本の帯女子会

 市の財政難の煽りを受け、勤務時間と給料を減らされたことで、夏休みの図書室開放がなくなった。
 去年は開館期間中、毎日のように足を運ぶ児童もおり、今年も「イベント何するの?」と、年も明けぬ前から度々質問されていた。彼らの向上心と期待に応えたくて、色々と起案を温めつつあったのだが、明けてびっくり「ごめんなさい」である。というか、教育委員会、子どもに「ごめんなさい」してよっ!というのが本音だ。
 本の帯コンクールというものがあり、嘗て兼任していた小規模校では、優秀な前任司書の働きかけから始まって、授業の中で盛んに取り組みが行われていたため、力不足を承知で引き継いだ。
 しかし、その後専任することになった大規模校は、児童の図書館活動に対する職員の認識や意欲が低い。また、児童数に対する司書の作業負担も適当とは言えず、授業の一環として取り組むこと自体が無謀であった。因って、昨年度は夏休み前に宣伝し、夏季休暇中の図書室開館時に希望者のみ取り組める算段にしたのだ。
 しかし今年はそれが出来ない。
 児童が其々に、少しずつでも好きなことで、図書へ積極的に関わることのできる行事。その一つに昇華出来る可能性があった、本の帯製作。実は赴任して4年、数少ない参加作品の中から、毎年受賞作品を輩出していた。
 一方、専任になって大規模校一校の業務に集中できるようになった昨年は、夏休み中に出勤している教員陣を巻き込んで無理矢理校内コンクールを行い、本選以外で表彰しただけでなく、参加者全員に参加賞の賞状を作った。
 小規模校での活動経験からの受け売りだが、年度末の最終返却後、借り換えが出来ない時期に、パワーポイントを使って作品を紹介したことで、児童の記憶にも新しい状態で今年度に繋げられるはずだったのだが、あらゆる計算が狂ったのである。
 労働条件の不利益変更に伴い、学校図書館司書の業務削減が成されることになり、一部の事務作業はなくなったが、実際、それ程変わったことはない。
「図書であっても授業は担任がすべき」と発言した教育指導課長は異動。各校校長に発言の意図は伝わっていないのか、担任が図書の授業をしているという話は、他所でも一切聞かない。
 私は年度初めから、課長発言を実践してもらう予定で校長と話し合いを重ねたが、教育委員会からの通達もなく、新年度に入ったばかりの忙しさの中で図書に等構っていられなかったのであろう。結局、最初の二ヵ月こそ司書が今まで通り授業を行うことに渋々同意せざるを得なくなったものの、三ヶ月目が来たというのに何の変更もされていない。
 丁度、コンクールの課題図書が届き始める頃で、小規模校ではブックトークから製作に移行する季節。夏休み期間中に出来ないのであれば、希望者を募って授業中に取り組めるようにしようと、こちらが勝手に進めることにした。
 各学年4クラス。本の帯の意図や作り方、本の選定方法などを、それぞれの授業で案内する。事前に図書だよりで情報を発信していたこともあり、公の取り組みとしては二年目ということも手伝って、情報の受け取り手にもそれほど抵抗がない様子が窺える。〝迷った時の課題図書〟くらいの触れ込みで、学年に応じた課題図書をブックトークで案内し、絵本に限っては授業毎に、児童の希望を聞きながら読み聞かせで紹介した。
「授業中に作っても良いですよ」
「休み時間にも作れますよ」
「持って帰って作ってもOKですよ」
と、少々説明過多になったかと懸念していたら、翌日から休み時間に「本の帯作りたい!」という希望者が殺到。てんてこ舞いすることになった。
 多くは低学年で、まだ読書ノートすら始まっていない一年生も、てんこ盛り居る。やりたいことを止めない主義で、唯々背中を押し続けていると、業務削減どころか去年以上の大忙しになった。
 授業で使う机と椅子は随分空いているのに、休み時間は何故か、半径一メートルも無いちゃぶ台に人が集まる。ちゃぶ台は禁帯出本の棚の傍にあり、授業中に使うことはないのだが、休み時間とてやって来るのは禁帯出本(マンガ)目当ての一部児童に限る。
 しかし本の帯製作を、何故か皆、このちゃぶ台でやりたがるのだ。
 女が〝三人寄れば姦しい〟と言うが、年齢には関係ないようである。現に〝姦しい〟という字は〝女〟が三人集まっている。この日は一年生三人が色鉛筆持参でちゃぶ台を陣取っていた。
 図書委員が真面目に仕事をしに来たので、カウンターを任せ、私はちゃぶ台の横に設置している座椅子に腰掛け、お披露目前の読み聞かせ用絵本を下読みする。色鉛筆で熱心に帯を塗りながら、一年生女子がくっちゃべる。大人が一人、自分たちの傍にやって来たので、更にエスカレート。視線は一斉に司書に向けられる。相槌を打ちながら、突っ込んだ話を聞こうとすると、三人三様皆自分の話。人の話を自分の話にすり替えるのが、抜群に素早い。一年生ってこんなに人の話聴かんかったかな…と過去を振り返っていたら、保育所保育士時代のベテラン勢を思い出した。
 三人のマダムたちは誰かの話からどんどん自分の話を上乗せしていく。人の話に相槌すら打たずに、「うちはこうやわ!」と、見事に話をすり替える。会話にならない会話…。すごく変だと衝撃を受けながら、横で静かにお弁当を食べ、お茶を啜っていた私。
『聞いて欲しかったら人の話も聞かんかいな…』と心の中で呟く。いやいや、聞いて欲しいとかではなく、唯話したいだけか…?
 この子らは、家でちゃんと話聴いてもらえてないのだろうか?と心配はしなかった。きっと家でもこんな調子なのだろう。親は「うん、うん」と頷いてくれているに違いない。聞いてもらえるから話せるのだろうし、言葉がいくらでも出て来るのだ。
 しかし…本当に人の話を聞かない。子どももおばちゃんも一緒やな…と遠い目をしつつ、一年生女子会の中で大人ひとり、『ちゃんと聞き役になってあげられたかな?』と心の中で自らを客観視する。聞いてくれる大人、近くにおらんのか?と一瞬思う。しかし、担任の先生も保健の先生も、この学校では忙し過ぎて、姦しい井戸端会議程度の会話には、なかなか入ってくれぬのだろう。私も決して暇ではないのだけれど(寧ろ、物凄く忙しいのだけれど)忙殺勤務最中の愉快なひと時、たっぷり味わわせていただきました。
 しかしお嬢さん方、お喋りに夢中で、作業の手が止まっていますよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?