5月29日

 何の進展も無いのを良いことに、無職のだらだら生活に馴染みつつある。仕事が見付からないのはかなり心配なのに、この状況に危機感が薄れつつあるのは、緊急事態宣言が解除になったとはいえ、外が未だ静かだからかも知れない。
 以前、無職期間を過ごしていた時は、自宅の側にある学校から聞こえてくる子どもの声やチャイムの音、校内放送などに心を掻き乱された。自分が必要とされる場所がなく、自宅で悶々としている状況が恐ろしく不安で、孤独で、世の中から疎外されているのに生きている自分に罪悪感すら覚えたのだった。
 好天がいつも辛かった。外に出て行きたいのに行くべき場所がない。誰にも必要とされていない。気に掛けてくれる人もいない。自分には何の存在価値も無い気がして仕方なかった。
 このところ眩しいくらいの好天だが、窓の外を見ても不安を感じなくなった。この状況を楽しんですらいる自分がいる。ある意味、余計に危機感が増す。こんなんで大丈夫か、私?!
 第二波が来るとか、クラスターだとか、日常が戻りつつあると言いながら、テレビのニュースでは再びコロナに関する怪しい情報が流れ始めている。しかし一旦、来月には学校も始まるだろうし、人の集まる場所には既に人が集まりつつあるのだ。
 私は未だ家の中に居る。毎日畑に行き、家事をこなし、午後には新しい仕事の情報がないかひたすら検索を掛ける。
 変わらない日々。いつか変わるのだと信じて今を生きているが、見通しは全く立っていない。何かが少しずつ変わっているのだとしたら、畑仕事用の衣類が徐々に劣化し、処分されつつあるということ。不要なものが身の回りから消えつつある。
 職を退いて間もなく、二ヶ月目が終わる。

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