6月28日 ①

 就職氷河期世代を対象とした事務職の公務員試験を受験した。恐ろしい倍率になるであろうことは、去年全国に先駆けて行われた宝塚市のニュースを見たので想像出来たが、何が自分の仕事になるかわからない。何でも経験だと思い、苦手な一般教養試験に臨んだ。
 60問の択一式試験。制限時間は75分である。
 はなから受かる自信などないので、勉強というものは一切せずに行った。案の定、チンプンカンプンで、これのどこが一般教養なのかと訝しくなる。一方、時間を気にせずじっくり向き合ってみれば、一種クイズのような問題もあり、なかなか面白味がある。わからないところを飛ばして行けば、全く知識のない問題以外は思ったより解けたのだった。
 解けたからといって正解とは限らず、「残り5分です」と声がかかった時には飛ばした10数問は未記入のまま。、思わず「えぇーーーっ!」と声を上げてしまうくらい、慌てふためいた。
 受験者は私より年上に見える就職氷河期世代で溢れていた。
 明るい顔をしている人など一人もいない。何だか疲れているように見えるし、身綺麗にしている人の方が少ないくらいだ。皆大変な時代を生きてきたのだろうことが伝わる。私など、まだへらへらしている方かも知れない。気楽に生きてきたとは口が裂けても言えないが、傍目から見れば大したことはなくても、多少身綺麗にしようという努力はしているつもりで赴いていた。
 結局5問以上を適当に塗りつぶして何とか埋める。バタバタしているのは私くらいに思える。皆それぞれの覚悟で勉強を重ね、今日という日に備えたのだろう。そんな人々にしてみれば、力試し気分で応募した私のような人間は場違いでしかないだろう。
 この一般教養試験がクリア出来たら、今度は筆記試験がある。その後、ようやく面接に進めるのだ。段階を経てどんどん篩い落とされ、150倍もの倍率を突破して僅か3名がこの仕事を掴む。説明を聞いているうちに、何だか馬鹿馬鹿しくなって来た。仕事って…手にする為にはこれ程大変な思いをしなければならないものなのだろうか?
 日本国憲法の二十五条には、このように記されている。
【すべて国民は、勤労の権利を有する。賃金、就業時間その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。】
 それに準じて就労の機会を有する国民がどのくらいいるのだろう。権利はあっても機会がない。法律で基準が定められていても、それが守られていない仕事がどれほど存在しているのか、国が真剣に考えているとは信じ難い。法の抜け穴に対して巧みになる雇用先が何と多い事。働く権利が正当に守られていれば、日本国民の幸福度はもっと高く、鬱などで心身を患う人間が溢れるとは考えにくい。
 合否に関わらず、希望すれば試験の成績は開示してもらえるらしいので、申請しようと思っている。学歴コンプレックスの強い自分が、どの程度のレベルにいるのか、是非とも知りたかった。
 
 公務員という立場で働く人というのは、かなりの難関を突破してその地位にいるのだと信じている。一方で、過去に出会った公務員の中には『それ…コネというのでは?』としか判断しようのない入職過程を平然と語る人が何人もいた。20年前でそうだったのだから、30年以上前ともなると、尚更それが異常ではなかったのだろうと想像する。当時は公務員になるより企業に入る方が良しとされたのだと聞いたこともある。子どもの将来就きたい職業というものの上位に、〝公務員〟がランクインするようなご時世だ。夢や希望を抱けない就業環境で暮らす大人を見て育った子どもならでは。日本という国に暮らす人間の幸福度が低いというのも、頷けない話ではない。
 公務員を将来の夢に掲げることが悪いとは言わない。しかし公務員とは立場であって、職業ではない。それを知ってか知らずか、〝将来就きたい職業〟を〝公務員〟と挙げる子どもの心は、とても狭い世界で育まれているように感じてしまう。公務員にも色々あるが、公務員であれば何でも良いのだろうか…。

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