献血問題①

 三時間目から五時間目までのフリー参観日は、来校した保護者向けに献血を募るのが例年の倣いとなっているらしい。これまで知らなかったのは、私が週二日と三日の二校兼任で、各校の行事を確実に把握するには忙し過ぎたせいでもあるのだが、そのフリー参観日に、該当校へ出勤しているとは限らなかったからである。また、出勤していたとしても、授業時間の一日六限は基本的に埋まっており、昼休みや長休みのみならず、授業合間の十分休憩ですら誰かしらやって来る学校図書館では、司書がトイレに行く暇を見つけることすら至難の技。専任になって時間割にも若干余裕が出来た今となっては、昨年まで自分がどのように仕事を回していたのかさえ思い出せない。嘘のようだが、一日中短距離走を走っているような毎日だったのだ。
 それが今年、何故献血行事を知ることになったのかというと、勿論、専任になって毎日同じ場所に出勤しているから、その職場の行事を完璧と言わずもそこそこ把握出来ているせいなのだが、殆ど図書室に籠っていると、その他の行事は基本的に蚊帳の外。人間関係にしても然り…で、全てにおいて孤立しているのが現実だ。じゃあなんで知ってるねん?と、いつまでも引き延ばしていては本題に進めないので続けよう。
 献血は屋外の献血車にて行われる。街頭でたまにやっているあれだ。それが学校の敷地内にやって来るのである。しかし、献血をするためには〝受付〟というものを経なければならないようで、それがひと手間かかるらしいのだ。と言うのは、私が街頭献血体験者であるからではない。校内献血で受付を行っていた場所が、例年の理科室から、今年は何故か、図書室に変わったからである。
 変わった理由は知らない。ひと月以上前、教頭先生がやって来て、献血の受付に図書室を使って良いか…打診された。訊けば授業のない時間帯だったので「良いですよ」と返したのだが、実際、授業はないが不定期に行われている委員会活動が入っていることを前日になって子ども伝いに知り、慌てふためいた。職員朝会でも「図書室を献血の受付に使って良いですか?」と、全職員に向けて律義に確認を取っていた。しかし誰も「委員会がある」とは言わなかったのに…。同市最大規模の学校で、職員もそれに比例するだけ居るというのに謎。皆、ちゃんと話聞いてるぅ?
 お陰で、当日の図書委員会は、卒業していく六年生から五年生への引き継ぎ作業を、基本的な活動場所である図書室ではなく、何の設備もない二年生の教室で行うこととなった。
 私は図書委員会の中の一人としてカウントされているようなのだが、実際は居るだけ顧問。先生方が指導されている前のカウンター内で、基本的には自分の作業に従事している。だからなのかどうなのかわからないが、卒業アルバムの委員会集合写真に私の姿はないし、撮影時に同じ室内にいたとしても呼ばれない。また、委員会での作業が切羽詰まっている様子ならフォローの手を挙げるが、顧問の先生には物凄く気を使われる。アイデアを出しても基本的に無視される。しかし、それは顧問の先生の反応であって、子どものそれはまた別なのだ。
 委員会の最たる仕事は、長休みと昼休みのカウンター業務。本来、司書の仕事であるそれのフォローなので、実際に委員の彼らと関わっているのはこの私。顧問は巡回にすら来ないので、委員会で指導や取り纏めを行ってはいても、普段の活動場面を知ることは無い。依って、わからないことがあれば質問は私に向けられるし、カウンター業務以外の委員会の仕事についても、彼らは顧問ではなく私に訊きに来る。「それ…私は知らんわ」ということでも、取り敢えず司書のところに言いに来るのである。
 校内一人職で、孤立無援状態が常であるにも関わらず、完璧とは言えないが、全校児童と関わる身であるのだということを、こういう時にふつふつと実感する。毎日一クラスと濃密に一年を過ごす担任は勿論、司書と同じく一人職(ここ二年は二人職に増えた)の養護教諭ですら、全校児童と関わることはない。検診などで関わっているし、全員のことを知っていると思っていたら、実際は、保健室を訪れる子がメインとなるため、把握出来ている児童は限られるらしいのだ。
 そう考えると週一回とはいえ、低・中学年は必ず顔と名前を合致させて関わる機会があり、また、レファレンスや感想の読み取り確認などで、個々の内面にずけずけと入り込んでいくこの職の凄さを感じる。授業のない高学年でも、勤務年数によっては、低・中学年時に関わっているので、多少のことは解っている。(現在専任の大規模校は、クラス数と時間割の関係で高学年に図書の授業はないのだが、小規模校では高学年でも図書の時間が確保されているため、必然的に週一時間は顔を合わせている。)
 そんなこんなで、児童が司書を主体と考えるのは決して間違いではないし、主体と言わずとも、委員会という小規模組織の中の一部として、司書がある程度重要なポジションに居ると思い込むのは仕方ないとも思える。(実際は何もしていません。ごめんなさい。)
 子どもが可愛い…と思うのは、司書が顧問として存在する…というだけで、図書委員会や図書マンガクラブに入りたいと言い、それを直接確認しに来るところだ。何故彼らが司書と言う存在をそれほどリスペクトするのかと言うと、彼らが実は「司書は優しい」と、勘違いしているからである。
 週一ぐらいしか会わないのに、そうそう怒る機会はない。しかし専任で勤務するようになった今、馴れ合いも生じて善くない行いも目に付き、最近は度々怒っているため、一部の児童には煙たがられている。ウキウキと私が顧問の一人であることを確認しに来るような子は良い子が多く、私の怒りを買う機会は滅多にないが、全くないわけではないので、ある時司書がブチ切れて暴れているのを見て、脅威することになるのである。
 そういうわけで、裏事情を知らない児童の間では、図書委員は他の委員会と比べ、その仕事の内容に限らず人気である。委員会決めが行われる時期には、わざわざ私に「図書委員なりたいねん!」と言いに来る子も少なくない。唯ひたすらに嬉しいが、私に決定権はなく、希望者が多い場合はじゃんけんになるらしい。図書委員になったものの、まるで仕事をしないような子もいるので、宣言しに来る子が期待を持てそうなタイプなら心の中で応援するが、そうでなければ手放しで喜べないのも、実際に委員会活動で対峙するのが担当の教員ではなく、大方司書の私だからだ。
 事前に宣言しに来た子がじゃんけんで敗北し、希望が通らなかったという話を幾つか聞いたが、卒業する6年生から引継ぎを受ける委員会のこの日、献血受付ルームになったとはいえ、幽霊顧問なのに業務の主体となる図書室を離れて委員会活動に参加するわけにもいかず、次期委員会メンバーがどういう顔ぶれになったのか、知る機会を逃さざるを得なかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?