に、所詮私が出来るのはその程度だ。
 
 読み聞かせの時間に「へんしんにんじゃ」という絵本を読んだ。前半、殆んど台詞が無く、暗黙の下にページを捲る。なかなか乙なオチで終わる物語を読み終えた途端、子どもらしい無邪気さをむき出しに、ある男の子が叫んだ。
「えーーーっ!もぅちょっと読んでぇー!」
 彼にとっては話が短すぎるということだったのか、読み聞かせの時間が短すぎると感じたのか…。その両方なのかも知れないが、可愛さの余り爆笑した。
 読み聞かせに対して良い反応を見せる子どもの多くは、男子である。女子は空気を読むというか、面白くても「授業中だから…」「先生が読んでいるのだから…」など、物語を楽しむ一方で、それぞれがその場面に応じた客観的な目線を携えて、自らの感情を自制したりする。子どもだからそんなところにまで気を遣う必要はないと思うのだが、様々なことを同時にこなす能力に長けているらしい、女という生き物の特性なのだろう。
 一方、男子は集中するとまっしぐらである。笑ってはいけないような陰を含んだ複雑な物語であっても、自分が面白ければ遠慮なく大声で笑ってみせる。没頭してのめり込み、素直な感情表現で、時に読み手を仰天させる。意外なところで意外な反応を見せると感じるのは、私が女であるせいで、感情の沸点に相違があるせいか…。女子は男子より早熟で、五・六年生ともなると女特有の陰湿さといやらしさを持って、複雑怪奇な行動に出るが、小学生の男子はまだまだ子どもだ。男の子が〝おぼこい〟と表現される所以を、日々目の当たりにする今日この頃である。

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