会議に出る ①

 久しぶりに会議に出た。二ヶ月ぶりである。
 二ヶ月前は各種事情を考慮されて理解を得たうえで欠席させてもらったのだが、先月再び、業務の都合で欠席を申し出たところ、同業職種から一斉ブーイングを受けた。
 元々残業代など付かない業務の一つである。勤務時間の削減によって、唯でさえ主となる業務が滞るため、〝背に腹は代えられぬ〟急務であったため、欠席を強行。こちらの宣言通り、後日、議事録を見て会議の報告を確認したのだが、会議の議題は先月と同じで、その報告内容も違わず、正直、欠席して良かったと思った。
 業務削減案の提出を受けた際、その対象の一つとして〝会議〟を挙げたのは恐らく私だけだった。
〝必要不可欠な業務〟として、司書たちによる長年の働きかけが実った結果、出張命令書が発令される業務のひとつとして会議の機会を獲得出来たのだということを、〝会議出席〟の説得要件として強く押されたが、「そういうことなら…」と納得出来なかったのは、私の中で、会議の優先順位が決して高くなかったせいだ。
 そもそも、目先の業務を片付ける目処が立たない。それに、会議に出席するとなると移動時間の確保が要る。マイカー移動でないだけに、公共交通機関を頼る必要がある割には、活用出来るほどそれは発達していない。各種運行表に従って予定を組めば、会議に間に合わせることさえ難しい場合がある。市内と言えど乗り継ぎを繰り返すことも稀ではないため、時間だけでなくお金も掛かるのだが、出張旅費として司書会に、年間いくら…と設定されている金額では到底足りず、会議の旅費として実際に支給される金額は0に等しい。大方、他の研修などに全員の代表として出席した人の交通費に充てられるからだ。
 研修の内容は会議などで報告の機会を設けられるため、代表者が全体に周知させる義務を負う。そういった意味で、そちらが旅費の優先順位を占める理由は理解出来る。研修に出ないなら、それも個人の勝手なのだ。
 但し、誰かが研修に出るために、その分、〝必要不可欠な業務〟としての会議に交通費が確保されないことを納得せよと言うのは無理がある。〝必要不可欠な業務〟なのであれば、それに伴う出張旅費に制限がかかる時点でおかしい。業務遂行に伴って報酬を獲得する労働者が、何故業務遂行の為に、微々たる報酬の中から持ち出しを要さなければならないのか?ボランティア精神に満ち満ちている人が準ずることに意義はない。しかし「皆やっているから」という理由で、ボランティア精神を要求されるとなると話は別である。
 会議を無駄だと思ったことはないが、会議の中で無駄だと思ったことは幾つもある。出なかった二ヶ月分のそれが良い例だ。
 勿論、会議の間中、各々が意見を戦わせ、歩み寄り、様々な観点から多くの発言を得た結果の議事録なのであろう。しかし二ヶ月共々内容が同じって…。何がどう変わり、何をどう変えようとしたのかさえ分からなかった。

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